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キングダム考察 799話 倉央と糸凌の無血解放は、ジ・アガではなくカン・サロ自身の思いを乗せたものだった

【考察その33】


いやー、本当に感動しました、倉央と糸凌が生還したことが!!。


感想コメントがカン・サロに対する絶賛の評価がびっしりで、
今の段階でキャラ投票したらカン・サロがぶっちぎりの一位かもしれない
(笑)考察も、同意するかはともあれ、その思いには拍手ものでした👏


で、当初は、同じく再会記念(?)として
倉央&糸凌に加え、壁&キタリを併せ、
信と羌瘣、李牧とカイネと言った明らかな「男女の明暗」ではない
「戦場で男女が思いを遂げあうその中間」を考察する記事を
書きたいと思ってました。


と言うのも実は倉央らに関しては、
正直な話、無事に帰れるとは想像してませんでした。

本音では嫌すぎなのは当然ですが、
いざそれを目の当たりにしてショックで立ち直れなくなる自信があったので
あらかじめある程度の覚悟はしていた状態でした。

だから今回の生還には、本当に心から嬉しく感じたんです。


で、それが先に想定していた記事に関してのやる気を削ぎ(苦笑)、
代わりに今回のこの記事作成に至ったきっかけです。


今回は・・・、なんかいつも書いている気がしますが、
なんとまぁどこをどう読んだらそんな読み方できるんだ、
と言うレベルの強引さです。


「お前なぁ、『考察』と書いたら
 なんでも書いていいと勘違いしとらんか!?、
 大概にせぇよ!!」

と言うお叱りの怒号がすでに耳元に響いてきております(爆)。


初期に書いた河了貂の深堀に関する記事、


羌瘣の縮んだ命の解釈についての記事


で、その強引さに当時ヒヤヒヤしてたものですが
今となってみればその心配なんて可愛いもんです(笑)。

・・・強引さに耐性ついて、やばいです自分。。。


と言うわけで、いつも片目で読み流しているところをさらに
薄目で見流していただきたい記事になっております。
毎度毎度恐縮ですが、覚悟してお読みください。



考察:カン・サロの糸凌に対する行為への違和感


カン・サロがジ・アガを討った直後の糸凌について、
瀕死の状態で自分に立ちはだかった時、

「ジ・アガに受けた傷で死なせる」(72巻168ページ)

と、トドメを刺さなかったことは、ちょっと結構違和感を感じてました。


と言うのは糸凌と最初に対峙した際、
「お前を殺すしかない、女剣士」(72巻121ページ)とカン・サロは言い、
実際にジ・アガと二人がかりで糸凌と戦っていました。(134ページ)

なんの疑いもなく、本気で糸凌を殺すつもりだったと思えてました。


確かにジ・アガと相討ちのような形とするのが
「ジ・アガへのたむけ」なのかもしれないですけど。
無二の親友を目の前で失い、その直後に瀕死の仇を目にして
「情に流されない」って出来るものなんですかね?。

それどころか糸凌に対してさらっと
「最高の敬意を払おう」(169ページ)なんて言葉が出ますかね?。

どう考えても、かなり遡りますが、
王騎を矢で射った魏加をその直後一刀両断した信の行動
(16巻136ページ)の方が順当でしょう。

どんだけこの人人間が完成してんのよ、脇役のくせに(爆)。


初見では違和感を感じつつも、カン・サロが持っているであろう
「武将としての視点の高さ」を信じてそこは流し、
カン・サロはそれでも本音では「ジ・アガとの絆」が優先で
糸凌に「ジ・アガから受けた傷」で「死んでほしい」と思っている
と思い込んで読み進めてました。


そのため話が進み、倉央が798話で投降した話で、
案の定違和感を感じざるを得ませんでした。


「ジ・アガが死んでから、
 俺はジ・アガならどうするかを考えて行動した。」
「礼はジ・アガに言え」

と言った後、
カン・サロは自ら救いと手当の指示で回復した糸凌を倉央と対面させます。

糸凌は数日で劇的な回復を遂げており、
「左腕は壊死するゆえ斬り落とした」ともある通り、
医師によるちゃんとした医療を施したと言うことなんでしょう。

味方の兵が想定よりも多く死傷したこの戦いでは、
たとえ味方の兵だとしても、医師の手が足りない状況かもしれず、
捕虜の立場の敵兵としてはかなり優遇しているように思えました。


