見出し画像

どうしてわたしだけ?自分を励ます言葉★メンタルケア

見てくださってありがとうございます!さーやです。わたしはコロナ後遺症で2022年5月から休職しています。

後遺症を通して、学んだ生き方や考えたことなど、誰もが共感できる記事づくりを目指しています。

今回は「どうしてわたしだけ?」と思った時のことを書いてみました。


1.病気にならない人はいない

「どうしてわたしだけ、後遺症に?」と思った時は、「一生、病気にならない人はいない」と考えるようにしています。

わたしにとっては、たまたま今がその時であっただけで、特別不幸なことでもないと思うようにしています。


2.いまでよかった

「どうしてわたしだけ、いま後遺症に?」と思ってしまった時は、「いまでよかった」理由を探すようにしています。

わたしの場合、「家族が元気な間でよかった」です。

たとえば、若い人なら「若い気力のあるうちでよかった」、ご高齢の方なら「いろんな楽しいことを経験した後でよかった」など、いろいろあると思います。


3.はっきりわかってよかった

「どうしてわたしだけ、効果があるらしい薬の副作用がひどいの?」「どうしてわたしだけ、有名な治療の効果がないの?」と思った時は、「反応が敏感な分、合うものがみつかったら早く回復するんだな」「合わないことがはっきりわかってよかった!」と思うようにしています。

「治療が合わなかった=失敗、絶望」ではなく、「治療が合わなかった=不要な選択肢が分かった」と捉えています。


4.挑戦したから分かった

「どうしてわたしだけ、すこし動いただけで症状が悪化するの?」と思った時、(後遺症用語ではクラッシュと言います)「挑戦したから、無理なことがわかった!」と思うようにしています。

もちろん、繰り返さないように反省はしっかりして、よりスモールステップで挑戦するようにしています。


5.元気になるために動かない

「どうしてわたしだけ、こんなに動けないんだろう?」と思った時は、「動けないんじゃなくて、回復に動かないことが必要だから、動かないんだ。」と思うようにしています。

「症状は身体からのSOS。」そう考えると、「たくさん休ませてあげよう」「すこしでも楽になるように工夫してあげよう」と自分に優しくできます。


6.とにかく今に集中して、明日に繋げよう

「どうしてわたしだけ、こんなにしんどいの?」と思った時、「とにかく今に集中して、明日に繋げよう」と思うようにしています。

「とにかく今に集中して」というのは、「とにかく凌ぐ」というような意味合いです。

しんどいと、「いつまでつづくのだろう?」「治るんだろうか?」と不安の連鎖にはまってしまいがちです。だからこそ、「今はしんどさがましになることだけ考えよう」「気持ちが落ち着くようなにができるかな?」と思考を切り替えるようにしています。

とはいえ、連鎖がとめられず、将来まで悲観してしまう時ももちろんあります。

そんな時は、リレーをイメージしています。とりあえず、次に繋いでいれば、その先になにが起こるかはわかりません。しんどくてどうしようもない時は生きているだけで○。やらないといけないこと、将来への不安、先の見えない悩み事、全て明日の自分に任せてしまいます。

時と共に変わっていくことはたくさんあります。症状であったり、環境であったり、社会であったり。未来には思っている以上に多くの解決方法があるかもしれません。

「きっとよくなる」「いつか治療法が確立される」「そのうち制度が整っていく」そんなふうに自分に言い聞かせて、「今」に立ち戻るようにしています。

難しいことですが、無条件に自分の可能性や社会を信じるということは、生きる上でとても大切なことだと思っています。


7.経験に無駄はない

「どうしてわたしだけ、こんなにつらい思いをしないといけないんだろう?」と思った時は、「どんな経験にと無駄はない」と思うようにしています。

これまでの人生も決して順風満帆ではありませんでした。いろんなアクシデントがありながら、いろんな人に助けてもらって乗りこえてきました。

そして、その経験は、自分にとって、財産になり、武器になり、魅力になってきました。

病気をただのつらい経験にするのか、よりよい人生のためのワンステップにするかは自分次第。「つらい経験をどれだけプラスに変えれるか?」「プラスに変えるために辛い経験をしている」まで展開させると、自然と「気持ちでは負けないぞ!」「つらい間にもできることを探そう!」と思えます。

