#7 ケアラーの苦悩 空耳で聞こえるほどの電話のベル
認知症と診断されて1年ほどは混乱がひどかった。
プライドが高く、きちんとしていることをモットーにして生きてきていた認知症の姑サミーさん。できなくなる自分に戸惑い、間違えないように頑張ってもどこか不安でしかない日々と頭の中で膨らむ良からぬ妄想を乗り越えるのに、誰かに電話をして安心感を得るということを日常にした。
一日中困っている人になる
姑サミーさんは家にいる日は朝から夜まで困っている自分を作り上げては電話をかけ続けた。とにかく1日中不安と戦っていた。
失敗するかもしれない
なにかよくないことをしてしまったかもしれない
誰かに迷惑かけているかもしれない
お金が盗られるかもしれない
鍵がなくなっている(と思う)
平日の我が家は誰も家にいなかったので、ひたすら留守番電話に伝言が残されていた。
居留守を使っているんではないかと勘繰り、怒った口調で
「かねすけさん、いるのはわかっているの、電話に出て」と言ったり、
悲壮感漂う演技で
「どうしよう、大変なことをしてしまった。今すぐ助けにきてー」などと
言ったりしている録音を帰宅後に聞くと、1日の疲れが何倍にもなった。
休日となると朝からずっと電話のベルを聞くことになる。
話をするとその場では落ち着くが、ひどい時には電話を切って1分も経たないうちにもう一度かけてくる状態だった。
疲れてきて電話を取らずに放っておくと、別な人に電話をかけているようでしばらく静かになるが、30分から1時間ほどでまた戻ってくる。また、その間に被害にあっていた親戚などから、サミーさんから困っていると連絡があったけど大丈夫か?と我が家へ電話がかかり、事情の説明とお詫びをすることを繰り返した。
イライラした夫のNさんは我が家の電話線を抜くということをするようになったが、そのころはまだ頑張ったら携帯電話を使えていたので、サミーさんはどうにかして電話をかけてきていた。
Nさんにかかってきたときには相槌を打たなくてもサミーさんは20、30分ひたすら話し続けていた。途中からは話の内容が変わってきて、Nさんに対して説教じみたことや文句を延々言い続ける状態だった。はじめは対応していたNさんも途中から着信拒否をするようになった。
私の息子たちも時々電話に応答してくれていた。男子特有の抑揚なく一言、二言話をするだけだが、サミーさんはとても喜んでさっさと電話を切ってくれた。しかも「孫ちゃんたちは優しい」ということが認知症の頭にも刷り込まれ、結構長い間記憶にとどまっていた。孫の優しい人戦略も役に立った。
空耳で聞こえる電話のベル
そんなことがひと月ほど続き、電話が鳴っていることが常態化してきたころ、とうとうこちらの神経細胞にも影響が出てきた。常に電話の着信を気にしてしまうようになり、電話が鳴っていないのに鳴っているように聞こえてしまうことが度々起こった。
「あれ?今電話鳴ってなかった?」
「なんも鳴ってないよ」
サミーさんの電話のほとんどは何の緊急性もないので出る必要はないのだが、あれほど電話のベルを聞いていると勝手に耳が音を拾おうとするようになった。
驚愕の電話代
そのころ、月に2万円の固定電話代の請求書を見た時には驚愕した。
いったいどれだけの電話をしていたのだろう。
こんなことが永遠に続くのかと絶望していた電話攻撃は4か月ほどで収束していった。そうなると今度は電話をかけられまくっていた親戚から、
「最近全然電話来ないけど大丈夫?」と連絡が来ることがあった。
被害にあっていた人たちは、あの頃同じように空耳で電話のベルを聞いていたのではないだろうか。
電話攻撃がなくなったのはサミーさんが大事にしていた電話番号簿を隠してしまったからで、のちに私が見つけたがその隠し場所に置いたままにしてみた。いつまでたっても見つけ出せなかったようで、そのうち電話をかける行為がしにくくなって、電話がかかる回数は格段に減少した。
なぜ電話番号簿を隠してしまったのかはよくわからない。誰かに盗られると思ってしまったのだろう。だからわからないところにしまっておこうと思って、自分が一番困ることになってしまった。
何度か警察にも「電話番号が書いてあるやつをだれかに盗られた」と電話していた。そのことでお巡りさんがわざわざ家に来てくれたこともあった。
そうして私たちにとっては電話が鳴らない平和な日々が戻ってきた。
モーニングコール
このころから毎朝の服薬の時間に電話をすることを始めた。服薬の確認もあるが、デイサービスのお迎え時間を伝えたり、ゴミ出しに行くように伝えることが必要だったから。実家の母にもそんなに頻回に電話をしないので面倒くさいと思ったが、このモーニングコールは起床後のどうしてよいかわからないザワザワした気持ちを静めるのに割と役に立ったので続けた。ただし、それもしばらくすると効力が薄くなってきた。
それまでは電話で指示を出せば何とかひとりでデイサービスの準備ができていたが、お迎えの時間に間に合わなかったり、場所を間違えてしまうことが出てきたのでヘルパーの導入を考えるようになった。