我々人間は、何からできているのだろうか?
我々人間は、何からできているのだろうか?
我々人間にとって、当たり前になくてはならないものとは何か?
ぼくの答えは、自然だ。
2022年 6月 パートナーと『自然』と人がすきで日本一周の旅に出た
2023年 6月 旅中にぼくの中で『感じる』ことが全てだと固まる
2024年 6月 ずっと胸の内にあった『自然と感じる』への概念が固まる
今でこそ、よく言われるようになったが、
ぼくたちは自然の一部だ。もしくは自然そのものだ。
自然は、最後に人間を創り出した。
自然の恩恵をいただいて、今ここに生がある。
そのことを、この物質社会や資本主義の影響で
大切なことを忘れてきたのかもしれない。
逆説的に言うと、忘れることができたから、
あらゆる面で進化・成長できてきた。
ただ、常に全てを忘れてきたわけでがない。
自然や感じることが大切だと体は覚えている。
これまでの細胞に残った伊吹がそう言っている。
改めて、感じること、
そして、自然へ目を向ける時が来た。
冒頭での問い。
Q 我々人間にとって、当たり前になくてはならないものとは何か?
当たり前だと思っているものたち
世界中の人が、
空気を無料で好きなだけ吸えること、太陽に浴びれること、水が上から落ちてきて海に担保されていること。
たとえば雨。
今日降らなくても日常に支障はないし、ダムで計画的に貯水されているし。ただその雨のおかげで生きている。植物はぐんぐん育つ。何より雨は美しい。
【五風十雨】ごふう-じゅうう
気候が穏やかで順調なことで、豊作の兆しとされる。
五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降る意から。
ぼくらは自然が当たり前にないと生きていけない。
Q 我々人間は、何からできているのだろうか?
私たちは自然を食べている。
自然から恩恵で生きていることと、同じ要素で育てられた植物たちを食べて大きくなる。木は葉っぱで光を貰い、根っこで養分を食べる。
石油もサランラップも体に良くないが自然から恩恵。
添加物も加工された物も、素材は自然から抽出されている。
ぼくたちは、自然からできている。
これまで、あまりにも現存している人間や
今は亡くなった人間へ尊敬の念が強く感じる。
それも素晴らしいことであるが、
会話もできない、この世からずっと現存している存在に目を向けてみたい。
この地球を成立させているのは、自然。
全ての源(みなもと)は自然なのだ。
古来、日本人は自然を崇拝してきた。
自然を神としてきた。
ぼくにはまだその感覚が色濃く残っている。
大きい石や長寿の樹木へ、しめ縄をして
祀ってきた。
ぼくが思うに、この100年で
目に見えないエネルギーや感性はなぜ消失してきたのか。
これまで戦争やある主権、また西洋思想が強くなり
物質世界だったから、感じるよりも考えるが信じられてきたから。
ただこれからは感じる力、創造する力、精神世界へ移っていってほしい。
その方が、ぼくは自然だと思う。
2022年、閉店間際までカフェにて。
旅に出る前に親へ説明するために、何をしたくて旅に出るのか
2人で必死にノートに書き出した。
旅を出る日は決めていた。
しかし、なかなか世間がピンとくるような答えは出なかった。
ただ、ぼくらの中でだけでは確信があった。
自然と人が好きだから。感じたいから。
まとめて、ナチュラルネイチャーな旅にしようと。
natural(自然の)・nature(自然)
日本語もおもしろくて、奥が深い。
自然という言葉は、
「自然/自然に行う」の2つがある
そして、体を付けると
「自然体」になる
naturalとnatureの
両方の意味を元から一つの言葉でできてある
ぼくたちは、あまりにも自然から遠ざかってきた。
自然は、元は「じねん」と読む
人間の作為のない「そのまま」の在り方が『自然(じねん)』
自然薯(じねんじょ)という野菜ありますもんね。
音読みの「自然(しぜん)」が
採用されるずっと以前から、日本人が大切にしてきた自然観
自然の『自』は「みずから」の意味
『然』は「そのとおり」意味
自然は本来のままであることを意味する。
ぼくらはもっと、
自然を感じ、自然に習って、自然体になる。
そんなメッセージがあると思っている。
ありがとうありがとうありがとう
考えるな感じよう
feel yuma
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