つらい時こそ、自分自身がどこまでやれるか、試されている時。そして、成長のチャンスだと思っています。


8.悪いことばかりではない

「どうしてわたしだけ、こんなに治療費が必要なの?」「どうして私だけ、好きなものを買えないの?」と思った時は、「家族の絆が深まった」「忍耐力がついた」など、自分にとってよかったことを考えるようにしています。

病気になると理不尽なことや我慢することがたくさんあります。そのことで気持ちがいっぱいになることももちろんあります。

けれど、新たに気づいたこと、成長したこと、性格や価値観の変化など、よいこともたくさんあります。悪いことだけでなく、よいことに目を向ける訓練だと思って、よいこと探しを心がけています。


9.笑顔があれば誰かの役にたたなくていい

「どうしてわたしだけ、こんなに人に迷惑をかけてしまうんだろう?」と思った時は、「迷惑をかけた人は、わたしが笑顔でいたら喜んでくれる」と思うようにしています。

ここで、「誰かのためになりたい!」と思うのは危険だと思っています。「誰かのためになる自分でないとダメだ」という条件付けにつながりかねないからです。

「わたしは生きているだけで価値がある」そう思うことで、療養中の自分にやさしくできます。たいして役に立たない自分を無条件に大切にする、これは長期療養の極意だと思っています。


10.なにを為すかよりどうあるかが大切

「どうしてわたしだけ、こんなになにもできないんだろう?」と思った時には、「なにを為すかよりどうあるかが大切。」と思うようにしています。そうすれば、「なにができるか?」より、「どう向き合うか?」にフォーカスできます。

なにもできなくても、前向きに生きていれば、それだけで周囲の人は喜び、尊敬してくれたりします。


11.できる限りのことをすればいい

「どうしてわたしだけ、他の人よりよくならないんだろう?」と思った時、「自分ができる限りのことをすることが大切」と思うようにしています。

努力したからといって、病気がよくなるとは限りません。それでも、わたしが努力をする理由はふたつあります。

①後悔したくないから(納得したいから)②努力した分、自分を好きになることができるから

人と比べないのは難しい。だけど、自分の軸に意識を戻すことはできます。「自分が後悔しないために、自分自身を好きになるために、わたしができることってなんだろう?」そんな風に考えると、すこし気持ちが落ち着きます。


さいごに.しあわせは身近にある

「どうしてわたしだけ、普通の生活ができないんだろう?」と思った時、「しあわせは身近にある」と思うようにしています。

わたしは、もともと、マラソンやロードバイク、旅行が好きなアウトドア派でした。趣味を楽しんでいる時間はほんとうにしあわせで、あっという間に時間が過ぎていきました。

けれど、どんなに素敵な経験も、嫌いな人と一緒では楽しくない。それなら、ひとりで家にいる方がよっぽどしあわせです。

わたしは、病気が治る、治らないの問題と、しあわせの問題は別だと思っています。「病気だからしあわせになれない」と思っていた時期もありましたが、いまは「ほんとうのしあわせって意外と身近にあるんだな」と思っています。

自分にとって、しあわせとはなになのか?なんどもなんども考えてでた答えは、自分らしく過ごすこと、社会と接点をもつこと、好きな人(異性でなくても)と話をして笑うこと、でした。

そして、思うように身体を動かさなくても、外に出れなくても、しあわせを感じるためにできることをたくさん見つけました。

病気が治ることは素晴らしい、けれど、治ることだけが人生ではない。目の前のことに自分らしく一生懸命
取り組む、たのしむ、それ以上にしあわせで素晴らしい人生なんてないと思っています。

みてくださって、ありがとうございます♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?