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キングダム考察 43&44巻 黒羊戦救出ハグで羌瘣が信へ命を分け与えたいと思った気持ちの土台が築かれた

【考察その23】

以前、羌瘣が信に好きと告白したシーン(62巻)の最後に言ってた

「今みたいなこと(告白)をずっと話したいと思ってた・・・」
(62巻44ページ)

といつから思っていたかの考察について、
「朱海平原3日目天幕手繋ぎ」の時として記事を公開していました。

ただ、個人的には公開後から今も「いつ」の回答に自信がない考察で、
その時期を個人的欲望(笑)は黒羊戦ハグの時としたかったけど、
当時の自分では確証ある文にならなかったので断念したことは、
上記リンクの記事の中でも書いた通りでした。


ですが現在、この記事ほか、合わせて4記事を並行で書いている中で、
黒羊戦とそれ以前も含めてしっかり深掘りしたことで、
「羌瘣が黒羊戦ハグから信に命を分け与えたいと思い始めた」
確証を書ける!と自信が持て、今回のこの記事となりました。

めちゃくちゃ深く堀っており、そして長く(いつもの)、
ともするとマニアックに感じるはずですので、
読み流す程度でお付き合いいただければ幸いです。



考察:羌瘣の信と手合わせの変化に見る武人としての絆の位置付け


二人の武人としての関係性を語るにあたり、
わかりやすく表現されていたのは「二人の手合わせ」シーンでした。

正確には最初は「政の暗殺未遂事件」(9巻31ページ〜)なんでしょうが
これはガチの斬り合い(信的に)だったのであえて外します。


最初は馬陽の進軍時、途中参加した羌瘣と行った手合わせ
(11巻142ページ)でした。

馬陽戦の直前まで王騎に与えられた「無国籍地帯の平定」の修行だったので
剣の勘を取り戻したいと言う建前で羌瘣を誘い出し、
でも信は全然相手にならない状況で、
疲れすぎて寝落ちするほどグダグダ(184ページ)だったのに、
当の羌瘣は手合わせ後歌を口ずさみ、
剣舞を舞う(186ページ)くらいの余裕を持って相手にしてました。

羌瘣にしてみれば手合わせには全くなってない、
「暇つぶし」程度のことだったはずです(笑)。

それにしても、信の誘い文句はその目的も嘘ではないかもですが、
手合わせ理由を羌瘣に改めて言われたのを聞いて照れたり(143ページ)、
その直後の手合わせは中途半端に羌瘣の鉢巻を盗んだり(144ページ)と、
信的には手合わせはおそらく明らかに「羌瘣を誘い出す」ための
言い訳でしかなかったんでしょうね(笑)。
寝落ちから目覚めて羌瘣の剣舞を見物する信(186・187ページ)が
めちゃくちゃ可愛い(笑)。


その後は手合わせの様子はしばらくなく、
次はなぜか羌瘣不在時、蕞攻防戦で信が傅抵との一騎討ち時に
回想していた中での描写(31巻183ページ〜)でした。
時期的には山陽戦の前くらいの頃なんですかね?。

この時も、基本的に羌瘣側は信の要望をかなえる手合わせ
(速さで重点的に攻める相手を想定する)となっており、
羌族の里で後輩たちに教えるような立場になって信の相手をしています。

馬陽の時とは異なり一応「剣士」として扱ってはいるけれど、
まだまだ自分の相手としては不足な状態がありありでした。


羌瘣が仇討ち後復帰し、「お前の子を産む」と言ってから
その誤解が落ち着いた(笑)後の手合わせでは、
信の振りを受け止めた羌瘣の剣が重みで撓むシーン
(34巻76ページ)が描かれました。
信の剣が羌瘣の剣でもっても重くなってきたことの現れなのでしょう。

ここから羌瘣は信の剣に一目置くようになったのかもしれません。
その後の手で信の隙をつくような剣(78ページ)を披露し始め、
一応まだ剣技では一枚上感を見せつけます。


そして時間を経て、黒羊戦の直前の手合わせ。
ここから信は剣ではなく、矛で羌瘣と手合わせを行ってます。
(41巻76ページ)

ただ、原作でははっきり描かれてはいませんが、
恐らくもう矛の手合わせは何度も行っているのでしょう。
だって、初っ端でいきなり「空中戦」はないでしょう。
地上戦で何度もやってきていたから、
足のついていない状態からの戦いにステップアップしたはずです。

