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認知症の母:デジタル遠隔介護はまずお弁当から

ケアマネさんが決まって、最初に提案されたのはお弁当を取ることだった。

2022年1月当時、母はまだ自分で食べ物を用意していた。近所のスーパーやコンビニで買って来るのと軽く料理したものを食べていたようだった。
でももともと料理が好きではないし何度も鍋を焦がしていた。
何より火事でも出されたら大変だ。

提案されたのは「宅配クック 123」という宅配サービスだった。
https://takuhaicook123.jp

1食は600円ほど。高齢者向けのバランスを考えた内容だった。母はご飯は不要と言うので普通食のおかずだけを1日1食分、毎日配達してもらうことにした。
これは母が老人ホームに入るまで続けたし、毎食ちゃんと食べてくれた。
体調良く過ごせたのは栄養バランスが保てたことが大きかったと思う。
ケアマネさんにも業者さんにも感謝している。

ただし、お弁当を「受け取る」ことが想像よりずっと大変だった。
母はすぐ外出してしまう。
全く配達予定時間を覚えられなかった。

電話して「出かけないでね」と言うこともあったが毎日は無理。目に入る導線上にメモを貼るなどして時間を思い出してもらうよう工夫した。それでも、1〜2週間に1回は業者から「不在なので持ち帰ります」と連絡が来た。

リビングと廊下の間のドアに貼ったメモ

ただ、不思議なことに徐々に高確率で受け取れるようになった。
時間を覚えたと言うより、外出が減ったのが理由かもしれない。

と言うのも玄関に貼ったアナログ時計も設置から1ヶ月ほどすると無くなってしまい、家中の時計という時計が部屋のあちこちに移動するようになったから。母は時間が理解できなくなり「時計という物体」もわからなくなったのではないかと思う。母はインテリアにもこだわりの強い人だから、意味のわからないものが目立つところにあって気に食わなかったと想像する。

百均で買った時計を玄関のドアに貼った。
いい考えだと思ったがいつの間にか時計が別の部屋に移動していた

こんな工夫がこの後もずっと続いた。
母はいずれ娘の私のことすら忘れるのだと頭に置きつつ、今、目の前の困りごとを何かでカバーできないかと考えていた。

母は時間という概念が徐々に失われていった。
曜日を忘れ、季節も忘れ、1年という単位もわからなくなっていったが、認知能力はある日突然、全てがなくなったりしない。

あることがわからなくなる過程は意外とゆっくりで、
10回中、9回わかるが1回わからない、
10回中、8回わかるが2回らからない…..
と割合が変化していき、最終的に
10回中、10回わからない時が来る。

だから、ある認知機能が失われつつある過渡期に、何かの工夫がうまくハマれば本人も家族も認知症の混乱にソフトランディングできる。

それは
「物」かもしれないなし、
「サービス」かもしれないし、
「仕組み」かもしれない。

うまく行ったり行かなかったりするし短い時間しか通用しない方法かもしれない。それでも母の失われつつある能力を補えれば、それまでと変わらず母は一人で生活できる。一人でできれば満足して自信を持って生きられる。
本人の自信を失わせないこともとても大事なことだ。

介護が始まってからの母は常に機嫌がいい。それまではいつ機嫌を損なうかわからない「スーパーいじわるばあさん」だったので、機嫌がいいだけで気分が楽だった。
きっと母は認知症が進むことを恐れて、気付かれないよう、迷惑をかけないよう、彼女なりに強がって生きていたのだろう。

もうダメだと介護保険申請をしてもう無理だと諦めて身を投げ出したら、関わる人たちが優しくて、一人でも生活できて、ただただ安心したのではないかと思う。
病気は本人が一番大変なはずだ。

介護保険と、アイデアと、モノと、仕組みをうまく使って、家族がそばにいなくても介護は成り立つ。

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