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【#36】人間臭さを楽しんでるか

私達はどんなに気をつけていても、忘れ物をしたり勘違いをしたり言い間違いや聞き間違いをする。だからシステムによってミスなく効率よくオートマチック化された事により、人的ミスは避けられるようになった。

それは素晴らしいことだし、沢山恩恵を受けている。ただ、人は不完全だから魅力的であると思う。人間らしさや人間臭さを感じる時にぐっとくる。自分自身に対しても「まーた、こんなことして。」って苦笑いをすることも多いが、面白可笑しく感じている自分もいる。

今日、狂言を初めて観劇して、共通しているなと思うことがあった。
狂言の題材は普通の人の日常から生まれるもの。人の習性や本質をするどく切り取って、大らかな「笑い」や「おかしみ」にしているところが見どころ。
思い込みによる聞き間違いとか、つい見栄を張ってしまうことなど誰しもがやりうる悪気のない失敗ややっちまった話。

だから失敗を憐れむとか恥ずかしいとか、触れちゃいけないものとかではなく、人間の習性だよねってもう認めてしまって朗らかになっちゃうもの。

生きてる時代とか関係なく、狂言で描かれるのは、現代にいたるまで変わらない普遍的な人間の姿だなと感じた。

最近″分かりやすいコンテンツ″に楽しみを覚えてしまっていた私は、狂言のようなちょっと分かりにくいもの(私が素人だから余計そう感じるのです)に触れて曖昧さを楽しんでみる時間も意識的にとっていきたいと思った。

普段私がクライアントさんと話していても対話って生物(なまもの)だなと感じていて、色んな揺らぎや葛藤が短い時間の中でも起こる。
そんな不完全さも共に味わいながら、本質的な、クライアントさんにとって普遍的なものを一緒に見つけていきたいと改めて思った。

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