山あいの煙
知り合いのとしこさんが亡くなったので、海から少し離れた山の中にある斎場に出かけた。
街場からちょっと入って、トンネルを抜けて急カーブ、そのまま坂を上がっていくと、突き当りの山の間にぽつんとあった。
朝方は結構土砂降りだったのに、今は曇り空、煙が上ってる。
葬儀社の方に案内されて部屋に入ると80代の妹さんと弟さんが待ってた。式は、3人きりのささやかなもの。
息子さんも早く亡くなり、一人だったとしこさん。長いこと入院してたので頼りは他県に住む妹さんだけだった。弟さんは20年ぶり、初めてお会いした。
とし子さんは、精神の病気も患ってたけど自分が面会に行くといつもこちらを気遣ってくれた優しい人。
会いに来ましたよ。
妹さんと話してたら、とし子さんが浅草の映画館で旦那さんと初めてデートした話をしてくれたの思いだした。
いきなり連れて行かれて、どきどきしたんだっけ。たしか洋画でしたね。主演はイングリッド・バーグマンかな。旦那さま素敵なチョイスですね。
「あたしは、浅草の頃はちょっとしか覚えてないのよ」と妹さん。記憶を遠くに飛ばす眼をしてた。
10代の頃のとし子さんは、戦後の復興時、父親に言われて大八車に木材を積んで運んでたそう、華奢な身体なのにね。生きるためには何でもしたわ、と楽しそうに言ってた。「今はこんな身体だけど」とオッホッホと笑った。
戦争、高度経済成長、地震、バブル、パンデミックさまざまな試練を生き抜いてきた道。お見舞いに行ったときは、時事ネタを話すのが好きだった。
「コロナが終わったら、また外国の方がたくさんいらっしゃるようになったのね」なんて。
コンコン、「ご準備できました、どうぞこちらへ」神妙な顔をしたスタッフの方が入ってきた。
斎場の人たちみんな親切で丁寧、気持ちが良かった。ありがとです。
案内されて炉前の広い部屋に入ると、棺のなかにとしこさんがいた。レースに縁取られた額の中にすやすや眠ったお顔が浮かんでるように見えた。
綺麗にしてもらって良かったね。丁寧にお化粧されてる。色つやが良い、顔がふっくらしてる。もともと美人だから映えてた。お花をいっぱい入れてあげましょ。大好きだった木彫の作品集もね。好きなものに囲まれてしあわせそう。
あちらに着いたら、旦那さんとまた映画館でデートしてね。
がちゃん、炉のシャッターが閉まる。合掌。
煙が天へと登った。
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