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老人ホームの不思議

出勤初日、マスクをしている私を見て、ヴィーが言った。
「マスクは個人の選択よ。私はしないことに決めたけど」
そういえば、マスクをしている従業員を見た記憶がない。
その時点で、数人の従業員がコロナに感染し、休みをとっていたにも関わらず、である。
「いつもより、レストランで食事をする人が減ってるのよ。みんな感染を恐れてるからね」
当然だ。
じゃ、なんで、マスクを付けないの?

老人たちはマスクをしない。なぜなら、ここは彼らの家だからだ。
そして、彼らはほとんど外出をしない。
マスクをするとしたら、外部からコロナ菌を持ち込む可能性の高い、従業員じゃないの?
とはいえ、ここは、「勘違いの自由」を主張する人がわんさかいるアメリカだ。妖怪人間ベム似の、ここで一番偉いディレクターですら、マスクをしていない。
余計なことは言わず、自分の身を守るために、マスクをし続ける。

マスク以外にも、気付いたことがある。
従業員の中には、とんでもなく老人に冷たい人がいる。

キムは、車椅子を押してもらって食事にやってくる、韓国人のおばあさんだ。
脳梗塞でもしたのか、体が自由に動かせず、言葉もスムーズに出ない。
毎朝、ヘーゼルナッツフレーヴァーのミルクを入れたコーヒーを飲みながら、ひと口大に切ってもらったパンケーキを、ゆっくり、ゆっくり時間をかけて食べる。

問題は、食事が終わってからだ。

首からぶらさげたベルを押すと、介護人がやってくる・・・はずだけれど、何度押しても、だーれもやって来ない。
私たちウェイトレスが、キムの介護をすることは、禁止されている。ヴィッキーは、従業員が歩き回っている廊下に、車椅子に乗ったキムを移動させた。
誰が見ても、廊下に置かれたキムは不自然だ。
「どうしたの?」
普通の人なら声をかける。
けれども、ここには普通の人が少ないのか?ちょこんと座っているキムが見えないのか?皆、ぶんぶん彼女の前を通り過ぎる。
誰かが通るたびに、彼女は手をあげ、声を出そうとするけれど、もちろん間に合わない。
結果、彼女は1時間近く、廊下に放置された。
いつものことだけれど、ヴィッキーが車椅子を押して、キムを部屋まで送り届ける。見つかると問題になるので、ヴィッキーはキムを部屋に放り込み、大急ぎで戻ってくる。

はて、帰りはヴィッキーが送るにしても、朝は誰が連れて来るんだろう???

この疑問は翌日に解決した。
その日の朝、ものすごいスピードで、車椅子に乗ったキムがテーブルに届けられた。髪をショッキングピンクに染めた介護人が押す車椅子は、テーブルにぶつかる直前で、ピタリと止まった。
見ている私でも怖かったのだ。乗っていたキムは本気で怖かったと思う。体の不自由なキムが、思わずテーブルに手をそえて、衝突を防ごうとしたほどだ。
ショッキングピンク・・・怖いぞ・・・。

その翌日、ランチが終わる頃に、キムを見ていないことに気が付いた。
「あれ?キムってランチに来たっけ?」
ヴィッキーに聞こうとしたときだ。
「彼女はひとりで廊下にいたのよ!誰も食事に連れて来てあげないじゃないの!」
キムの車椅子を押して入って来たのは、ザ・ミゼラブルのロイスだ。
介護人がキムを連れてこないことも、ウェイトレスの私たちが怒られることも、全部間違っているけれど、ロイスには関係ない。

食事へ来るたびに、「食べる物がない」と怒り、悲しんでいるロイスだけれど、こんな風に、他人の分まで怒るので、怒るネタに尽きない。
先日のランチはポークリブだった。
リチャードはポークが食べられないので、代わりにチキンを注文した。ところが、待てど暮らせどチキンは出てこなかった。しばらくしてリチャードが私に聞いてきた。
「俺のランチってこれで終わりなん?」
「終わりやで。え???まだ食べてないの?」
驚く私に対し、リチャードの隣に座っていたロイスが叫んだ。
「彼はチキンを注文したのよ!!」

