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3.深く、強く、永遠に刻まれるもの

辺り一面をほんのりと温かいオレンジ色に染め上げている朝焼けが美しい中、母は2つのポケットを揺らしながら、

満ち足りた気分で歩いていた。

おじいさんからもらったみかんが、歩くたびにポケットの中で弾むリズムに合わせて、

母の心も弾んでいた。

毎朝おじいさんと会って話をするだけで、スーッと胸の支えが取れたような、心の詰まりが流れていくような、ほっとしたような感覚になり、その後には今日を生きるエネルギーがふつふつと力強く湧き上がってくるのを感じていた。

「おまはんは強いじゃろう!」

と、おじいさんはよく言う。きっと、母が発しているエネルギーの強さに惹かれているのだろう。けれど母からすれば、おじいさんから流れてくる穏やかなエネルギーが、母の頑な心を温めて溶かしてくれる

何ものにも変えがたい、力強いエネルギー

であることを、何とかして言葉にして伝えたいと

いつも思っていた。

母はおじいさんとの奇跡の出会いに心から感謝していた。こんなにも優しい気持ちになれたのは初めてだったし、精神的に深い結びつきのある関係が、人間の成長や学びにとって最も大切であり、大きな財産であったことにようやく


73歳になって気づいた。


そんなある日、

おじいさんは

とても小さくて細長い形をした一枚の紙切れを、

母に差し出した。

「わしの電話番号じゃ。おまはんのも書いて。」

そう言われたと同時に母のもう片方の手には、同じように小さくて細長い紙切れとペンが手渡された。
 

家に帰り、母はその紙切れをじっと見つめた。

おじいさんの書いた、ちょっとくせのある字。それを見つめるだけでふっと、小さな笑みと安心感がこぼれてきた。



「心臓が悪いから、2、3日入院することになった。」

そう聞かされたのは、それから間もないことだった。その日のおじいさんは、いつもより元気がなかった。今まで元気に一緒にお散歩してきたおじいさんとは、少し違って見えた。

どんな言葉をかけようかと思案していたとき、おじいさんは、着ているジャンバーを開いて、

「ここに手を当てて、大丈夫、と言って。」

と、左胸を指差して言った。

母は、おじいさんの胸にそっと手を伸ばし、

手のひらを開いて

「大丈夫、大丈夫!」


と、しっかりと力を込めて2回、繰り返した。


その瞬間、今を生きている

おじいさんを確かに感じた。

「ありがとう」

とおじいさんは、言った。


しばらくぼう然としていた時、

後方からとても元気そうな90歳くらいのおばあちゃんがやって来た。

おじいさんと知り合いだったみたいで、しばらく楽しそうに話していた。

そしておじいさんとの会話が終わった後、今度は母に向かって
    
「あんた、風邪ひかんようにね!」
 
と、何度も何度も、気遣いの言葉をかけてくれた。


そして、


そのおばあさんの後ろには、

おばあさんの息子さんが

少し離れたところからついて来ていた。


「優しい息子さんじゃのう。」

おじいさんはぽつりと言った。


人はみな、気づかないうちに

誰かに支えられて生きている。

孤独なように見えても、

誰かの真心を

どこかで求めて生きている。

そして、そんな真心だけが、

私たち一人一人の

人生劇場のページに

深く 強く 永遠に刻まれていく


決してなくならない

確かなものだけを求めて

人は彷徨う

そして、

母はある日

なくなることのない 確かなものを

体調の心配な おじいさんのために

そっと 手にとった


「おじいさんにも渡したいけど、喜ぶかなあ‥」


母が子供のように無邪気に覗き込んだ先には、


小さな小さな

地球のような丸い形をした


金色に光輝く同じキーホルダーが

重なり合って 2つ揺れていた







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