スター 朝井リョウ



国民的スターって、今、いないよな。…… いや、もう、いらないのかも。 誰もが発信者となった今、プロとアマチュアの境界線は消えた。 新時代の「スター」は誰だ。 「どっちが先に有名監督になるか、勝負だな」 新人の登竜門となる映画祭でグランプリを受賞した 立原尚吾と大土井紘。ふたりは大学卒業後、 名監督への弟子入りとYouTubeでの発信という真逆の道を選ぶ。 受賞歴、再生回数、完成度、利益、受け手の反応―― 作品の質や価値は何をもって測られるのか。 私たちはこの世界に、どの物差しを添えるのか。 ベストセラー『正欲』と共に作家生活10周年を飾った長編小説が待望の文庫化。

朝井 リョウ

岐阜県生まれ。小説家。

2009年『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。

2013年『何者』で第148回直木賞を受賞。

2014年『世界地図の下書き』で第29回坪田譲治文学賞を受賞。

2021年『正欲』で第34回柴田錬三郎賞を受賞。

$読者レビューより引用・編集

著者は自身が体験したことを通じて、
考え、深め、想像して、
物語として昇華して読者に提供するのが
抜群に秀でている作家。

高校時代を描いた『桐島、部活やめるってよ』
大学生の就職活動を描いた『何者』も素晴らしかったが、
放送業界の今を描いた本作は突き抜けている。

古くからある映画業界で働く立原尚吾の章と
新しい分野であるyou tubeの世界で働く大土井紘の章が
交互に描かれ、物語は展開していく。

128・129ページで、尚吾の先輩が、以下のように述べている。

「俺たち(映画業界)は、世に出られるハードルが高くて、
 だからこそ高品質である可能性も高くて、
 そのためには有料で提供するしかなくて、
 ゆえに拡散されにくい。
 大土井君(You tubeの世界)は、
 世に出られるハードルが低くて、
 つまり低品質の可能性も高くて、
 だけど無料で提供できるから、
 ガンガン世の中に拡散されていく」

このせめぎ合いや葛藤が、見事にストーリーとして表現されている。

のめり込んで読んだ。読み終えて、すぐにもう1度読んだ。

“越境”がキーワードだが、その意味は読んでからのお楽しみだろう。

ドラマ、アニメ、映画。
どれとも本作は親和性が高く、映像化されることは間違いないだろう。

なぜ、そんな作品が本屋大賞にノミネートすら、されていないのか。
理解できない。

絶対に“今”読むべき、“今”が描かれた大傑作だ。

著者の作品には、ついつい下線を引いてしまう。
刺さる言葉があるからだ。
本作品にも随所にあった。

109ページの尚吾と紘の大学の後輩の言葉
「今、消費者が対価として払ってるのって多分、
 お金じゃなくて時間ですよ」

233~235ページの眼科医の言葉
「この20年間、視力改善という大義名分のもと、
 色んな技術が生まれました。でも、後遺症について
 患者様に明確に説明できるものは、少ないんです。
 研究が進んでいるものもありますが、
 それでもまだ不十分なものが多い」
「私たち眼科医の使命は、患者様の目の健康を守ることです。
 ですが、中には、そうではない使命に突き進む人もいる」
「利益を得ることを目的とした眼科は、後遺症の研究が
 進んでいない技術もすぐに導入して、安価で提供します。
 何か問題があっても公にはせず、何食わぬ顔で経営を続けます」
「医学の世界は確かに、数値で様々なことが定義されているように
 見えると思います。でも、そういう場所にも、
 都合のいい文脈に挟む込むことでその数値をだまくらかすような
 悪い遺伝子が存在するんです」
「だからきっと、どんな世界にいたって、悪い遺伝子に
 巻き込まれないことが大切なんです。一番怖いのは、
 知らないうちに悪い遺伝子に触れることで、自分も生まれ
 変わってしまうことです」
「見えない文脈に挟まれて、いつの間にか」

371・372ページの一流レストランで働く尚吾の同棲相手の言葉
「勝手に、そのジャンルで最高峰の場所で学ぶ自分は、
 そのジャンル全体の欲求を満たせるはずだって思い込んでた。
 でも私が満たしてあげられるのは、たとえ本当に最高峰の場所に
 いるとしても、そのジャンルの一点だけ。ピラミッドの中の
 一点を塗り潰す技術を学んだだけなのに、そこは頂点で、
 頂点を塗れる自分はそのピラミッド全部を塗りつぶせるつもりでいた」
「傲慢だったの」
「今、誰でも何でも発信できるようになって、ちょっと調べれば
 どんな欲求にも対応してくれるものがあって…
 世界はこれからどんどん細分化されて、それころオンラインサロンの
 集合体みたいになっていくんだろうなって思う。
 欲求に大小や上下があるんじゃなくて、ぜーんぶ小分けされて
 横並びになるっていうか」
「色んな欲求ごとに1つ1つ対応する小さな空間が横並びで生まれて、
 それがおしくらまんじゅうみたいに集まって、まるでひとつの
 世界みたいな顔をするんだよ」

これらには、ハッとさせられた。

一番心を打たれたのは、299・300ページの尚吾の上司である
鐘ヶ江監督の言葉だった。
「待つ。ただそれだけのことが、俺たちは、どんどん下手になっている」
「いつでもどこでも作品を楽しめる環境が浸透して、受け手は
 次の新作を待てなくなって、作り手も自分の心や感性を把握する過程を
 待てなくなって、作品を世に放ったところですぐに結果が出ないと
 不安になって…どんどん待てないものが増えていく。
 客足、リターン、適した公開時期、そのうち」
「最終的に、自分を待てなくなる。すぐに評価されない自分自身を
 信じてあげられなくなって、作品の中身以外のところで
 認められようとし始める」
「受け手が作品に触れやすくなるならば、その分、作り手は
 表現を磨くべきだ。自分自身の見栄えや、自分がどう見えるか
 というところに心を砕くべきではない。どんな立場、背景の人にも
 簡単に届くようになるからこそ、どんな意図の下
 その表現を選び取ったのか説明できるほど考え尽くすくらいが
 ちょうどいい。それは多方面に配慮して品行方正なものを作れ
 っていうことじゃない。どんな状況であれ、作り手は、自分の感性を
 自分で把握する作業を怠ってはいけないということだ」

鐘ヶ江を新しい映像の見せ方に対応できない
古い考えの持ち主のように今まで描いてきて、
実はそんな表層のことではなく、
もっと深い所まで考えていることがここで一気に明らかになり、
とても感動した。

小説が好きな全ての人に、本書をすすめたい。





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