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「人対人」という境界線をなくすことで「今」を安心して生きられる

2日前に、介護施設のアルバイトに初出勤した。

私は資格がないので、仕事は掃除、洗濯、調理補助などが中心で、直接お年寄りの方と触れ合う機会は少ないのだけれど、一人のおばあちゃんと一人のおじいちゃんと、初日に仲良くなった。

おばあちゃんは、ずっと私を見つめて後ろをついてきて、何かしゃべりたそうな感じだったので、話しかけてみた。

そしたら、「ここの食事は、食べられたもんじゃない!ハンバーグやラーメンを食べたいのに、外にも出られない!」

と、まず元気に食事の不満を口にした。そして

「寝てばかりいたら、腰が痛いのも治らないので、廊下をずっと歩いていると、すぐ部屋に戻される!」

と怒りながら、廊下をゆっくりと歩いていた。私は、
 
「そうですよね、寝てばかりいたら治るものも治りませんから、軽く運動するのが腰にも一番ですね。」

と、言いながらおばあちゃんについていた。

おばあちゃんはゆっくり歩き回っていると、必ず入り口のドアの前に行き着く。そして、光の差すガラス張りのドアから

「外の世界」を眺める。

おばあちゃんの

「反対側の狭い世界にずっと閉じ込められている」

苦しみが、切なく伝わってきた。

おばあちゃんは、最初は口悪く話していたのだけれど、だんだんと、私が離婚していることとか「身の上話」をしていくと、かわいい笑顔でニコニコ聞いてくれるようになった。

こっちがほんとのおばあちゃんだって思った。

その後、リビングで「地図」をひたすら眺めているおじいちゃんに出会った。「初めまして」のあいさつをして、「私の家はこの辺りです」と地図上の位置を差すと、おじいちゃんも自分の家のある位置を教えてくれた。

そして、奥さんに先立たれたので、自分でここに入所してきたのだと教えてくれた。

その後、おじいちゃんのお部屋に掃除機をかけに行ったとき、可愛らしい奥様の写真が、まず目に飛び込んできた。そしてその周りには、お孫さんたちとの写真やもらったお手紙などが飾られていた。

ここの施設の方たちは、奥さんに先立たれた男性が多いということを、職員の方から聞いた。

どの部屋にも、すぐ目に入る場所に奥さんの写真が飾られてあり、今も写真の中の奥さんたちは、旦那さんたちを優しくほほえんで見守っていた。

私はこれまで教員として、未来の可能性で溢れている子供たちと向き合ってきて「生きる力」を分けてもらっていた感じだったけれど、これからは、私が施設の利用者の方々に「生きる力」を分けてあげなければと思った。

そして「死生観」という言葉が脳裏にずっと浮かんでいた‥

「どのように生きてどのように死んでいくのか」

人生後半に差しかかったのに、まだ明確に考えたこともない私。そう思うと少し焦燥感が生まれた。

人間は一人で生まれ一人で死んでいくものだけれど、、

いざその時になった時、自分の周りに確かに存在していた人々から受けとった「愛や優しさ」が

「永遠」を教えてくれる。

それは、誰にも搾取されず、時を超えても消えることもなく、温かく、静かに香って漂い続ける。

そんな「愛」を、自ら与えていく時期に入ったんだなあと少し使命感を持つ。

わたしは、おじいちゃんおばあちゃんたちにとって、形としては、「赤の他人」にあたるけれど、同じ宇宙から生まれた大切な「仲間」であり「家族」であり「自分」であり、

お互いが抱える苦しみや悲しみを

「人対人」という境界線をなくして

感じ合って、分かり合って、癒し合い

私の方からお年寄りの方々に心の平安を与え

「今」を安心して生きてもらえたら  

それでいい



















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