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己の孤独を埋めるために生きてるのか

 貞本エヴァ読んでたぎったので記事書く。私がエヴァンゲリオンに初めて触れたのは高一のとき、15歳のころだったから、もう17年前になるのね。高校の側のTSUTAYAでDVD借りてね。懐かしいな。
 さすがに子どもだったから、意味も話も理解できてない部分が多かったけど、おもしろさは感じてた。何もかもブン投げエンドには発狂したけどね。おまえが観たい続きは15年経ってから出るよ。待ったかいあって素晴らしい終わり方をするよ。

 私は人と関わってこなかったから、人との触れ合い方なんてわからなかった。完全にシンジやゲンドウ側の人間だし、今となってはもうチルドレンではまったくないから、ほぼゲンドウよ。ユイに依存し、シンジに嫉妬し、彼女が死してなお求め続けてしまう気持ちもわかるわ。

 なんだろうな、この陰キャコミュ障かつ機能不全家庭に育った人間からすれば、もう「わかる!!」のオンパレードな感じ。わからない方がよほどしあわせなんだけど。

 大好きなだれかひとりに、自分だけ見てほしくて、かまってほしくて、愛してほしくて、狂おしいほど相手のことしか考えられなくなる。
 健全な好きと依存の境界はどこ?
 ただわかるのは、自分の好きは健全でなく依存だったってこと。自分の望みばかりを叶えてほしがって、与えもせずに求めてばかり、思うような反応が得られなければ気に病んで。

 実際に子どものころ、思うように愛を与えられなくて、その不満がずっと残っていたとしても、それを親でもない他者に求めるのは間違っている。
 とはいえ、過ぎたからわかることであって、あの渇望と飢餓の最中にいては、そんなふうに冷静に己を振り返るなんてことはできなかった。
 やっと手に入った!って、思ったとて、それはこちら側の都合に過ぎないんだよ。他者はモノでもなければ、各々が自分自身の意志を持って生きてる人間なんだから。自分に意志があるように。

 なんだろうな、トラウマだとか心のキズだとか、なきゃないに越したこたないよな、本当に。他者と関わる上で、余計なノイズでしかない。

 もうちょっと書きたかったけど、ねむくなってきたし、明日から労働だから寝る。 

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