前書きにも書いた通り、こんな想定は本当にしてませんでした。

かなりシビアな結果の覚悟をしてただけあって、
本当に本当にこの展開は嬉しかったです。


・・・嬉し過ぎて、ここの違和感をつい忘れるところでした(笑)。


そもそも当初は、カン・サロは
「ジ・アガと相討ちのテイで糸凌に死んでもらいたい」はずと
思っていたところからの、まさかの救助でした。


でも百歩譲って、勝戦で決着がつき、気持ちも落ち着いてから
「ジ・アガならどうするか」を優先して考え直したとしましょう。

ここで自分は、「自分とジ・アガの立場が逆の場合」を想定し
ここを読んでしまってました。

すなわち、
「自分が糸凌に殺されて、ジ・アガがそんな時に瀕死の糸凌に会った場合、
 ジ・アガはどうするか」

を想像した時

・・・どう考えても、問答不要で仇を討ちそうだとしか思えませんでした。
(ごめん私の勝手なイメージです)

だからなんで、「ジ・アガがどうするか」を考えた結果が
「糸凌を助ける」に結びついたのか、私にはさっぱり分かりませんでした。


実はジ・アガさん、あんな顔なのに、
弱った動物とかを保護するような人柄なんですかね?。
(顔で差別はダメ、絶対!(苦笑))


それとも、
ジ・アガならば治療を施して元気になったら再度対決しようとか(爆)
考えたってことですかね?。
これならばちょっと分かる気もする、けど、

・・・うーん、どっかの格闘マンガじゃあるまいし(苦笑)。

万一そうだったとしても、カン・サロがそれを間に受けて
「よし、ジ・アガの代わりに対決しちゃる!」と思えるくらい
酔狂だととはもっと思えません(苦笑)。


で。
・・・実はここでは解釈を間違えていて、
「自分とジ・アガの立場が逆の場合」に
ジ・アガだったらどうするか、ではなく

「もし今ジ・アガがまだ生きていて」と言う想定で、
その場合にジ・アガはどうするか、を考えたのではないか?、

・・・と気がついたのは実は結構後になってから、
そう、この記事を作る直前だった私でした。
(鈍すぎご容赦ください。。。)


考察:カン・サロが深層心理に抱いていた本音


ジ・アガが破れるくらいの、圧倒的な武力を持っていた、糸凌。


ジ・アガに彼女や嫁さんはいるのかとか、
カン・サロと好きな女のタイプの話をどの程度してた(笑)とか、
詳しくは描かれていませんが、

ここではジ・アガは彼女もいない独身(ひどい言い方だな苦笑)と仮定し、
カン・サロはジ・アガは圧倒的な武力を持つ女に惚れるのではないか、
と想像していた(または知っていた)のかもしれません。

だからカン・サロは、ジ・アガが生きていれば、
自分を倒した糸凌は特別な存在だから生きて欲しいと願っている
と思っており、実際糸凌が死なずに最後まで生きていたのは
そのようなジ・アガの望みが天に届いたからと受け取ったのが
糸凌を保護した建前だったのでしょう。


カン・サロは、戦中も戦の後もいずれも
結果的には「糸凌を生かす」ことについて
周りくどい思考を巡らせている
ように見えます。

それは一見ジ・アガのことをおもんばかっているとも取れるのですが、
「死なせるつもりだった」と「命を救うために保護した」と言う
真逆の動機を混在させており、

それは彼自身に、
最終的に優先させたカン・サロ的な「ジ・アガが望む理由」
と同じ理由が優先されていると言うことで、

そう、早い話、
カン・サロ自身が糸凌に対して特別な想いを抱いてしまっていた
証だったのかもしれません。


その場合、
・瀕死の糸凌にトドメを刺さなかった(させなかった)
・瀕死の糸凌を保護し介抱した
・糸凌の伴侶である倉央を殺さなかった
・糸凌を伴侶の倉央と共に釈放した
この全てのことを矛盾なく説明することが可能です。


