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娘を怒った話とうんぬんかんぬん

一見わたしは、そうそう怒らない人間と見られてしまう。「穏やかそうだね」とか、「怒ったことある?」とかよく言われる。自身でもそうなのかな、と思っていたけど、最近気づいているのは、わりかし周りのいろんなことに大なり小なり怒っているということだ。

たとえば、昨日あったのは、長女が持って帰ってきた図工の作品を見て。

明らかに手を抜いている、下手したら1年生でもかける、いえば「テキトーに描きました」と言わんばかりの絵を見て、わたしは久々に泣きたいくらいの感情で怒ってしまった。

決して下手だったから怒ったわけではない。もし娘が苦手だったとしたら、描いたことに絶大な気持ちで褒める。このときは、長女の真摯なところ、絵に対する好きという思いをよく分かっているからこそ怒りが込み上げてきた。その思いをそのまま娘にぶつけてしまった。感情に任せて言ってしまった部分はあるかもしれない。わたしの中で彼女への勝手な期待とか悔しさとかが入り混じっているわたしの思いがドバッと出てきた。

「なんで先生これでオッケーにしたんだろう」「時間が足りなかった?」「いいものを持っているのに活かしきれてない!」…「手抜きはしてもいい、辛くなるよりは、でも…あまりにひどい」…

ぐるぐる思いが巡って、結局最後は自分に返ってくる。

「お母さん(わたし)手抜きしすぎてない?」

わたしは常々自分に子どもたちのことを第一優先にしたいと仕事や家事、自分のことを後回しにしてきたつもりだった。

振り返ると、仕事で疲れて夜ご飯惣菜のこと週に1.2度、掃除は週末、洗濯山積み、子どもたちのできたシールどこへやら、朝ごはん菓子パン、体調崩しやすい…

気持ちばかり子ども思いで、行動が相反している。

「お母さん、仕方ないよ、お仕事忙しいし」と言って聞かせてきたけど、わたしは長女の絵を見て、あまりに悔しかった。忙しさよりも悔しい思いが勝った。

どうにかせねば、と奮い立つ。

わたしは彼女たちのお母さんだよ。わたしが今まで抱えていた「お母さん」への抵抗をバネにして今、爽快にお母さんになる。

多少辛いし、きついかもしれないけど、仕事をしながら、朝ごはんは「まごにやさしい」を意識したものにする、来年度からの地域の用事もこなす、丸つけとできたシールを続ける、読み聞かせを続ける、習い事、学校の手伝いをする、一緒に料理をする、目の前のことには真摯に向き合ってほしいとわたしなりに伝え続ける、そしてどうなりたいかのそばに一緒にいる。彼女たちの成長を楽しみに感じたい。

今思いつくのはこれくらいだ。

日々のなんてことない暮らしを意識してやる。

誰に褒められるでもない地味で結果も見えないそんなことを、無条件に信じることをする。

やってやるのさっ、と今朝は気持ち改め、朝ご飯からやりはじめ、娘たちが帰ってきたら、前から一緒に作りたいって言っていた餃子を作ろうねって約束した。

*そして、こうやってやってるのも夫の存在があるからだと思う。昨日は寝るまでの子どもたちへのフォローをしてくれた。誠に感謝。

娘たちが幼児期だった頃は当たり前にできていたことが、どんどん手抜きになって今底ついてきたなって思う、今がチャンス!

これから朝ご飯作戦の会議をやるぞ!と1人意気込んでいるのであります。

むらたさんちの子育てはまだまだつづきます。

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