先だって「『数学』って『国語』じゃね?(1)」という note を書きました。
「国語」にはいろんな意味があります。日本語を母語にする者にとって概ね「国語」とは日本語を指します。上田万年という明治時代の言語学者は、近代西洋国際法下での国民国家 nation state における standard languade の意味で「国語」を使いました。つまりこの意味での「国語」とは相対的に指示物が替わるもので、お隣の国、韓国では「国語」は韓国語を指示します。日本には国立国語研究
たぶん誰でも、生徒の時代に先生が発したキャッチーな発言が頭に残り、それが知識として定着するという経験があると思います。タイトルはそのような、先生の発言、というかスローガンの一つです。
「仮主語の it は死の代償に to を残す」というスローガンは次のような知識の定着を狙ったものです。
英語に
It seems that Mary is clever.
のような構造があります。アホな(私みたいな)高校生は、「どうにかして、この it の意味を見つけられないか」と