そして信は矛の剣で高所を取れたという意味で、「もらった!」と、
羌瘣を一撃で仕留められるくらい腕をあげていた描写になっており、
その後の追撃で信が「お前まだ、んな隠し技をっ」(77ページ)と、
羌瘣もかつて行っていないような剣の技を
信に対して行うようになってました。
これは信の腕が上がらなければ受け止められないような剣技を
羌瘣が徐々に信に対して明かしている証なのでしょう。

馬陽の頃に比べたら、すごい成長ですよね、信。。。(感涙)


ここ以降、二人の手合わせは原作で描かれていません。
ですが恐らく見えないところで手合わせを行っていると思います。

番吾の戦いで、信が李牧に罠に誘導されている途中、
馬上で敵将の傅抵と剣を交わすシーン(71巻208・209ページ)
が描かれました。

そこでは信が進行を阻害する傅抵を払いのける目的での剣でしたが
傅抵との対戦は蕞攻防戦以来で、
当時は速さでは全く歯が立たなかった傅抵の剣を
真っ向勝負で矛で払い除けられるところは、
傅抵レベル(失敬)の剣の速さへの対応は
もう信の手の内にあると言うことなんでしょう。


話を戻します。

このように信の成長に合わせてずっと手合わせを続けている二人は
ずっと真剣(本物の剣と言う意味の)で向き合っていました。
もちろん相手を倒す意図はない手合わせであり、
いわゆる「命の預け合い」を日常的にずっと行っていたわけです。

信が羌瘣に対して剣士として頼っているのは当然でしょうが、
羌瘣も少なくとも黒羊戦以降は、
自分の剣を委ねるのに充分な相棒として認識していたと思います。

この、剣士としての「命の預け合い」の日常が、
二人が無意識に持つ「お互いへの剣の信頼感」への
積み重ねになっていったのではないでしょうか。


考察:慶舎急襲前のタイムリーな羌瘣登場の裏側


本題とは関係さそうなテーマですが、黒羊戦では個人的に欠かせない名場面
「河了貂救出時6連スヒン斬り」シーン(43巻192・193ページ)
について触れます。


Q「なんで羌瘣はこんなにタイミングよく河了貂を救うことが出来たの?」
A「主役級キャラ補正、こうしてドラマティックさを演出したかったため」

以上。


・・・ではもちろんないですよ、これから書くことは(笑)。


怪我で伏せっていた羌瘣が、
無理を押してでも仲間を助けに行く必要があることは、
混バァから看病の合間に聞いた離眼の将たちの今までのいきさつを聞き、
敵の強さを実感したからでした。(43巻82ページ)

「少しでも早く戦っている仲間に合流する」と決意を固めて
羌瘣は村を経ちました。(44巻102ページ)


河了貂救出シーンの直後、「お前たちは先に行け」(43巻198ページ)
「大将首を逃すぞ」(200ページ)と河了貂に声がけするのですが、
その口ぶりは既に飛信隊が置かれた状況を
羌瘣は理解しているかのようでした。

もちろん羌瘣が本来より、戦況把握の能力と視野の広さ、
予測の的確さを持っていることは前提でしょうが、
もちろんそれだけでは把握に限度あるでしょう。

飛信隊は中央の丘からゼノウたちの囮として追いやられた際、
「散って合流できない隊が多い」「今動ける奴は半分もいない」
(172ページ)とあり、
慶舎本陣急襲は本当にごく少数精鋭だったことが伺えます。

なので、羌瘣が颯爽と現れ、
「私の隊(羌瘣隊)はいるか!?」(197ページ)
との羌瘣の呼びかけにすぐさま「ハ!」「ここに!」と
複数名の羌瘣隊メンバーが応えたことは、
最初に読んだ時には少し違和感を覚えました。
少数精鋭の特攻隊に都合よく羌瘣隊メンバー複数人いたってこと?。

でも実際、もちろんそうではないでしょう。
これは先述した「散って合流できない隊が多い」がそのヒントでした。


羌瘣が戦場に向かう途中、散っていた飛信隊の小隊を少しづつ発見し、
その中で自分の隊のメンバーを収集しつつ
道すがらメンバーから今までの戦況を聞き、戦況を理解・分析しつつ
目的地を定め、向かっていたのだと思われます。

そしていよいよ本陣急襲する信と河了貂まで合流しようとする際、
敵に捕まって河了貂が狙われることを察した羌瘣は、
自分の隊を追従させつつ自分だけ先に抜け、
単騎で河了貂を囲む敵に突進した
のでしょう。


