御本拝読、志賀直哉

・志賀直哉

 私が一番長く好きでいる作家。芥川でも太宰でもなく、志賀直哉。ハルキでもカワバタでもなく、志賀直哉。好きな作家は?と聞かれて意気揚々と答えるも、「?」という反応をされることの多い志賀直哉。私のnoteの第一歩として、この作家について書いていきたい。

(短編)小説の神様

 志賀直哉の最も有名な作品は自伝的長編「暗夜行路」だろうが、私は、その他のたくさんの中・短編にこの作家のきらめきが詰まっていると思っている。
 志賀直哉の文章は、基本的に一文が簡潔。状況や経過を淡々と述べてくれるので、話の筋が理解しやすい。説明しなさすぎでは?と思うほど、その言葉の連ね方・切り出し方は恬淡である。
 それぞれの登場人物にも、もちろん繊細な感情がある。しかし、それを長々と描写したりはしない。葛藤や鬱屈、喜びや誇らしさ……事実だけをテンポよく並べることで、その解釈を読み手に委ねていく。

 初めて私が志賀直哉を読んだのは中学生の時。夏休みの読書感想文でいくつか候補が出された中の一つが「小僧の神様」で、かれこれ二十年以上愛読していることになる。
 優しい人が必ず救われるわけでもない、まじめな人が必ず報われるわけではない。時に残酷なほどに、現実は人の感情や倫理を無視して決着していく。
 それでも、世間や自分に対して悲観して嘆いて恨んでばかりではいられない。志賀直哉の小説は、華美な表現では書かれていないが、それを抱えても、とにかく前へ進み生きていく人間の強さが詰まっている。
 本当に強い人間というのは、自分の思い通りにならない現実の中を自分の力で精いっぱい生ききる人ではないだろうか。
 中学生というタイミングで読んだのは、私にとってはとてもよかった。当時の私は、出生をただ嘆いて、ぱっとしない自分を周りのせいにして、ほんの少しの不幸や不遇に酔う痛々しい厨2病患者であったのだ。
 志賀直哉の小説で、甘ったれた子供の私は脳をがつんと打たれたなまじ成績や外面がいいだけに、当時の私には自分の根本的な「嫌な部分」を叱ってくれる大人がいなかった。志賀直哉は、いわば私の精神的な育ての親である。
 
 実は、この時の読書感想文で学内の賞をもらい、そこから細々と公募の詩やエッセイや小説でちょっと賞に入れてもらうことがかれこれ十五年近く続いている。それで食べていけるわけではないが、一人で噛みしめるひそかな心のご褒美である。

閑話休題。とりあえず、志賀直哉のおすすめを。


 志賀直哉をこれから初めて読む、普段あまり小説は読まない、という人に、まず「暗夜行路」はすすめない。いわば身内の愛憎ドロドロ不倫沙汰から一旦逃避して、自我や自己の受容に至るお話。好きな人は好きだろうし、一昔前の昼ドラの脚本のような長編。実は志賀直哉の他の中・短編に散らばっていたエッセンスを拾ってきて、うまくブレンドしたようなものに、私には思える。文庫本でも上下編に分かれるぐらいの超長編なので、他に読むものもなくてお時間があるなら、というくらい。
 個人的には、やはり「小僧の神様」を推す。他、「范の犯罪」「赤西蠣太」も、個人的に好きで今でもたまに読むくらいだ。
 ベタかもしれないが、「城崎にて」。これも、志賀直哉にしか書けないと思う。
 変化球で、私がとても好きなのは「菜の花と小娘」。暗夜行路や范の犯罪書いた人が書いたとは思えないほどのメルヘンでふんわりかわいらしいお話。なんだか、頑固な職人の老人が孫娘に野の花で冠作ってやる、みたいな味わいの一編。

まとめ

 どれもひとつの話の文量が少なく、登場人物や起こる事件も少ない。そこに、志賀直哉イズムが凝縮されている。彼はきっと、特殊な能力や財産もなく、あまり器用でもない人間が好きだったのだと思う。そういう人たちが、ただ不器用に、でも真摯に生きていく姿に、美しさや強さを見出していたのだろう。
 読み手の年齢や経験、今置かれている状況によって、読んだ感想が変わってくる。それが、志賀直哉の文章が持つ「力」であったり「厚み」なのだと思う。
  





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?