「数学」って「国語」じゃね?(3)

 前 note で書いたように、今回は義務教育・高等教育での教科としての「数学」と「国語」の枠を離れてお話したいと思います。

 日本、というハコの中で育ったり、親がそこにオリジンがあったりすると、だいたい小学校1年生ぐらいに或ることばのネイティブになりますが、そのことばは「日本語」、より限定的には「日本語の共通語」と呼ばれます。共通語、という時には地域的なバリエーションの一つであり、年齢やジェンダーによるバリエーションをやや含むものを指しますが、めんどくさいのでここではこれらのポイントを無視して単に「日本語」と呼びます。
 日本語は自然言語 natural language の一個別言語 a particular language です。ソシュールに詳しいひとにとっては「ラング une langue/la langue」にあたる、と言えばピンとくるかもしれません。「数学」との対比では、自然言語である、ということが関与します。この自然言語に対して、世界のことばの壁を取り払おうと計画されたエスペラントや、計算機のプログラムに用いられるコンピュータ言語を人工言語 artificial language と呼びます。エスペラントのような言語をさらに区別して「計画言語」と呼ぶこともあるし、異なる母語を持つ両親がエスペランティストで、その子がエスペラントを母語とする場合も近年は見受けられます。

 以下の話では「推論」が重要な役割を果たすので、推論について簡単に説明しておきたいと思います。
 推論とは、一つ以上の命題から別の命題を帰結する、知的活動です。たぶん多くの方が「三段論法 modus ponens」を知っていることでしょう。三段論法は推論の形式の一つです。例として次を考えましょう。私は

 水は1気圧で熱する (A) なら100℃で沸騰する(B).

を知識として持っている、としましょう。
 キャンプに出掛けて(友人がいないのでソロキャンプです)、夕食時にお湯を沸かそうと思っています。キャンプをしているのは高地ではなく、気圧は1気圧です(おじいちゃんなのでヘクトパスカルは分かりません)。そこで水を火にかけました。私は帰結として、目の前の H2O は 100℃ で沸騰して湯が沸く、ということを得ます。これは三段論法による推論の一例です。
 三段論法を含む推論のうち妥当なものはなんだろうか?ということを考える学問は「論理学」として知られていて、古代ギリシャの哲学者アリストテレスによって最初の体系化が行われました。近代になって、フレーゲやラッセルなどによって新たな論理学の組織化が行われました。フレーゲ・ラッセルの論理学は近代に整えられましたが「古典論理」と呼ばれます。古典論理は論理学の記号化を行いましたが、ここではその記号化の一般的なものを用いようと思います。

 上で出てきた、私が前もって持っていた知識は記号化すると

 A → B

と表されます。ここで「→」は「ならば」に概ね対応する論理記号で、「条件 conditional」あるいは「含意 entailment」と呼ばれます。三段論法は

 A → B
 A
∴ B

と表現されます。
 しかし自然言語を用いて日常の推論を行う我々は、時々不思議な推論を行います。例えば、都内で殺人事件が起こったとします。やがて犯人が捕まり、ニュースでは「〜人の無職、⚪︎⚪︎容疑者」と報じられました。すると大勢の人が「ほら、やっぱり〜人は危険なんだ。日本に来なければいいのに」と考えるようになります。

 さて、これは「正しい」推論でしょうか。

 この話題、続きます。

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