御本拝読「フローラ逍遥」澁澤龍彦

耽美、幻想、フランス

 澁澤龍彦、と聞くとやはりこの三つの単語。私が法学部生だった時、出版物の表現にかかわる裁判でその名を知って、作品を読んでみたがいまいち大好き!とはならなかった作家。元々、エロやグロに耐性の低い私の悲劇である。
 しかし、その後、彼の小説ではないコラムやエッセイ、フランスにかかわる読み物を読んで理解を深めた。彼の表現は実はとても冷静で端的、人間の欲や性からは一番遠い。飄々としてフランスの風になったような人で、その最期までなんだか幻想小説の主人公のよう。
 中でも、年に最低二度は本棚から取り出して読み返すのが、この「フローラ逍遥」。美しい花々・イン・ザ・澁澤ワールドな一冊。
 この本、挿絵も豊富で大変すばらしく、何度見てもうっとりしてしまう。ひょっとしたら、私のわずかな耽美の原点はこの本かもしれない。

知の巨人

 花を見る時、私たちは何を思うだろう。綺麗な色、珍しい形、かすかな香り……。多くの人は、「季節」や「なんとなくいい感じ」なども感じるだろう。それが花束として贈られればそこに「愛情」や「儀礼」を感じるかもしれないし、数万円の値が付いていれば「芸術」「財力」と結び付けるかもしれない。
 しかし、澁澤先生の世界では、突然その球根から神話や歌(詩歌も歌謡曲も)へと思考が広がる。ヨーロッパの文化、日本の文化、その歴史や繋がりまで一気に駆け巡り、作家個人の思い出や経験へ帰結する。
 およそ普通の感覚なら結びつかないだろう連想やエピソードに、何度読んでも驚かされる。もちろん、一度読んだらそれは事実として覚えてはいるのだが、この本のこの文章で読むことに意味があるのだ。さすがは澁澤龍彦、と毎回平伏している。
 そこには、単なるフランス文学の大家や耽美と幻想の旗手としてだけではない、植物と人間の文化に深い愛情を抱く知の巨人のあたたかな掌とまなざしがあった。

ずば抜けた表現力

 実は、妹の澁澤幸子さんのエッセイも好きなのだが、共通点は「表現力の高さ」。同じものを見ても、常人が二つか三つの形容詞しか思い浮かばないであろうところを、この兄妹は十や二十の言葉で表現する。そしてそれが、いつも研ぎ澄まされた正確さなのである。
 この本の各章の副題を眺めているだけで、私は色んなことを考える。「ナルキッソスの自家中毒」「群がる星のように」「美少年と球根」……よくこんな単語が、と思いながら、読み進める。恥ずかしながら、初めて読んだときは何度か国語辞典を使った
 内容の面白さ、高尚さと並んで、砕けているのに美しく凛として清々しい日本語。読んでいるだけで、なにか貴重な宝石を飲み込んでいくような密やかな幸福
 少し話がそれるが、いつからか縦書きの本の一段落がほぼ一行か二行になっている気がする。特に現代の小説は。別にそれを悪いとは思っていないが、段落の付け方や助詞の使い方等、私はこの本くらいの方が読みやすいし説得力があるように感じてしまう。

部品としての

 法学部生だった時に授業の参考資料として読んだサド侯爵の小説や澁澤文学は、当時の自分にはショッキングで思わず目が拒否した。しかし、歳を経た今あらためて読めば、現代のネットや書店に溢れるティーンズラブ漫画や官能小説、映像画像に比べればなんと淡々としていることか。今なら中学生でも「えー、ぬるくなーい?」と言いそうだ。
 それを踏まえて本書を読むと、官能的、幻想的なことを訳したり書いていても、澁澤先生は根本まったく変わらぬ人だったことが分かる。いたずらに大衆の性欲を刺激するための文学ではなく、美やヒトの文化や生態の表現の一つとしての文学であった。いや、だからといって過去の判例に文句は言わないが。
 本書にも、突然前置きもなく官能や耽美を思わせる言葉が飛び出すが、そこになまめかしさやいやらしさがない。ここでこのことを書くのに必要だからこの単語を使っている、以外の意味がない
 澁澤先生のエロティシズムは実はとても淡々としていて、感情や思惑がない。とても冷静な観察者として、物事を正確に分析し、仕分け、定義づける。ここでは、エロティシズムは、美を形作る部品の一つでしかないのだ。

まとめ

 実は、この本についての感想文を何年か前、二十代の半ばで一度書いていた。今回一からこの文章を書いているが、その時よりも本書を好きになっていることに気づいたし、とらえ方も若干変わっている。当時は、「澁澤文学は理解できないけどこの本だけは好き」スタンスであったが、今は「この本が一番好きで、澁澤文学も少し理解できてきた」
 美しい花々への思いが、本当はもっと情熱的で甘い言葉でも表現できたであろう。それをあえて淡々とまとめているところに、深い愛情を感じる。古き良き、日本人の持つ美徳に通じる気がしている。

おまけ
 この本が好きな私は、今は、稲垣栄洋さんの書く植物の本が好きだ。このお二方には、共通したところがある気がしている。

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