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学生という、尊いいきもの

私は、”学生”という生き物が、つくづく好きなのだ。
これは、全くもって下世話な話ではない。

社会という大きな怪物の中で、彼らが放つ光
私はいつも目を離せなくなり、彼らの中にかつての自分を見ようとする。


学生は、常に自由に飢えている。
学校という箱に入れられて
教師や校則やルールに四六時中縛られ
確信のない未来に抑えきれない不安を感じる。

「ぼくはこんなにも真剣に悩んでいるのに」

親はまともに請け負ってはくれないし
友達だって、明日の敵かもしれないし

先生は「受験だ勉強だ」
CMは「夏だ花火だ青春だ」

だれも救ってくれないような、ずっとこのまま燻ってしますような
明日の朝には友達がいなくなっているような気がしてくる。


ある日は、ひたすらに勉強することで
とある日は、全てのモノに反抗することで
ととある日は、くだらないことに全力を注いで
彼らなりに、もがいてもがいて今から逃げようとしている。



電車や道端で見かける学生は、友人ときゃっきゃと笑い合っていたり、部活のユニフォームに汗を滴らせていたり、一瞬の青春を謳歌しているように見えるかもしれない。
でも私たちがそうであるであるように、彼らのおなかの中にも、抱えている重石がある。
時にそれは、彼らの世界の全部である学校、家、友達の小さな世界の中でどんどん膨張して、実際に肉体を蝕んでしまう。


小さく、おおきな世界の中で、毎日を全身で生きている。
それと同時に、どうしても自由を個性を求めている。

だから「みんなおなじ」な中に切実に輝く個性が見える時、
私は彼らが、かつての自分がたまらなく愛おしい。

ひとりひとりを見てごらん。
通学カバンに大小のチャームが、無駄に大きなパスケースが
いろんなスカート丈、いろんな靴下の履き方が、あるでしょう。


これを読んでくれた方の中に、いま苦しんでる子がいるかもしれない。
でも、あなたはいま多くのものに守られている。




いつかくる”自由”の重さに負けてしまわないように

おなかにそっと手を当てて

いま感じる重さに、思いを馳せて




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