そして敵を討ち、河了貂の無事を確認した後、
追従しているはずの自分の隊のメンバーに対して
「私の隊は(ちゃんとついてきて)居るか?」
と確認したのだと思います。


考察:羌瘣に追従するのが「羌瘣隊」でなければいけなかった理由


もちろん、羌瘣は信の直下の「飛信隊」を、
人事的に動かす道理がないのは前提だと思います。

ちょっとだけ、黒羊戦初日の斥候まで話を遡ります。

この時、10数名として羌瘣に同行したメンバーは、
羌瘣の部下(羌瘣隊)も居たかもしれませんが
大部分は河了貂(飛信隊)から斥候部隊として雇われたメンバーでしょう。

その根拠は、1日目夜、羌瘣が趙軍野営地に夜襲をかける前、
42巻58ページ、「孫仁」と名乗る隊員が「羌瘣」と
名前呼びしている一方で、「副長」と呼ぶ隊員もおり、
立場がそれぞれ違う隊員がいるような描写がされていたからです。

夜襲突撃前に孫仁から「やりすぎだ」と止められた羌瘣でしたが
(59ページ)、結果的にこの時は説得することが出来ましたが、
このように自分の行動を足止めする行為について、
羌瘣の戦いからは排除したいのが正直なところでしょう。

羌瘣隊である理由は、これから行う戦いに、
羌瘣の戦い方に必要な役割を持っている「羌瘣隊」のメンバーが
必要だった
から、であると思っています。
この後の考察の中で、具体的な彼らの役割について
一緒に解説していきます。


考察:羌瘣足留めの戦いから救出ハグまでの深堀


■羌瘣の立ち上がれないほどの消耗の訳


主な理由はもちろん

・早々に以前の傷口が開いたこと
・そもそも食い止める対象の隊に対して少数で対抗したこと

なのでしょう。

ただし大きな要因は、羌瘣がここでの戦いに、
それまでやってこなかった戦い方をしたことだったと思います。


前提として、ここは「足留めの場」であることです。
「将を討つ」ことは主要な目的ではありません。

劉冬を早々に討ってしまったら、
もちろん全力で討った羌瘣を倒すように動くのが通常でしょうが、
劉冬の兵は「劉冬を守る」ミッションがなくなったため、
本来の目的である「慶舎本陣救出」に即座に向かってしまう
可能性もあるでしょう。


まずは隊長である劉冬を斬り付け、落馬させました。
本来は刺客である羌瘣は、下馬した状態の方が
断然有利に戦えるのもあるでしょうが、下馬させた主たる目的は
「敵兵が自分に集中砲火を浴びせるため」だと思います。

劉冬から即座に反撃されたのは羌瘣には意外だったようでしたが、
劉冬が下馬していることで、
劉冬を守ろうと他のモブ兵も羌瘣を攻めに集中してくると想定できます。

羌瘣の戦い方は、味方を守りながら戦うことは考慮できません。
山陽戦での予備軍で、介子坊私隊と一人で戦ったのが、まさにそれです。

なので敵が一斉に自分を狙う方が、
味方兵から強敵を離すことが出来る意味で都合がいいはずです。

なのでまずはそんなわけで寄ってきたモブ兵から片付けつつ、
劉冬から攻められたら左手の指を切り落とすと言う手段(44巻21ページ)
で致命傷を与えないように攻め、
それで敵の足を止めていたのだと思います。


ここで、羌瘣は戦いながら信を憂いていますが、これはおそらく
信の闘気を読みながら戦っているのだと思います。

信が慶舎を倒すまで、この戦い方を続ける必要があるでしょう。
羌瘣は遠隔でも大きな闘気を察することは出来ています。

その例は、
馬陽戦にて龐煖の出現をいち早く察したこと(13巻147ページ)、
朱海平原でも右翼に居ながら左翼に出現した龐煖を察することが出来たこと
(55巻159ページ)です。

