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孤独には孤独を、そして愛には愛を

最近想いを馳せている人達がいる。

  • わざとぶつかってくる人

  • 逮捕されたエルボー男

  • 怒鳴り続けるカスハラ人間

などなど相手に何らかのダメージを与え、迷惑に感じる人々の存在だ。彼らの行為からはどれも怒りの一次感情ないし怒りそのものを感じる。

だが問題はその心だ。
これに類する人と進んで仲良くしたい人は恐らく居ない。自身が出くわしたら被害にあってる人を助けるべく撃退モードで挑むか全力で逃げる。
彼らはそうやって周囲や身近な人に忌避されることに気づいているだろうか。あるいは、自分をそのように追いやる周りが悪いと恨みを募らせるのか。
何れにしても心理的に満たされない負のループに陥っていると想像される。でなければ、あんな行動にはならない。

周りも不幸にしているが彼らを愛する人もまた少なく自分をも不幸にしている。自分の問題であるのに周囲に転嫁するからいつまでも穏やかな時が訪れない。孤独になる。この不満が肥大化し、時に破滅に向かってしまう。

本当は助けが必要な可哀想な人々だってわかってるけど、周りに危害を加える時点で寄り添う気持ちは吹き飛んでしまう。
例え指摘したとしても反発するだけだろうし、影響は及ぼせても他人を変えることは出来ない。今その状態にある人は残念ながら自分で気づくほか救われないと自身は感じている。でも『諦めたらそこで試合終了ですよ』とSLAM DUNKの安西先生も言ってるので考え続けている。

幼少期に好きな子に構ってほしくて意地悪をしてしまう子のそれとよく似ているなと思い出す。私は幼少期、この輩が好きでなかった。今も好きではない。嫌がらせにしか感じないからだ。成長し、より拗らせて悪質なものに化けた結果が冒頭のそれだろうか。

幼少期のうちにこれが解決すればこんな悲しい大人にならずに済むのだろうか。我々の子供の時は、親がダメでも関わって見守ってくれる大人がそこそこ居たように思うが今はどうか。声掛けだけで事案になる世知辛い世の中だ。

先日、子の授業参観に行った。幼稚園から知ってる子だが授業の邪魔ばかりして、娘の消しゴムを盗んだりして(先生が取り返してくれた。実は我が子、毎日鉛筆がなくなって帰ってくる。本人無くなった理由がわからないというが彼女に盗られてる説…)先生に叱られたりしていた。あれは愛着障害で、たぶん構って欲しいのだと感じた。
授業後に娘が仲良くしている子のママがシバキにいっていた。それすらも彼女にはご褒美かもしれない。

“目には目を歯には歯を”という言葉があるが、人間の心は鏡に近い機構をしている。
孤独は更なる孤独を生み、愛には愛が返ってくる。孤独な人々が、一人でもこれに気づきパラダイムシフトしてくれれば、幸せな人が増えていくのに。

AIでも良い。カウンセリングもっと気軽に身近になって欲しい。

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