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あまりにも社不すぎる

 今年に入ってようやっと社不なりに自立して生きているんだけど、どうやってもベースに自意識のこじらせ&コミュ障があるから、社不なのは一生変わらない。
 たぶん、世の中のいわゆるふつうの人々は、こういった思春期メンタルを中高生のうちに上手いこと手放せるんだろう。
 ずっと抱えたまま30まで生きてきてしまったのが私。それを少しずつ少しず〜つなくしていく努力をしている最中。

 社不に生まれた時点でもちろん負け組ではある。現代社会に馴染みやすいのは、性格のいい陽キャに決まっている。性格の悪い陰キャなんて最悪だ。
 しかし、負け組に生まれようが独力で金を稼いで生きていかねばならないから人生って理不尽かつ不平等よね〜

 私は20代の間は全力で働きたくなかった。とにかく労働の義務から逃れたくて仕方がなかった。隙あらば働きたくなかったので、ほとんどアルバイトみたいな大した責任のない仕事、が期間の決まった雇用であることが多かったので、雇用期間が終了すると事前にわかっていても、次の職場を探さないで3ヶ月ニートする、なんてザラだったからね。そんなことを数度繰り返して貴重な20代前半を終えてしまった。

 誇れる職歴も、彼氏もおらず、なぁおまえって本当に何をして生きてきたの?と問われても本当に何もしてこなかったとしか言いようのない数年間を終え、まっとうに生きる大卒社会人が25ともなれば、仕事にもこなれてきていい塩梅になるのに、己は何をやってんの?という罪の意識だけはあった。

 しかし、罪の意識を抱えたところで履歴書にはほとんどアルバイトのような経歴しか並んでおらず、26歳からは地獄のような数年間を過ごすハメになる。精神疾患にかかったのもこの期間であった。
 20代後半って、それまでどう生きてきたかがのしかかってくるから、何もしてこなかった自分に何かができるはずもなく、しかし年齢的には何かができるようになっていないとダメで、自分と社会の目との板挟みで私は気が狂ってしまった。

 ほとんどうつ病のような状態で前職が雇用期間満了による退職、ここでメンクリに通っていてもよかった気はするが、通わず2ヶ月ニートして、金がないから割のいいアルバイトを冬の間の3ヶ月やってメンタルが崩壊しかけ、また3ヶ月ニートして、もうこの時点でメンクリに行けよとツッコみたくなる、4月から新しい職場が決まり、翌1月、精神疾患にかかって退職するハメになる。

 完全に持論だが、社不がうつにかかったとて、それは甘えというよりほかない。社不の人々に言えること、それは社不を言い訳にして逃げるなということ。できれば取り返しのつく若いうちになんとかしなさい。

 結局私がうつにかかったのって、社不だったからとしか言いようがないんだよ。社不だったから、人との関わりを避け、働くことから逃げ続け、結果として、歳の割に何も出来ない自分を目の当たりにして、気が狂っただけの話だから。

 うつにかかった人すべてに対して甘えだなんて言う気は毛頭ありません。これは私に限った話。


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