信に対しても、
著雍戦の初日、凱孟との一騎打ちの状況(36巻37ページ)、
朱海平原の戦いで岳嬰を討った瞬間(52巻52ページ)
を遠隔で察していました。


遠隔で信の気を読みながら、大勢の兵を相手にし、
劉冬へある意味「手加減」して戦う・・・。
こんな戦い方はこの時が初めてだったはずです。

彼女の「息の消耗」は自分自身にも想像つかない
体力の消耗だったのではないでしょうか。


信が慶舎を討ち、退却時に信は振り返ってます(44巻47ページ)が、
羌瘣がまるで目線を感じるかのように見上げているのは
偶然ではないのでしょう。

それはまさに緑穂が、
劉冬の胴を貫いた瞬間(48ページ)とまさに同じでした。


即死させない刺し方は、
当初から「守り子」を返すことが目的だったからでしょう。

看病をしてくれた村を経つ際、
「(劉冬に)機会があったら返す」(44巻102ページ)とは言ってたので、
戦況によっては無理はしない前提ではあったでしょうが、
羌瘣としては対峙する以上は「必須」と思っていたのかもしれません。

しかしこのような即死しない腹部刺し傷は、絶命まで相当苦しいはずで、
少しでも苦しみが和らぐよう考えたのでしょうか、
前向きに堕ちそうな劉冬に羌瘣は体重を乗せたような描写
(49ページ)のあと背を下にして倒し、
その手を取った後「お前が恐れるようなことは離眼で起こさせない」
(50ページ)と伝え、羌瘣は守り子を劉冬に握らせ、絶命を見届けました。


劉冬の絶命時、体の苦しさと引き換えに、
心の安らぎ・・・は難しいでしょうが、
少しでも心穏やかに最期を迎えられたことを、祈らずにはいられません。


■救出ハグを成功させた2つの奇跡


信が慶舎を討ち取り、羌瘣も劉冬の絶命を見届けた直後、
劉冬軍の更なる追撃からの退却を指示するも、
羌瘣は足腰が立たない状態になってました。

戦いでの呼吸の消耗に加え、
劉冬へ守り子を返すことが果たせた緊張の解けもあったのかもしれません。

この時羌瘣は驚きの表情(44巻52ページ)を浮かべました。
羌瘣にとって未経験の連続で、
当の本人もこんな消耗が想定外だったのかもしれません。


羌瘣隊が追従する必要があり、
羌瘣が他のメンバーを温存するような戦い方をしていたのは、
羌瘣がふらついた直後、「副長、今助けに!」との声がけが
隊員からされた描写から、仲間に「戦った後の自分のケアをさせる」
必要をこの時からすでに見越しており
、そのミッションを
羌瘣隊のメンバーにある程度事前共有していたのではないかな?、
と想像しています。


これは朱海平原の戦い3日目の羌瘣の戦い方(51巻27ページ〜)で
明らかになる戦い方なのですが、
この時はあらかじめ用意していたメンバーではない
(2番目の考察項を参照)ですし、数も少ないでしょうし、
本領発揮ができない状況でもあったでしょう。

羌瘣の仕込み?は残念ながら実を結ばず、
助けは敵兵に遮られ虚しく届かず、
「間に合わない」(44巻53ページ)と退却を諦め、再び留まって戦闘か、
と羌瘣も覚悟を決めて、闘気を高めていたと思います。


その瞬間、まさに刹那の判断でした。

先程まで自分が遠くで追っていた気配、そして、
先程まで遠くに感じていた視線がすぐ後ろにある
ことを、
振り返らずとも感じたのでしょう。

その確信を持って羌瘣は振り返り、
目が合うのと同時に視線の先に向け、渾身の力を込めて飛び込みました。


この刹那の状況は、考えた上での行動ではなく、
咄嗟の反射の行動だったはず
です。

そして羌瘣の場合、剣を手にして闘気を高めている際に
背後から迫る気を感じた場合、43巻197ページのように、
相手が斬られたことが自覚できない速さで「有無を言わさず斬る」ことは
刺客の訓練しながら育つ中で反射として体に染み付いていたはずです。

この反射を抑えられ、信に飛びつくと言う行動を起こせたのは、
羌瘣が日常的に真剣で向き合ってきた信との「命の預け合い」が、
大きな信頼として積み重なっていた証だったのだと思います。

そして、もしかすると離れる直前に信が伝えてくれた
「後でまたすぐに会うぞ」(43巻200ページ)の言葉を受けて、
羌瘣は無意識かもしれませんが深層意識の中で、慶舎を倒した後、
必ず信が戻ってくると信じていたことも相まったのかもしれません。

信への信頼が、体に染み付いた反射を超えたからこそ
この行動が起こせたのでしょう。


同じシーン、信に視点をスライドします。


羌瘣を抱え上げる直前の信の腕は、
背後から地面に膝をついている羌瘣を抱え上げようと言うほど
地に迫っているわけではありませんでした。(44巻53ページ)
羌瘣が飛びつかなかったら羌瘣を抱えられなかったでしょう。