その確証の(と言うかそれを思わせる行間がありそうな)描写が
いくつかありました。


■一つ目は、
倉央が自分の投降理由を話す前置きで、
「カン・サロ」に「愛する女はいるか」と問いかけた時
その後「俺には糸凌が全てだった」と
自分がどれほど糸凌が大切な存在かを語っている時と併せ、
カン・サロに一度もカメラが寄らなかったことでした。


これはこれを聞いている最中、カン・サロにカメラを向けられない
「何か」があるような意味に捉えられました。

例えば、「動揺」とも取れるように眉を顰めたとか。

ポーカーフェイス的な表情の彼なので、その描写をすることで
「何か」を意味させることがあからさまになると言うこと
だったのではないでしょうか。


■二つ目は
一転し、倉央が涙ながらに
「髪の毛一本でもいい、あいつ(糸凌)を抱きしめさせてくれ」
と懇願する時、倉央とカン・サロを交互にクローズアップしながら
描写していた
ことでした。


カン・サロは糸凌を事前に保護しているので
「死んでいない」のはこの時点では既知であったけども、
倉央の心の叫び一つ一つが、この時
カン・サロの心にも刺さっていたのではないでしょうか。

自分でもそう思うだろうと言う共鳴はもちろんのこと、
ともすると実際「糸凌のための行動」を自分は行えるだろうか
という自問自答もしていたかもしれません。

なのでその直後、倉央のことを
「その(糸凌の)伴侶もやはり”漢(おとこ)”か」
と言う評価をポロッと口に出してしまったのでしょう。


■三つ目は
倉央が糸凌と再会した時、そして二人が再会を喜び抱擁する瞬間、
カン・サロは目を瞑っていたことでした。

これは文字通り、カン・サロが本音では
「目にしたくない」瞬間だったからように思えます。


■そして、四つ目。

倉央と糸凌が解放され、納得いかぬとジ・アガの側近のジガンが
ごねているのを皆で宥めていた最後のページで、
カン・サロ単独のコマの後続けて、
糸凌を抱いた倉央のコマを描写していたところです。

この2つのコマでは
カン・サロと倉央、二人の画角と表情が似せて描かれ
丁度表情を隠した糸凌を挟んで二人を比較して描写しているような
位置関係に置かれてます。

キングダムの話の中ではサブキャラに該当する彼らに対し、
この799話でこれほど大きなコマ割りで二人を並べて表現しているのは
すごくここに込められた意味が深いように感じます。

実は今回の考察を書くきっかけだったのは、
ここのこの二人の描写がすごく気に掛かったためでした。

これはもしかすると「カン・サロと倉央の思いは同じ」意味を示し、
同時に「カン・サロと倉央の、糸凌に対する位置関係」の明示化
表現しているのかもしれません。


一方、カン・サロは糸凌との最初の対峙時、
「気は乗らぬが」(72巻121ページ)と確かに言ってました。

最新799話ではカン・サロのことを
ジ・アガが「美徳の男」と評していた
ことを種明かしされましたが
それがここのフラグを回収してくれました。

「気が乗らない」はその直後言っている「お前を殺すしかない」の
単なる接頭語だったわけではなく、
実際に彼の本心はここにあった、と言うことだったのでしょう。

カン・サロは戦場であっても「女を殺さない」ことが、
元々の彼の美徳であった
のでしょう。
なんだか、●ンピースの●ンジを想像してしまいますが(笑)。
(よかったねカン・サロ、対峙したのが羌瘣でなくて爆。)


カン・サロも自分では「そのつもり」だった行動なのは事実でしょう。

表層意識ではもしかすると、
好きだと言う気持ちは自覚していないかもしれません。

仮にも糸凌は敵兵、しかも親友の仇そのもの。

だからそもそも「そのような気持ち」の存在を
カン・サロは認めたくないはずです。


それなのに絶好の機会に自分はとどめを刺すことが出来なかった。
青歌の同胞を弔う時間を割いてでも
その敵兵の介抱に時間や人員を割いてしまってもいる。

「ジ・アガならどうするか」と考えることによって、
自分に湧いてしまったそんな気持ちと行動を
少しでも正当化したい
のだと思います。

カン・サロの気持ちをぶっちゃけ風に表現すると
「ジ・アガが好きになるような女(多分)なんだから、
 俺もそのような女を好きになって、
 そういう行動(救う)に出るのはあり得る話だよな」

