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志望校を変えてみて良かったこと

 私の通う高校では、半分くらいが旧帝大に進学します。これまでは私も、農学部ということまでは決めていたものの、学校にはこだわりがなかったため、なんとなく旧帝大の1つを志望校としていました。

 ですが、今年(2年生)の秋頃にいろいろ考えた結果、他の大学を志望することにしました。すると、これまでは「〇〇大学を目指している」と言ってもわくわくしなかったのに、わくわくするようになりました。

 ちなみに、今の志望校にしかない魅力は下記の通りです!

・部活に来てくれるOBOGさんがすてき(元青年海外協力隊だったり、見るだけで人柄の良さが伝わってきたり・・・)

・私の興味・関心と学科が合致している
(土壌学・栽培植物進化学など)

・近くに、大学生との交流が盛んな商店街がある(私は商店街が大好きで、高校の近くの商店街もよく通っています。自由に研究できる授業では商店街をテーマにし、マップを作ったりインスタグラムのアカウントを運営したりもしています。)

・近くに、とある国際協力組織の拠点がある(そこでインターンする予定)

 志望校を変えてから、なんだか自分が活き活きとしてきた気がします。その理由の1つは、「学歴社会社会に違和感を持ちながらも高学歴になりたいと思っている」という矛盾している状態を解消できたことだと思います。これまでは、「違和感がある」と言いながらも、とらわれていた気がしますが、そこから解放されました。

 また、まわりに対する過度な期待が薄れたのもよかったと思います。私は本当に勉強を頑張って、この学校に入学しました。15回くらいあった塾の模試を全てA判定で乗り切るのは大変でした。モチベを維持するために、高校に対する期待を過度に膨らませてしまっていたので、理想と現実の落差に適応することがなかなか難しかったです。本当に、空回りが多い高校生活でした。(まだまだ続くかも?!)

 この期待の根幹には、「受験勉強ができる=よい人材」という、学歴社会の考え方の刷り込みがあったと思います。

 最近、私の中での「頭がいい」の定義が決まりました。
〈頭のよさ=能力✕熱意✕考え方〉です。
稲盛和夫さんの人生方程式からパクりました。左辺を「人生・仕事の結果」から変えただけです。

 これまでは、偏差値の高い学校に頭が良い人が集中していると思っていましたが、この考え方にすると、分散してると思うようになりました。私も丸くなったなぁ。こういうふうに考えると、偏差値が高い大学にこだわる必要がなくなりました。

 まあ、そんなわけで、以前までは「レベルの高い仲間と協力して何かを成し遂げたい」と思っていましたが、理想と現実が乖離していることに気づいたため、「ひとりでできる範囲でやっていこう」という考え方に切り替えました。

 すると、以前よりも格段に人脈が広がりました。これまで、協力してくれる人がいる前提で考えていましたが、そんな考え方をしていた自分も、甘えていたなと気づきました。

 最近したことといえば・・・
・元青年海外協力隊のコーチに「次に東南アジアに行くときに都合が合えば私も連れて行ってほしい」とお願いし、OKをもらう
・中高生(メインターゲットは不登校の人)が無料でデジタルディバイスに触れられるスペースに行ってみる
・商店街の方とおしゃべりできる関係になる
・志望大学の近くの商店街のツアーに参加し、商店街で活動している大学生と繋がる
などなど。

 みんなと協力してやろうと思っていたら、いくら経ってもできなかったことが、ひとりでもいいからやろうと考えると、思っていたよりも簡単にできました。これからは、ひとりではじめて、興味を持ってくれた人がいれば引き込もうというスタンスでやっていこうと思います。

 目指す大学も、旧帝大ほどではないものの、十分レベルは高いので、勉強も頑張ります💪

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