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老人ホームで働く理由を考えてみた

 私が働く老人ホームは、ここのところザワザワバタバタしている。
 ヴィーが退職、クックのアラーナが1日ボイコットをした。リーダーのアン、そしてヴィッキーが部署移動を志願した。

 上の記事を書いた翌日、リーダーのアンから「新しい仕事を見つけた」という報告があった。ヴィッキーは「木曜日は別の仕事をするから、月、火、水曜日しか働かない」と言った。
 皆、それぞれの生活がある。アンの再就職、時給のいい仕事が見つかったヴィッキーを祝福した。
 ほぼ同じタイミングで、以前履歴書を送ったことのある、大学の食堂から「新しいポジションが空きました」と私に連絡があった。拘束時間は1日5時間、週5日の勤務で、時給は今の仕事の1.5倍だ。”アンもヴィッキーもいなくなるし、とりあえず応募してみようか?”そう思ったけれど、今の仕事を辞めたい理由が見つからない。

 ジョージアは細くて小さいお婆さんだ。

ニコリとしたらとってもかわいいジョージア

 朝食はコーヒー、アイスウォーター、オートミールだ。耳も遠く、言葉もスムーズに出てこないけれど、言いたいことを理解してあげると、満面の笑みを浮かべる。
 1か月ほど前、抜歯をしたら、ほっぺたが倍くらいに腫れ上がった。どうにか腫れはひいたけれど、それをきっかけに、時間の感覚がおかしくなった。朝食を食べに来たのに、昼食の「本日のスペシャル」をリクエストする。
「ジョージア、今は朝ごはんやで」
「朝ごはん?いいえ、私はスペシャルが食べたいの」
 1週間のスペシャルメニューが書かれた紙を見せる。
「お昼になったら食べれるけど、今は朝ごはん」
「いいえ。私はこれを食べに来たの」
 ジョージアは頑なだ。「今は7時半」「朝食です」と紙に書く。
「・・・7時半・・・朝食・・・スペシャルをちょうだい」
 こうなったらどうしようもない。
「グリルチーズサンドウィッチなら作れるよ」
 ジョージアの好きなメニューでディールしてみる。成功することもあれば、成功しないこともある。
「じゃ、グリルチーズサンドウィッチをちょうだい」
 ジョージアとの交渉は成功しても、次はアラーナとの戦いが待っている。ジョージアに見せた紙をアラーナに見せて、どうすることもできないことを説明し、なんとか作ってもらう。
 昼食は11時半からスタートだけれど、準備中の真っ只中に来たこともある。
「ハニー!!!」
 ジョージアが、コーヒーカップを掲げている。食べる気満々だ。
「ジョージア、ランチまだあと1時間あるよ。お部屋で待ってる?ここで待つ?」
「今日のスペシャルはなーに?」
「まだ準備中やから、サーヴィスできないねん」
「今日のランチはなーに?」
 ジョージアは本当に歯を抜く必要があったのか?つくづく思う。
 頑ななジョージアに困ることもあるけれど、いいこともいっぱいある。
 朝食が終わったジョージアに、持ち帰り用のコーヒーを渡して、ウォーカーのある場所まで手を貸してあげたら、満面の笑みで投げキスをしてくれた。
 ジョージアの友達のメリーは、私にカードをくれた。
「私の友達のジョージアにいつもよくしてくれてありがとう」
 とても嬉しかった。