もちろん刺客の羌瘣に背後から迫るリスクも理解していたでしょう。

山陽戦で輪虎を討った直後、
介子坊私隊を一人で壊滅させた羌瘣を発見した信は、
後ろ向きの羌瘣に近づきましたが、
その際は羌瘣は「なんだ、お前か」(22巻83〜84ページ)と、
気配を察していたものの、振り向いてから信を認識してました。
(これは信の認識で、羌瘣はゆっくりと振り向いたので
 「敵ではない」あたりをつけての振り返りだったとは思います。)


もしあの時と同様だったならば羌瘣は背後からの気配に気がついても
ふり向かず、そのまま刃を自分に向けるはずです。

でも信はきっとあの時よりも
日常的に積み重ねてきていた「命の預け合い」で培った信頼が、
自分(信)の背後の気配を気づかせてくれるはず
そして必ず振り向き、伸ばした腕の中に飛び込んでくれると
信じていたのでしょう。

案の定振り向いて目が合った瞬間確信に変わり、
力強く羌瘣を抱えられたのだと思います。


以上のように、
羌瘣の「信頼が生み出した、刺客としての反射を超えた判断」、
信の「羌瘣が必ず背後の自分の気配を分かってくれる信頼」、

二人に「積み重なった信頼」が片方でもなかったら、
この救出は達成できなかったことでしょう。

まさに奇跡。。。

キングダムで、
二人のお互いへの信頼の強さが初めて顕在化したシーンとなりました。


■救出ハグ後、羌瘣の心に芽生えた思い


この記事の後、こちらの
羌瘣が自分の「刺客」的役割を黒羊戦以降は封印する
考察記事を公開しました。
そっちでは触れてはいませんが、この救出シーンも間違いなく、
封印理由の一つではあるでしょう。

本来、反射で反応しなくてはならない
「刺客として体に染み付かせている剣技」が出来なかったのですから。


でも羌瘣にとっては、
それと引き換えに得たものはとてつもなく大きかったはずです。


人間の脳は、スキンシップすることで、
「愛情ホルモン」と呼ばれる(?)オキシトシンが分泌されるそうです笑。

自分が主体的に求めた信との胴の密着
(正確には信の甲冑に密着してるわけですが笑)に加え、
信が腕で抱えてくれていること、そして顔を寄せ合っていたことから、
おそらく羌瘣がこれまで得たことがなかった、
なんとも言えない安心感やたくましさが感じられたのでしょう。

この心地よさに、窮地を救ってくれたというシチュエーションも相まって、
信が「命を分け与えてくれている」ような感覚を覚えたのかもしれません。


もっとも、最初のハグは山陽戦の例のシーン(笑)ではあるのですが
羌瘣が「主体的に」信に抱きついたことが違う点ですよね。
主体的になることで「気づき」も発生したのでしょう。

羌瘣はそしてこの時から、深層意識に
「信が分けてくれた命だったら、自分の命は信に還元すべきに値する」
と言う考えが置かれ、

二人の時間を重ねることで、次第に信に対して
「命を分け与える存在」の位置付けの思いが強くなっていき、
そしていつしか「信のために命を捨てても構わない」気持ち
シフトしていったのでしょう。


朱海平原3日目の天幕での告白は、信を「命を分け与える存在」と認識し、
初めてそれを伝えようと行動した出来事だったことは間違いないでしょう。
でもその土台となる気持ちはきっと、
ここの救出ハグで生まれたこの感情だったはずです。


最後に


当初この考察を書き始めたのは、アニメ5期の放映が熱い時期に、
黒羊戦周りの考察を書いちゃおうと、
勢いで書き始めたのがきっかけの考察でした。

当初はハグ直前の羌瘣の戦況&ハグ後の信の逃走分析(笑)で、
そのまま完成させていたらさらに目も当てられないような
マニアックな内容になっていたと思います。

その内容は今回没になったので、
ネタがなくなって暇になったら公開するかもしれません(笑)。


それにしても、やっぱりこの作品は、
どれだけ深く掘ったら底が見えるんだと、今回もあらためて実感しました。


しばらくこの考察レベルの、
マニアック的に深くてしかも長い(笑)考察が続きますが
またお付き合いいただければ嬉しく思います。

ここまで読んでくださってありがとうございました。


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