イスラエル人と広島に旅行した時のこと
52歳になる去年まで広島に行ったことがなかった。
修学旅行の行き先としてポピュラーな広島そして長崎。
なぜか私の中学の修学旅行は、飛騨・高山そして高校は田沢湖にスキーだっ
た。
広島にいつか行かなければという気持ちは持ちつつも、行く機会がなかった。
(というのは言い訳にすぎないということはわかっている。本当に行くつもりがあるならとっくに行ってるはずだから)
料理クラスで、訪日外国人のお客さんに広島に行った話をされると、まさか行ったことがないとは言えず、とても気まずかった。そして、情けないことに時には行ったことあるフリさえしていた。
イスラエル人のインバルが日本に来ることになった時、私は迷わず一緒に広島に行こうと提案した。インバルは、私のオンライン日本語クラスの生徒さんで、最初、私のオンライン料理クラスを受講してくれたのをきっかけに日本語クラスををはじめて2年になっていた。インバルと私は同い年で独身生活を謳歌している感じ。
3泊4日で、1日めは宮島、2日めは尾道、帰る日に原爆ドームと原爆資料館に行こうということで話がまとまった。
それまでクラスの中でイスラエルのもつ凄惨な歴史については一切触れたことはなかったが、一緒に広島を旅してインバルにいろいろ聞いてみたいと思った。
私の料理クラスはイスラエル人のお客さんが多かった。
2019年4月に初めてイスラエル人が私の料理クラスに来て、そのクラスの最中にクラスのことをFBに載せてくれた。その直後から、来るわ来るわ次々と私のクラスに申し込みが舞いこんできた。イスラエルの人口は当時、900万あまり。イスラエル人いわくイスラエルは小さな村のようなもので何でも口コミなどですぐに広がっていくという。
イスラエル人は困ったちゃんが多い。
渋谷にあるまったく別の料理クラスに行ってしまい、今から私のクラスに行かれないから返金しろと言ってきたり、クラスが始まってから肉は食べれないから肉だけどかしてと言ってきたり、ギョウザを焼く直前になって油が嫌だと言い出したり、またこれは私も悪いのだが4月6日の申し込みを私が6月4日と勘違いしてしまっていて、確認のメールも送っていないのに、私が出かけるところにいきなり家に来てしまったり・・・自分の非を一切認めようとせず、自己主張がとにかく強いのだ。日本人のように自分が悪くなくてもとりあえずあやまって場をまるくおさめようという発想は微塵もない。他の欧米人もその傾向はあるがイスラエル人ほどじゃないと思う。
インバルとはそれまで3年間、表明上ではあるが仲良くやってきた。だからだいじょうぶだろうと甘く見ていた。が、旅行中やはり、なんで謝らないの?!ええ、ごめんなさいは??とイライラする場面が何度かあった。
レストランの予約時間に間に合わないといっているのに、帰りの新幹線の時間を変えたいと突然言い出し、場所がわからずウロウロし、新幹線発券の長蛇の列に並ばされた時には(こうなりたくないから前もって行きと帰りと両方チケットを買っているのに)発狂しそうになった。ごめんなさいもありがとうもなかった。
私が広島に行くのは初めてだというと、インバルは「それはちょっと信じられないわ!」と言った。イスラエル人にとってホロコーストの行われたアウシュビッツなどの強制収容所を訪れることはほとんど義務みたいなものだという。インバルは3年前にも再訪したといい、その時の写真を見せてくれた。
収容されていた人々の毛髪や靴が無造作に積み上げられて展示されている。
日本ならガラスケースにきれいに収められているだろう。
イスラエル人は、子供の時から決して他人に屈服することなく2度と追放されることのないように強く強くなれと教育され、そして強制収容所を訪れて生々しい空気に触れその思いをさらに強くするんだろうと思う。
最後の日、ついに原爆ドームと資料館を訪れた。言葉少なくなっていた私たちだが、インバルが言った。「でも、悪いのは日本だよね?日本が最初に真珠湾を攻撃しなかったらああはならなかった」
ああ、もうインバルとこの話をするのはやめようと思った。
いろいろあったが全体的にはインバルとの旅行は楽しかったと思う。
旅行から帰って1回また日本語クラスをやったがその後すぐ戦争が始まってしまった。そして日本語クラスはお休みということになっているけど、たぶん辞めたんだろうと思う。でも1日に1回はインバルのことを考える。
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