 甘えん坊でわがままなアンジーは、朝はディキャフェのコーヒー、昼はアイスティーにノンシュガーの砂糖を3本入れる。

どことなくテディベアっぽいアンジー

 アンジーは片手が使えないし、立ったり座ったりするのもヘルプが必要だ。トーストにジャムを塗ったり、料理をひと口大に切ったり、前かけをかけたり、ウェイトレスは、アンジーがリクエストすることを把握している。
 ところが、ウェイトレスが他の住民の世話をしていると、新たなリクエストを見つけ出す。
「ハニー、持ち帰り用の紅茶を準備して」
「ハニー、サンドウィッチも食べたい」
「ハニー、半分はここで食べるけど、半分は持ち帰りたいの」
「ハニー、お料理をこぼしちゃったの」
「ハニー、パティにコーヒーをあげて」
 自分のことで頼むことがなくなると、隣に座っている人の分までリクエストする。
 新しい人が来ると、自分のテーブルに座らせて面倒をみる・・・と言っても、自分では面倒が見れない。
「ユミ、彼は乳製品が苦手なの。デイリーフリーのアイスクリームはないの?」
「彼にオレンジジュースをあげて」
「彼のオーダーはまだなの?」
 ウェイトレスをさんざん呼び止めて、
「ここのウェイトレスは皆、とてもよくしてくれるのよ」
 と自慢する。
 誰よりも大切にされていることを自分でも確認し、他人にも認識してもらいたいのがアンジーだ。
 横を通るたびに声をかけられるので、忙しいときは後回しにするけれど、ほとんどのリクエストに応えている。そのせいか、ここ最近、アンジーの我がままがエスカレートしてきた。
「ロイスがこのテーブルに来たらブロックして」
「ダンをこのテーブルに座らせないで」
 これらは我がままではなく意地悪なので、アンも私も好きではない。アンはアンジーに声をかけられないよう逃げる。私はアンジーのリクエストの意味がわからないフリをする。
 アンジーがレストランに現れるのは、朝食と昼食だけだ。夕食はいつも部屋で食べる。これまで何も考えなかったけれど、先日、ふとその理由に気付いた。彼女にとったら、自分の部屋からレストランへ来るだけでも大仕事だ。朝と昼は頑張れても、夜は疲れて部屋から出る元気がないのだろう。
 私なら30秒でたどりつく距離でも、アンジーの場合は20分だ。往復40分のウォーキングだ。一歩ずつ、ちょこちょこ歩きで、頑張ってレストランまで来てくれる、来たいと思ってくれる。
 そう考えると、「ハニー・・・ハニー・・・」と甘えるくらい、なんてことはない。意地悪は聞いてあげられないけれど、意地悪をするアンジーを不快に思わないでおこうと思った。
 アンジーの我がままを聞いていて、嬉しいことがある。いつもアンジーと同じテーブルに座るリチャードは、私がアンジーに手を貸すたびに、小さな声で「Thank you」と言ってくれる。病名は知らないけれど、リチャードは手がブルブル震えるので、食事を口に運ぶだけでもひと苦労だ。彼に手を貸したときはもちろんだけれど、別の人に手を貸しても「Thank you」と言ってくれる。そんな彼の「Thank you」は、とても心がこもっている。アンジーに手を貸して良かったなぁと思える瞬間だ。
  
 アンジーが苦手なダンは、住民の中では風変りだ。甘いものが大好きで、ワッフルやパンケーキにものすごい量のシロップをかけて食べる。毎回、子供の頃には飲めなかったというオレンジジュースを注文する。
 ワイルドと言えば聞こえはいいけれど、ほぼホームレスの様相だ。最近は、ホームレス度も増してきた。

 脳もちょっぴり故障気味だけれど、時々正常になる時もある。

良く言えば仙人だけれど、どちらかといえばホームレスに見えるダン

 今朝は、6時半に出勤すると、素足でエントランスの椅子に座っていた。
「ダン、靴履いてないやん」
「なんなら靴下も履いてないで」
 故障中か、正常か?微妙なところだ。靴下は、ここ最近、履いているところを見たことがないので、見つけられないのだろう。
 正常だけれど、恐ろしく不機嫌な時もある。
「ヘイ、ダン!」
 ジロリと睨まれる。
「・・・申し訳ない。君のせいじゃない」
「わかってるから大丈夫やで。なんか飲む?」
「俺に必要なのは飲み物じゃなくて、銃で頭を撃ち抜いてもらうことや」
 彼は子供の頃の話をよくするけれど、大人になってからの話はほとんど聞いたことがない。社会生活に疲れて早くにリタイアしたと話していたので、自立してからは、あまり素敵な思い出がないのかもしれない。
 それでもダンには、なかなかカッコいいところがある。
 ダンがアンジーのテーブルの近く、中途半端な場所に座っていた。
「ダン、どこに座るん?」
「あの女性が、俺に座って欲しくないらしい」
「じゃ、こっちのテーブルに座る?」
「いや、俺は彼女のテーブルに座る。彼女は俺のことを知らない。一緒に座って確認すればええやん。俺は座って欲しくない理由をきちんと確認する」
「そうなん、じゃ、こっちにドリンク置く?」
 アンジーに全力で拒否されたので実現しなかったけれど、個人的には、自分が正しいと思ったら、相手に嫌われてもいいから、やり抜くダンを応援したい。とはいえ、こちらは少数派だ。見た目がホームレスのせいか、シアトルの人は本音で話すことを苦手とするせいか、ダンを理解する住民は、かなり少ない。
 昨日のことだ。そのダンからプレゼントをもらった。
「これ飲む?君はええ奴やから、これをあげるわ。俺は美味しいと思うねん。俺が若くて、金持ちやったら、君をここから連れ出してデートに行くねんけどなぁ」
 お金持ちじゃないダンは、私にダイエットペプシをくれた。彼の実力でできるプレゼントだ。自分が美味しいと思うダイエットペプシをシェアしてくれる、そんなダンの気持ちが嬉しかった。

