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僕のことEpisode1

高校卒業の頃、就職氷河期真っ只中だった。介護の道を仕方なく目指した。

父が前頭側頭型認知症となり、介護が必要な状況となり、日々衰え、手のかかる父をただ見ていた。母が熱心に介護していた。
自分の親の介護は複雑な思いがあり出来なかった。年齢的に若かったからかもしれない。

そんな中、母に介護の専門学校を勧められた。
就職もパッとせず、なんとなく入学する事になった。

社会福祉士コースしか空きがなく3年過程の社会福祉専門学科になんとなく入学した。
時代は介護保険がスタートする頃。
教科書には認知症が痴呆症、知的障害者を精神薄弱者と書かれていた時代。

勉強より遊んだ記憶が鮮明。
介護実習や、望んでいないボランティア活動への半ば強制参加に違和感を感じていたが、3年を経て卒業。

卒業と同時に介護福祉士受験に合格、社会福祉主事任用資格資格、社会福祉士指定科目を習得した。

とりあえず介護をするしかないのか。そんな気持ちで介護職生活を始めた。
どこも長続きせず、精神病院、グループホーム、療養型の病院と数年で転々としていた。
介護業務のいかにも業務な殺伐としたルーティンな、でも責任感が付きまとい、聖者でなければいけないような雰囲気、んな割に擦れたスタッフたちの中にいるのが苦痛に感じていた。

自由になりたい、外で仕事をしてみたい、閉鎖的社会から出てみたい。そんな思いがつのり、上京した。

上京してからはアルバイトで配送、運送、ホテル業など経験し、ITベンチャー企業(カーナビ開発)でアルバイトから社員になる事ができた。嬉しかったし楽しかった。充実した毎日だった。

数年で会社が倒産した。
父も他界した。

気づけば30歳。再就職を試みるも希望する職種に採用される事はなかった。

生活するには…

介護の道へ戻ることを選んだ。半端な介護歴で採用されるか心配だった。アルバイトでの応募に面接したが心配とはよそに正社員で即決だった。

老健でそれから6年介護職として再スタートし基礎を学び直した。自信も付き、次第にリーダーを任されるようになった。
それと同時にトップダウン形式の風土(上からの命令、指示に従うのみの仕事)のやり方に反発、介護研究では「介護職員のメンタルヘルスについて」と題打って立ち向かったりもした。普段の仕事上でも理不尽な看護部長や主任や先輩に噛み付いた。泣かせ、怒らせもした。

スカッとしても虚しさが残った。

根本的に解決していない。

今で言う「誰得よ?」ってやつ。

その頃ちょうど大河ドラマ軍師官兵衛にハマって学んだ。

「命の使い道」

すなわち「人をどう使うか」

軍師官兵衛は戦わずして勝つ方法を重んじていた。
そこからそんな生き方をしたいと感じるようになった。

続く
https://note.com/tender_jacana259/n/n7728730cb8df



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