新プロジェクトX 約束の春 〜三陸鉄道 復旧への苦闘〜を観た。
母の実家に行くと、その実家の飛び地にある離れの一軒家に泊まることが多かった。夏になれば、蛙が大合唱。秋には虫たちがアンサンブルを奏でており、一人ぽっちで泊まってるときでも、怖さを感じなかった。時折、電車が通るとオーケストラの様相に。ガタンゴトン、ガタンゴトン、キキッー、カシャカシャ、ポッポーなど大音量で
いろんな音が聞こえてる。切なく楽しい音色だった。深夜に貨物列車が通るとロングバージョン、いつまでも音が鳴り止まない。子ども心に、郷愁を覚えた。
幼い頃からの刷り込みか、今でも電車の音が聞こえるところに住んでいる。
高校時代は、その母の実家と自宅をつなぐ鉄道に乗って通学していた。
今は、その一軒家も売り払われてしまい、周りも開発されて自分には馴染みのない住宅地になってしまった。
夢の跡である。
感傷的な気分になったのは、何気なく新プロジェクトXを見たからだ。
今日は、三陸鉄道の回だった。
この国に暮らせば、大規模災害は決して人ごとにはならない。いつ来るかも知れぬ明日の有事にどこか緊張しながら生きている。
震災がもたらすのは、昨日と今日の断裂。人の一生の儚さを震災、震災後を語る様々な人の言葉や映像、作品から学んだ。阪神大震災以降、自分の中に染み込んでしまった、今日を生きる意味。
「人は今を生きる」存在に他ならない。
そして、このドキュメントではリカバリーが語られていた。
ともに同じ土地で暮らす仲間たちのために、あの日を境に分断された日常を元に戻すことを目的に頑張った人たちの回復に向かう力が見えた。
ここで何もしなかったら、地域のための三陸鉄道ではない、と震災後すぐに立ち上がった社長。難所を任されとてつもないプレッシャーにさらされている建設現場の責任者を支えたのは、罹災してベッドでの生活を余儀なくされている方が毎日撮っていた写真。窓から眺める風景は、昔の三陸の姿に少しずつ戻っていく姿だった。
最後に語られた三陸鉄道の一期生である金野さんの言葉が胸に響いた。
「電車のポッポーっていう音は、本来は警笛なんですよ。危険をお知らせする音なんですよ。その音が、聞こえると安心するって言いますかね」
いつもあるものが無くなってしまう事がある哀しさを体験した人の切実な言葉が、切り取られていた。
音は、昨日と変わらぬ日常がここにあるよ、ということを知らせている。
普段は気に留めていなくても、大切なことが溢れている毎日。
過去と現在はつながり、未来に続いていく。
元に戻そうという力が、今を生きる原動力になることを感じたドキュメントだった。
人は、生きている限り、多かれ少なかれ、様々なダメージを受ける。
目に見える回復もあれば、意識しないでも癒える傷もあるけれど、きっとリカバリーする力は、過去や未来につながる自分自身の中に眠ってる。