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人生は 想定外


今日の朝も、キラキラと輝く新鮮な空気の中、気持ち良く近所をお散歩していたら、昨日スーパーの店内でミニモニの「ジャンケンぴょん」が流れていたのを思い出した。

「美味しい牛乳飲むのだぴょーん」

と歌いながら、どんどんアホになっていくなあ‥と感慨深くなった。

 でも

「非論理的になって、どんどんバカなことをしなさい」

とエイブラハムも言っていたなあ‥と、よぎる

そして、

「自分を信じて行くのだびょーん」

というフレーズにたどり着いた時、

はっ! とした。

「能天気な歌なのに、いいこと言ってる。」

当時は気がつかなかったけど、スピリチュアルな歌だったのね。この歌は、歌っていくうちに、どんどん自分が好きになっていく不思議。今日も一つ、良き発見があった。

皆さんも良かったら聞いてみて下さい。波動上がります(笑)

最近朝のお散歩中、色々なメッセージが来て「歩く瞑想」にもなっているので始めて良かった。

そうして家に着いたら、朝から一本の電話がかかってきた。

それは、「不登校、引きこもりの子たちを支援するサポート校に、週3日短い時間でいいので来てくれないか」というお誘いだった。たまに家庭訪問もするらしい。

以前の私だったら、「不登校の子たちは気まぐれで、心をかけてもなかなか通じ合えなかったり、根本に潜む問題が様々なので難しいけど、頑張って救ってあげられるかなあ」

みたいに、思っただろうだけど、今の私は、

「あ、だったら生徒のみんなとお友達になって、オラクルカードやカラーセラピーで一緒に遊べるかも!」

という発想に至った。

やっぱり気分が変わると発想も変わるみたい。

以前教員時代に、先生たちからは「手相を観てほしい」と言われ、生徒たちからは、オラクルカードやタロットで「恋愛や進路を占ってほしい」とよく言われた。

放課後、部活担当ではない曜日はいくつか鑑定の予約が入っていて、もちろん無料だから「みんなに広めないでね」と口約束したのに、なぜかだんだんと予約が増えていった。当時よく管理職たちにばれなかったなあと、振り返る

肝心な翌日の授業準備そっちのけでやっていたので、私にとっては、

人に、その人自身の「本質的な部分」と向き合ってもらうことが、一番の喜びなのだと思う。

そしてさかのぼること数年前、仲良しの数学の先生が放課後やってきて、「手相で今後の仕事運を見てほしい」と言ってきたので、運命線を中心に細かく見た。

私は、「その人のためになるなら‥」と思えば、つい何でも正直に言ってしまうタイプなので、

「前の仕事の方が合っていたかも」

と、思わず言ってしまった。その先生は前職営業マンで、教員に転職して数年、という頃だった‥

彼は、私のこの「びっくり発言」を聞いたとたん、図星と言わんばかりに目をまん丸にしたまま、3分間くらい周囲を歩いて彷徨っていた‥

そしてさらに、バカ正直な私は、

「2〜3年後に、今の仕事に対して迷いが出てきそう」

とも、伝えてしまった。私はある時、彼の授業を参観させてもらった日のことを同時に思い出していた。
知識は豊富にあるから分かりやすいけれど、教員という型から外れるのを恐れて、覇気がなく、いつもの職員室での先生らしくないなあ‥と思って見ていた。

私と話すときはいつも、私の心の琴線に響く言葉を明るくかけてくれる人だったから、

学校というルールでできた「箱」の中に収まって生きていくにはもったいない人だなあと‥よく感じていたことが、そのまま手相に現れていた。

その後、同じ英語科なのに普段はあまり話をしない先生からもなぜか頼まれて、また手相の運命線を見ていた。私は息を飲んで‥

「学校辞めたいと思ってる?」

と思い切って聞いた。すると彼女はびっくりした顔をして、実は息子が心臓の病気を患っていて、7歳になったら大きな手術をする予定だから、今は仕事より息子の方が大事なのだと言った。

ああ‥ だから、去年から時短勤務になったのかあ‥と腑に落ちた。さらには左手と右手の手相が全く違っていたので、「無理して頑張ってるね」と言ったら、

「そうなの、私ずっと嫌々勉強やってきたけど、本当はすごい怠け者で、働きたくないの」

と、驚きの発言が返ってきた。

学校の先生たちの間では、「やり手でバリバリの彼女」だったので

人はみな、様々な魂の課題を抱えて生きているんだな‥と切なくなった。きっとこれから彼女は、頑張ることをやめ、仕事ではなく「温かい家族愛」をテーマに生きていくのだろう

生徒たちに対しては、タロットやオラクルカードを用いて占っていたけれど、私が話し始めるにつれて、すぐに生徒たちは必ずと言っていいほど自分で自分の本音に気がついて、

「本当は、◯◯したかったの。」
「実は、◯◯しようと思ってたの。」

と、勝手にペラペラしゃべり出すので、私はただうなずいて聞いているだけでよかった。ああ、これがセラピーというものなのかと、この時知った。

そんな過去を持つ私なので、もしこの経験が、不登校や引きこもりの子たちの心を救う一助になれば嬉しいと思う。

こうして普段なら引き受けない仕事に惹かれる気持ちを持てたのは、これまで細々と、間隔を開けながらもプログを続けてきたからかなあと思う。

気がついたらこの記事がやっと100投稿目になった

ブログに綴る一字一字に、今まで蓋をしてきた内なる声や想いを乗せる行為が、自分でも気がつかなかった自分の本音に深く寄り添っていく作業にもなり、初めて自分としっかり向き合うことができた。

ただ次々と溢れ出てくる様々な感情を抑えて書くのに苦労した。

けれどnoteの方々は、とても精神性が高い方が多いのでたくさん学ばせていただき、触発されながら私も成長したいという気持ちが高まっていった。

そして

日常を淡々と記しながら、気づいたら書くことは、私にとってクリスタルボウルやドラムと向き合うときと同じように、とても神聖なものとなり

始めた頃の投稿ペースのようには全然書けなくなり

一つ一つが、自分にとってはとても大切なものとなった。

ブログを書くことで自分の本音を知っていく怖さもあったけれど、心が浄化される瞬間もあり

こうして細々ながらも続けてこられたのは、読んで下さる方々のおかげであり、いつの間にか人々の幸せを、深層意識で願いながら書こうとしていて

書くという一瞬が

大切な祈りの時間になった
 
そして、これまで自分が抱えてきた苦しみも、少しずつ癒されていった。


人は、様々な魂の課題を抱えて

生まれてくるけれど

それを乗り越えるため、

生まれ落ちた瞬間に忘れてしまった

「本質の自分」

を深く知っていく大切さを

思い出せば

ただ生きているだけで

すべてが楽しいと感じられるから


エゴを満たすだけの夢を追い、達成することや、

自己肯定できない欠落感を埋めるために

何かを手に入れること、 

他人から認められることに

フォーカスすることなく 


自分の魂をただ 飛び上がるくらい

喜ばせてあげる在り方で 

近くて遠い 安らぎのオアシスまで

抗うことなく


ゆるやかに 優しく


流れる光に 導かれるままに


運ばれていって、


感じるままに


自分という本質の素晴らしさを


キラキラと輝かせ 笑っていよう


私は、周囲の人たちから「まさに適職だね」と言われながら、

受験英語のテクニックを教え続けた結果、


心が壊れ、本質の自分とかなりずれていたことに気づき、


もう努力して生きるのは辞めて


無邪気で純粋だった本質の自分に戻ろうと


流されるままに放浪している 


そんな私の今の好きな言葉は 


人生は 想定外




































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