 ヴァージニアは、先日97歳になった。腰も肩も首も、骨が歪んでいるのだろう。いつも体が右に傾いているけれど、頭はハッキリしている。
 朝食は決めるのも面倒くさいのだろう。「いつもの」フレンチトースト、スクランブルエッグ、ベーコンを私が勝手に注文する。

頑張り屋さんのヴァージニア

「リハビリになるから、自分でがんばる」
 こう言って、ウェイトレスの手を借りずに、自分でできる限りのことをする。
 先日、最後まで食事をしていたヴァージニアの隣に座っておしゃべりをした。窓際にある、真っ赤になった楓が美しい。
「この木は秋に色が変わると思ってた」
「これはメイプルツリー(サトウカエデ)よ。木に興味があるの?」
 ヴァージニアはウォーカーの中から2冊の小さな本を取り出した。木の本と、鳥の本だ。

10センチくらいの小さなガイド

 木にも鳥にも、特別興味があるわけではないけれど、ダンナと散歩をしながら、
「この木は何かな~?この花は何やろ?」
「日本名はつつじ!英語は知らん」
「この青い鳥は前も見たやん!」
「見た見た!名前なんやろう?」
 ワイワイやっているので、このガイドがあれば楽しいだろうなと思った。
「じゃ、ちょっとの間、借りてもいい?」
「借りる?私の先は短いんだから、あなたが持ってたらいいのよ」
「そっか。じゃ、もらうわ。ありがとう!」
「本は好きなの?」
「好き好き」
「南北戦争の本がたくさんあるけど」
「それはすごーく興味がある」
 ヴァージニアは90歳まで古本屋さんでヴォランティアをしていた。そのとき、本をたくさんもらったそうだ。
「先が短い」と言うヴァージニアに、「まだまだ大丈夫!」と言った方がいいのかな?と思うこともあるけれど、生きているだけで大変なことを知っているので、なかなか言えない。
「おはよう!元気?」
「おはよう。今日も目が覚めたから、まだ大丈夫みたい」
「良かった良かった。今日も会えて嬉しいよ」
 体に負担にならないよう、そ~っとハグをする。
 木と鳥の本は、いつかヴァージニアの片身になるんだなぁと思うけれど、私の手元にあることに不思議なつながりを感じている。
 そして1日3回、食事に来るたびに、再会を喜んでもらえることをとても嬉しく思っている。

 老人ホームを辞めたくない理由が、なんとなーくわかってきた。
 毎回の食事でヘルプをするたびに、私たちウェイトレスは住民から「感謝」というプレゼントを頂いている。自分が誰かの役に立っている、自分が必要とされている、こう感じられることは素敵なことだと思う。
 しかも、私たちウェイトレスが携わるのは、食事のヘルプだけだ。食事に来れる人、食事ができる人のヘルプなので、食べさせてあげる必要もない。風呂、トイレ、着替えの世話をする介護の仕事の大変さとは比べ物にならない。それでも、毎回、感謝をしてもらえる。
 アンは、他の仕事を見つけたけれど、アラーナの問題が解決すれば、転職は取り消すらしい。ヴィッキーは経済的な理由で週に3日しか働かないけれど、辞める気はない。二人ともこの仕事を辞めたいわけではない。私と同じかどうかはわからないけれど、彼女たちもこの仕事が好きなのだ。

 さて、アンは新しい仕事を見つけたけれど、実は、スタートする日は決めていない。頭のいい彼女は、転職できる場所を見つけた上で、問題解決に乗り出した。
 彼女の問題は「アラーナが住民のリクエストに応えないこと」「マネージャーのベルナルド、施設のディレクターのベッツィーが、この問題を放置し続けること」だ。アンは、本社の知人にこれら問題を報告した。その結果、本社からベッツィーに何らかの圧力がかかったようだ。
「近いうちに変わるわよ」
 ベッツィーがアンに言った。
 今後、本社はどんなアクションを起こすのかな?ベッツィーは、本当に変える気があるのかな?
 すごい期待はできないけれど、軽く期待している。
 
 クックとウェイトレスがチームとして機能しますように!
 この仕事が好きな3人で、これからも仲良く働けますように!
 住民のレストランにグッドラックです♬
 

最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!