ロイスはリチャードのことで怒っていたけれど、彼女の目の前に置かれた皿を見て、もっと怒った。
そりゃそうだ。ランチのポークリブは、見ただけで食欲を失くす一品だった。
ポークリブは、筆箱みたいにデカいし、サイドのベイビーキャロットと、ヤム芋を砂糖で煮込んだ”キャンディーヤム”も、サイドとは思えない量、てんこ盛りだ。
しかも、マリネされたポークリブはオレンジ色、キャロットも、キャンディーヤムもオレンジ色だ。
オレンジの山は、ヴィジュアルだけで、お腹いっぱいを超えて、気持ち悪くなった。この皿を見て、自分が大切にされているとは、とても思えない。
皿を出した瞬間、彼女が言った。
「こんな物、食べられるわけがない」
「(・・・同感です)」

さらにロイスの不幸は続く。
リブの代わりに、ターキーサンドウィッチをオーダーしなおしたために、ヘッドシェフに怒られた。
キッチンの人が、こっそり作ってあげたらわからないのに、
「いつもオーダーを変える!食材を無駄にする!」
顔を真っ赤にして、ヘッドシェフのベルナルドに訴えたからだ。
オーダーを変えちゃいけないルールはわかるけど、せめてサイドに、グリーンビーンズとか、ブロッコリーとか、体に優しい一品を添えてあげればいいのになぁ・・・と思ったけれど、さすがはアメリカ人、このメニューが好きな人もいる。
「いつも素晴らしい料理を作ってくださってありがとう」
ベルナルドにお礼を言っている人がいた。
メニューを作るのはベルナルドだ。リブ&ベイビーキャロット&キャンディーヤムは、今後もメニューに残るだろう。
ミス・ロイスの望みが叶うことはなさそうだ。

ロイスは怒られたけれど、意地悪従業員と戦う老人もいる。
ボブだ。
5分置きにタバコを吸いに行くボブは、終日、歩行器を押して、ホームの中を歩き回っている。
声をかけると、うつろな目でおっぱいを眺める以外は、ただ歩いているだけの、静かなおじいちゃんだ。
朝食、昼食が終わっても、テーブルに戻ってくるので片付かないけれど、そんなことは、問題にもならない。
ところが、歩き回って怪我をされたら困るからか、介護の人たちは全員、ボブを嫌っているらしい。
ある日、ボブは歩行器の代わりに、ダイニングルームの椅子を押して、出て行こうとした。椅子の前足にも車が付いているので、押せないわけではない。
「ボブの戦いが始まった」
ヴィッキーが言った。きっと、はじめてではないのだろう。
介護人に見つかる前に、ヴィッキーが歩行器を持って、ボブに近付いた。
「これとトレードせえへん?こっちの方がええと思うよ」
ボブは頑なに椅子を押す。
その時だ!ボブを怒るチャンスを見つけたかのように、ショッキングピンクが飛び込んできた。
「あなたの歩行器はこれよ!この椅子を返しなさい!」
ボブは、何も聞こえないフリをして前進するけれど、ショッキングピンクは、彼が右へ行こうとすれば右を、左へ行こうとすれば左を塞ぐ。
そして、ボブから椅子を取り上げた。
まぁ、ボブも結果はわかっていたはずだ。しら~として、自分の歩行器を押しながら、タバコを吸いに出て行った。

ショッキングピンクの怒りの理由はわからないけれど、彼女が通常以上に忙しいことは間違いない。
現在、老人ホームでは、コロナウィルス感染者激増中だ。
他の介護人も見ないし、ショッキングピンクは、ひとりで老人の介護をする羽目になっているのかもしれない。
いずれにしても、老人に怒りをぶちまけるのは間違っているけれど。

それにしても、間違い、不思議なことが多すぎる。
数日前、食事に訪れた老人、ひとりひとりに、スタッフがマスクを付けて回っていた。
映画の試写会、風船バレーボール、読書会など、アクティヴィティを担当するスタッフたちは、ショッキングピンクと違い、優しく老人に接する。
「コロナが流行ってるからね、食べるとき以外はマスクをしましょうね~」
彼らは笑顔を浮かべ、子供を扱うように、老人たちにマスクを付けてあげる。

うーーーん・・・・・


住民にマスクを付けさせる前に、お前らスタッフがマスクをしろー!!!


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