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【#25】お互いに歩みよろうとしても齟齬は起きる

父と母が会話したあと、何だがお互いに心の収まりどころがいまいちだったようで気になり、状況を確認した。

父は病気で話すことが出来ないので普段からスマホのメモに言葉を入力してコミュニケーションをとっている。
その日も母に確認したいことがあったらしく、伝わるように一生懸命詳細を画面に入力していた。
母は早く分かってあげたいという気持ちで父が入力し終える前に内容を察し、返答を始める。
でもそれが意図と違っていて最後まで待てない母に父はもどさしさを態度で表し、母はそれをみて戸惑いといらだちを覚える。

父からしたら、母はせっかちで早とちりをして困ると言う。
でも、ただ正確に伝えたいだけ。

母からしたら、父は細かいところを指摘し否定してきて困ると言う。
でも、ただ早く理解してあげたいだけ。

各々の解釈のままこういったことが積み重なると自分の解釈がより強固により敏感に反応し感情的になることが増えていく。

普段私達は事実ではなく、自分の解釈というフィルターを通じて感情を決定している。
色んな感情を抱くこと自体は自然なことだけれど、変わらない事実に対して「自分の解釈」が入っているということを時々立ち止まって見つめてみることは大事だと思う。

解釈による思い込みが増え続けると、対他人だけでなく、自分自身を苦しめてしまうことにも繋がる。
対話ではこういったフィルターとは少し距離を置き、俯瞰してみるということをお手伝いすることを心掛けている。

今日記載したような齟齬が日常茶飯事的に起きているとすると、はなから相手を攻撃しようと思って態度に出ている人って意外と少ないのかもしれない。

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