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スキー場にて

あれは小学1年生くらいのことだっただろうか。
家族でスキーに行ったことのこと。

スキーが得意な父の後ろを、私は追いかけて滑っていた。

父は、後ろにいる私を気遣いながら、ゆっくりと大きくターンしながら滑っていた。

私もそんな父を真似したかったのだろうか、大きくターンをしようとしたら、大き過ぎて横側の山側に乗り上げてしまった。
その横側から真ん中に勢いよく曲がり戻って滑っていたら、真っ直ぐ滑ってきた若い男性に衝突してしまった。
アッと驚いた瞬間に目の前に空が見え、足に痛みを感じた。
ひっくり返っていたのだ。

すぐに父は気づいて、衝突した男性に「危ないじゃないか!」と怒っている。
その男性は恐縮し「すみません」と謝り、その男性の友人は「いや、お子さんが急に曲がってきてぶつかってしまったみたいで」と説明していたが、父は収まらず「でも…」と言い返していた。(よく聞こえなかった)

私は、自分が悪いような気がしていたが何も言えず、呆然とその光景を見ていた。

その後和解したのか、父と一緒に滑っておりたのだと思うが、この記憶で私が感じたのは「うれしさ」だ。

いつも母から伝えられる私に対しての父の否定的な言葉を聞くたびに「できそこない」だと父から自分は思われているんだろうと思っていたし、当然愛されていないと感じていた。

なので父が私のことで他人に怒ったということが、父から愛されている、大事に思われていると感じられて、とてもうれしかったのだ。

母から伝えられる父の姿ではなく、あれが本来の父の姿だったのではないかと今は思う。

今思うと母から伝えられる父からの言葉は、実は母の解釈で伝えられたものなので、本当に父が私対して言っていたのか、また意図が母から伝えられたようなものなのかわからない。
母が私の愚痴を父に言った時に、その愚痴や怒りを収めるために言ったのかもしれない。

大事な思い出として、記しておきたくなった。







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