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番外編:初発から再発まで④

コロナ禍での人付き合い

新型コロナウィルスの感染拡大の対策として、緊急事態宣言や外出自粛が呼びかけられ、人が集まる機会そのものが社会全体で減りました。公私問わず集まろうと思っても、企業ではテレワークやリモートワークが一般的となり、多くの飲食店で休業もしくは営業時間が短縮され、そもそも人が集まる場所が失われました。学校でもオンライン授業の導入が増え、社会全体として外出する動機がなくなってしまいました。

僕の様な抗がん剤&放射線治療から回復したばかりのがん患者は、コロナウィルスに限らず、菌やウィルスに対する抵抗力が弱く、感染した場合は重症化するケースが多いこともあって、細心の注意を払っての生活を余儀なくされます。残念ながら、僕にとっては退院して数カ月の回復期に追い打ちをかけるようにコロナ禍が始まってしまったということになり、未知のものに漠然とした怖い思いがありました。

しかしながら、(不謹慎に聞こえてしまったら申し訳ありません!)結果としてコロナ禍は僕の様ながん患者にとって、過ごしやすく、追い風になった面も多々ありました。

まずは、不特定多数が集まる機会がなくなりました。例えば、自社の営業活動の一環としての夜の付き合いが全くなくなり、あるとしても前述した、公共慈善団体の少人数での集まりや、業界団体の懇意にしている経営者仲間と軽く飲むぐらいのものに限定されることに。したがって、余計な誘いや付き合いがなくなりました。

集まったとしても、店の営業時間制限もあって、少人数で必要なアジェンダを話して早い時間にサッと帰るという習慣もおまけでついてきました。このことで、感染機会は激減しました。

次に、もっとも濃厚な接触をする家族がリモートワークや家庭学習となった時期が一定続き、外の付き合いも激減したことから、家族中心の生活になりました。もともと、「できるだけ家族と食事は一緒に!」などのポリシーを実行していたうちの家族は、一緒に居る機会が多めではありましたが、おのずと子供の勉強なども見てあげることになったり、一緒に「カタン」などのボードゲームをしたり、さらに絆が深まりました。そして、家族のたわむれの中心には僕ではなく笑、ポメヨンの愛犬トムがいつもいました。トムは僕を癒やしてくれるだけではなく、家族みんなでトムの世話をすることで、いつも優しい気持ちにしてくれ、家族は自然とトムのもとに集まるようになりました。食卓の話題もトムに関することが増えました。

家族のたわむれ(一例)

さらに、社会全体では季節を問わずマスクをすることが一般化しました。このことで公共の場ではマスク必須の僕ら「がん患者」も目立つことなく、外出先で自然に溶け込めるようになりもしました。互いにマスクということで、他人と会話することも心配少なく行うこともできるようになりました。

これらはコロナ禍前では考えられなかったことで、この変化の結果、僕の人付き合いは非常に濃密なものになったと思います。

公共事前団体では会長や事務局、一部の会員と少人数で行事の打ち合わせをすることが多く、団体の歴史やこれまでに行った社会奉仕などの経験などをシェアしてもらいました。また、昼前に経営者の先輩と行くランチが増え、会社運営のことから部下育成の話まで、さまざまなことを相談できました。

経営者仲間は、退院後の体調のことを気遣いしてくれる一方で、あまり病人扱いもせず、今までと変わらないバカ話に付き合ってくれました。世間一般では、二代目経営者のバカぶりが取り上げられる事が多いですが、少なくとも自分の周囲の実態としてそのようなバカはあまり多くありません。くだらない話もふくめバカをしてるのは認めますが。

一般的に先代は強烈な成功体験に基づいた「やり方」を押しつけてきますが、時代とお客様は変わっているので、お客様を喜ばせるという合目的性を死守しようとすれば、「やり方」は変えなければお客様はもとより、社員ですら幸せにできません。また、先代の昭和的な「指導方法」を踏襲すれば、今の時代はパワハラになります。そこで「やり方」を変えることになりますが、先代との軋轢も生まれます。軋轢をいなしながら、中小企業を取り巻く荒波を乗り越え、会社を続けていくのは簡単ではないのです。

そんな時期を共有している大事な戦友である経営者仲間は、僕が入院してるときには頻繁に連絡をくれ、差し入れもくれ、大人買いしたマンガ本など、物心両面で闘病を支えてくれました。互いに悪態しかついた事がないですが、大変な時に公私に渡って支えてもらいました。

大人買いマンガ本の(一例)

おじさんになっても友達って、いいな。子供達や若い人には人付き合いを大事にしてほしいと切に願います。


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