と言う感じでしょうか。


カン・サロには、
過去の回想シーンで報奨金を分けるために首を必死に半分にしている
ジ・アガを笑いを堪えて眺めているような、(72巻150ページ)
お茶目な人間臭さもあるはずです。

彼の「美徳」で格好いい漢を通すのも彼の正しい姿ではあるんでしょうが、

側近たちの理解はすでにあるのだから、助けた理由を
「俺の美徳(女を殺さない)で救った」と言ってもよかったはずです。
むしろその方がジガンに後でくどくど文句を言われなくて済んだでしょう。

「自分自身の理由」を放棄し、「礼はジ・アガに言え」と、
行動の主体をジ・アガに押し付けているところから、
今回の一連の彼の行動は、実は深層心理が人間臭い感情だった
という方が私としては腹落ちです。


深層心理がどうであれ、
今回はたまたま周りの側近たちも納得できるような
「カン・サロの美徳の範囲」で収まっていた出来事だったと
言うことでしょう。


倉央は、青歌軍を去る直前カン・サロと

倉央「すまぬ・・・、この借りは決して忘れぬぞ」
カン・サロ「ああ、当然だ」

と会話を交わしました。

その際も両者にカメラがアップで寄り、
二人を比較するように描写されてました。

うがった見方ですが、倉央はもしかするとカン・サロが
「自分と同じ思いを抱いている」ことをこの時察したかもしれません。

それゆえの、上で触れた確証4つ目の、
二人の描写の比較だったのではないでしょうか。


二人は秦と趙(青歌)、相容れない立場ながらも
「糸凌」と言う「愛する人」を共有し、お互いのことを慮っていた
・・・と勝手に想像し、勝手に涙してしまいました(苦笑)。


考察まとめ


今回の話では倉央と糸凌、そしてカン・サロを通して、
男女が武将として生きる中で、幸せを築き上げることの難しさと、
それに伴う覚悟がどの程度必要か
を表現したエピソードだったのかな、
と思っています。


味方として愛を貫くならば、文字通り死を覚悟する必要はあるでしょうし、
二人ともの命を守る場合、自分たちだけの力では
決して守り切れるものではない。

敵として愛に気がついてしまったら、
それを誰にも悟られず、添い遂げる希望を持たず、
その事実を墓場まで持っていく覚悟をしてなくはいけない。


信と羌瘣、李牧とカイネの幸せな未来を無邪気に読者として
願っている自分たちですが、
それがいかに得るに厳しい道であるかを、
改めて作者様が示してくれたのかな、と思っています。


もっと正確に言うならば、
一般的な戦場の男女の武将を取り上げているテーマではなく、
この先描かれるであろう、信と羌瘣、彼ら自身への
ダイレクトなテーマ、ですかね。


特に、これですね。
>二人ともの命を守る場合、
 自分たちだけの力では決して守り切れるものではない。

大切なので2度書きました!。


羌瘣が信のプロポーズを保留しているのは、
弱さを独力で克服しようと言う考えに凝り固まっているのが理由です。

羌瘣がそのことに何かのタイミングで気が付くイベントが、
絶対発生すると思っています。

と言うのは羌瘣はすでに経験しているはずなんです、
そのことが腹落ち出来ることを。

それは他でもない、・・・そう、朱海平原で自ら発動した「禁術」です。


「禁術」に関する考察は、このNoteページ開設当初から
ずっと深堀したいと思い続けていて、
本編で描かれるのをずっと待っている私です。


なお、禁術の術文に関する考察や


禁術に入る前の「使用される命」についての考察は先に書いてますが


禁術そのものについては実は未考察なんですね(笑)。


と言うわけで頼みますやでほんまに(笑)。
期待しております、作者様!!


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