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『エンド・オブ・ライフ』(佐々涼子)死と命は円環を描いて

渡辺西賀茂診療所の訪問医療

 『エンジェルフライト』が話題になったノンフィクション作家、佐々涼子氏による、在宅医療の取材を通して終末期のあり方を考えさせられる本である。
 私は福祉を志しながらも、当時の介護の現状を目の当たりにし、とても与することはできないと感じてビジネスの世界に入った。人として扱われない、そういう人生の終末期を見たためだった。
 一方、渡辺西賀茂診療所の働きは人と人の関係性の上にある。亡くなりゆく人は、死の直前でも自分の家で家族と過ごし、家族と海へ行ったり、ディズニーランドに行ったりして、かけがえのないときを過ごして、最期は穏やかに最後の息をして逝く。
 診療所は患者だけでなく家族も支える。遺族の「どんな時も来てくれた。いつ寝てんのやろ、いつごはん食べてるのやろ、と思ったよ。」という言葉が紹介されている。そのくらいの寄り添いなのだ。渡辺委員長の「僕らは、患者さん主人公の劇の観客でなく、一緒に舞台に上がりたいんですわ。みんなでにぎやかで楽しいお芝居をするんです」」という言葉に、この診療所のあり方が照らし出されている。死はつらいが、だからこそ、こうした訪問医療の提供者に出会えるのは幸せだ。

在宅で最期のときを過ごすということ

 この本を読むと、もしも自分が癌や、その他の病気で余命宣告を受けることがあったらどうするか、と考えさせられる。「普通に」病院に行き、入院して、いろいろなことを制限されながら、運が悪ければモノのように扱う医療者の手に扱われながら死んでいく?それとも?
 この本では皆が主人公と言えるが、なかでも一番の主人公は、この渡辺西賀茂診療所の看護師でもあり、癌になり最期を迎えていく森山氏だ。彼は在宅医療について佐々氏とともに本を残したいと言い、著者は何度も取材をし、友が癌と闘い、癌を受け容れ、スピリチュアルな行動をし、やがて最期を迎えていく様子を記している。だが著者は、一緒に本を作りたいと言ったのに本質的なことを何も話さず一緒に出かけたり食べたりするばかりの友にずっと困惑している。とうとう、死が近づいたときに著者はそのことに触れるが、対して森山氏が言った言葉は…

「何言ってんですか、佐々さん。さんざん見せてきたでしょう」
「え?」と、声にならない息で私は聞き返す。
「これこそ在宅のもっとも幸福な過ごし方じゃないですか。自分の好きなように過ごし、自分の好きな人と、身体の調子を見ながら、『よし、行くぞ』と言って、好きなものを食べて、好きな場所に出かける。病院では絶対にできない生活でした」

エンド・オブ・ライフ / 佐々涼子著(集英社,2020)P263

命の閉じ方

 いま、私たちは「死んでゆく人」を目の当たりにする機会はほとんどない。老いや病で、次第に死に近づいていく様を見て、接して、学ぶ機会がない。田舎の大きな家で祖父母がともに暮らし、だんだんいろいろなことができなくなっていきながら、それでも大丈夫なんだよと。こうして人生は閉じていくのだと、知ることができない。人の生は環なのだろうけれど、上り坂の人生と下り坂の人生が接するように今の社会はなっていない。特に、ここ東京に仕事をしに来た私たちは。
 しかし、この本の中には、命の閉じ方の学びが感じられた。その場にいるわけではないけれど、少しは学べたと言っていいと思う。

私の知らない多くの人たちが、死を恐れなくてもいいと、彼に教えていた。そして、今度は彼が私に命の閉じ方を教えてくれている。人類が営々と続けてきた命の円環の中に私もいる。

エンド・オブ・ライフ / 佐々涼子著(集英社,2020)P273

そして、生き方

 人は生きてきたように死ぬのだ、という言葉が出てくる。生きてきたようにしか死ねない、というべきかもしれない。この本を読んで、背筋が伸びるような心持ちになるのは、いくつもの死に向き合うからだけでなく、こういうところだ。私の近年のテーマである「今ここを生きよ」に、ここでも出会った。何度でも訪れてくれるメッセージ、心して。

同じ日は二度と繰り返されない。だからこそ、将来を思い煩うことなく、今日を生きよ。昔から、何度も繰り返されるメッセージを、いつだって私たちは三歩歩けば忘れてしまう。

エンド・オブ・ライフ / 佐々涼子著(集英社,2020)P97


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