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風紀のあの子② #シロクマ文芸部

 春の夢は、人生の儚さを表す季語だという。
 ならばこの高校生活こそが、夢の中なのかもしれない。


 図書館の窓際は、ガラス越しに木漏れ日がさす。自習机にひとりきりで、彼女は幸せそうに眠っていた。読んでいたであろう本は閉じられて、今は彼女の枕になっている。

 午前中、風紀の仕事で忙しく走り回る姿を、教室から見かけたばかりだ。普段は生徒たちに厳しい目を光らせる風紀委員長だが、今は小さな寝息をたてている。まるで赤ん坊が寝ているように、平和だ。

 枕になった本のタイトルが気になって、そっと盗み見る。後で同じ本を借りることにしよう。
 ふいに、頬に揺れる若葉の影にくすぐられたようにまつ毛が揺れて、ゆっくりと瞼が開いた。

「あれ? ハルカだ」

 ぱちぱちと目を瞬いているが、まだ現実に戻っていないような顔をしている。

「アヤネが居眠りなんて珍しいね。サボり?」
「え、うそ。今何時?」

 勢いよく立ち上がったアヤネが腕時計を見るのと、私が時間を告げるのが同時だった。
 昼休憩は、あと10分で終わってしまう。

「あ、っぶなかったぁ」

 気が抜けたように椅子に座り込むが、慌てて机のものを片づけ始める。

「ちょっとくらい遅れても大丈夫だよ」
「だめだって。ほら、ハルカも早く」

 振り返りざまに彼女のポニーテールが目の前をよぎって、シャンプーの香りが鼻先をかすめる。
 私の手首をつかんでずんずん歩き出す後ろを追いかけながら、ちょっと駄々をこねてみる。

「走ったら風紀の怖い人に叱られるよー」
「走ってない。これは速足です」
「ちなみに次の授業なに?」
「化学だけど先生休みだから自習」

 ぞっとして手を振りほどく。

「じゃあ! サボって! いいじゃん!?」
「良いわけないだろ。ちなみにハルカは?」
「体育だけど」

 長い付き合いだから、わかる。アヤネの眇めた目の奥から、「もう着替える時間もないじゃないか」と飽きれ声が聞こえる気がする。

「応援来てくれるんだったら、授業出ようかな」
「行かないよ。それよりハルカ、まえに没収したマンガ、期限だから放課後委員室に取りに来て」

 腕時計の時間を気にしながら、思い出したように言う。それがちょっと癪に触って、

「続き読みたい?」

 私の口角が上がっているのを察したように、アヤネの眉根が寄る。

「……なんの話?」
「ふうん。わたし、また来週マンガ没収されるのか」
 私の笑みに反して、彼女は怖い顔をする。今や寝顔の可愛さは微塵もない。
「なら、余計なものを持ってくるな。じゃなくて、やっぱりわざとだったんだ」

 アヤネはひとつ、小さなため息をつく。

「今日、忘れずに取りに来てよ。そしたら、いっしょに帰ろ」

 それは一緒に帰って、そのままマンガを借りていくとか、そういうことか。

「え、うち来るの? 久しぶりすぎる」
「さっき図書館で、昔の夢見たんだよね。ほら、小さい頃はお互いの家でしょっちゅう遊んでたでしょ。ちょっと懐かしくなった」

 返事を返そうとしたとき、廊下に授業開始のチャイムが鳴り響く。

「あ、ほら、ハルカも急ぎな」

 小走りにならないぎりぎりの速度で去っていく後ろ姿に、なんとか声をかける。

「また放課後」

 ひらりと手を振る背中に、ポニーテールが揺れている。
 放課後の約束ができたなら、授業も頑張れる気がしてきた。日に日に終わりまでのカウントダウンを刻む春の夢の中で、夏秋冬を過ごすための思い出を集めている。
 小さな頃の気安さを、忘れてしまっていた。タイトルは知ってしまったけど、今日何を読んでたかは直接聞いてみようと、私は握られていた手首をそっとさすった。


〈了〉


シロクマ文芸部さんの企画に参加させていただきました。

🌸

「春と風」で書いた設定が気に入ったので、百合シリーズとして続きを書くことにしました。

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