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ヴィッキーの大騒ぎと神様からの贈り物

 私は、シアトルにある、老人ホームのレストランでウェイトレスをしている。シフトは朝食と昼食、パートナーは、メキシコ人のヴィッキーだ。エンターテイナーのヴィッキーは、ただオーダーを取り、食事のサーヴィスをするだけではない。おしゃべりはもちろん、歌ったり、踊ったり、いつも住民が喜ぶことを考えている。一方、私は、ヴィッキーをサポートして、裏方に徹する。チームワークは完璧だ。けれども、ヴィッキーの転職により、チームは今月末で解散する。 

 彼女の、次の職場は、歯科医院だ。給料も上がるし、休みも多くなる。最初は受付だけれど、長く働けば、歯科助士の資格も取れる。キャリアを積めば、引越しなどで、職場を変わることになっても、仕事が見つけやすい。
「嬉しい!でも、私を愛する住民を悲しませることがつらい」
 大喜びする一方で、転職が決まってからは、住民のために心を痛め、日々泣いたり笑ったり、ヴィッキーは大忙しだ。

「転職すること、リンジーに言わなあかんやん!」
 リンジーは、私たちの新しいボスだ。彼女は就任するとすぐに、職場の様々な問題解決に向けて、動き始めた。
「私があなたをトレーニングしてあげる!」
 ヴィッキーはこう言うと、リンジーのサポートを始めた。サポートは大切だ。けれども、新しい人の採用も重要だ。ヴィッキーの退職により、まともに仕事をする人間が、私ひとりになる。人手不足に加え、人材不足だ。せめて数でカヴァーしてもらいたい。
「わかってる・・・今日は言わない。月曜日に言う」
 
 月曜日、ヴィッキーはずーっと迷っていた。
「リンジーには、月曜日から金曜日まで、働けないって言おうかな・・・」
「ややこしいねん。転職が決まったって言えばええやん」
「・・・だって、リンジーも私のことが好きやもん。彼女を悲しませたくない・・・」
「悲しいかもしれんけど、いずれにしても辞めるんやろ?しゃーないやん」
「そうや!こう言うのはどうやろ?『リンジー、誤解せんといて欲しいねん。私、この仕事は大好きで、辞めたくないねん。でも・・・』」
「ヴィッキー、シンプルに、辞めますでええねん。説明は後や」
「・・・シンプルに・・・そうやんな・・・吐きそう・・・」
 ヴィッキーのパワーは、人に愛される、人に好かれることだ。強い女性だけれど、相手を悲しませたり、怒らせることを考えると(想像すると)、途端にへなちょこになる。
「リンジーは、理解してくれると思うで」
「わかってるねんけど・・・」
 
 ランチのサーヴィスが終わり、後片付けが終わった。
「リンジーに言ってくる」
「わかった。じゃ、帰るわ」
「・・・・・・・・」
「一緒に行った方がええの?」
「来てもええよ」
 どうやら、一緒にいて欲しいらしい。二人で、リンジーのいるキッチンに入って行く。
「リンジー!私、あなたが来てくれて、すごい嬉しい!それと同時にすごい悲しいねん。この場所を変えたくて、私はずっと頑張ってきてん。あなたが来て、やっとここがいい場所になる気がするわ。誤解せんといて欲しいねんけど、私は、この仕事が好きやねん・・・」
「ヴィッキー、あんた、辞めるの?」
「・・・イエス」
「Fu*k You」

 リンジーのことが好きになった。
「そうなのヴィッキー・・・どうして?寂しいわ・・・」
 なーんて、嘘くさいことを言う人じゃなくて良かった。
 この後、ヴィッキーは「この仕事が好きなこと」「住民に愛されていること」「彼らを悲しませることに心を痛めていること」「お金のために、辞めざるを得ないこと」を、リンジーに伝えた。
「わかるで。わかるけど・・・あなたたち、いくらもらってるの?」
 金額を伝えた。
「そんだけ?わかった。ベッツィーに交渉してみる。時給が上がったら、残るという選択はあるの?」
「・・・」
 時給が上がっても、あちらの方が収入は上だ。キャリア、就業時間、福利厚生を考えると、新しい仕事の方がいいに決まっている。
「ユミ、あなたは大丈夫?」
「大丈夫」
 大丈夫だけれど、リンジーの心配は大正解だ。現実問題、一番打撃を受けるのは、私だ。他の人は寂しいかもしれないけれど、私は、劇的に忙しくなる。
 とはいえ、仕事とはそんなもんだ。私のために、ヴィッキーが、自分の人生を犠牲にする必要はない。残された者で、どうにかする。どうにもならなければ、どうにかしてもらう。どうにもしてもらえなければ、別の仕事を探す。会社のために、自分を犠牲にするつもりはない。安い賃金で働く、末端労働者の、唯一、最高の特典だと思っている。
 
 なーんてクールなことを書いているけれど、この仕事は、意外と転職に踏み切れない、踏み切りにくい。
 その理由は、以前も考えたことがある。

 毎回の食事でヘルプをするたびに、私たちウェイトレスは住民から「感謝」というプレゼントを頂いている。自分が誰かの役に立っている、自分が必要とされている、こう感じられることは素敵なことだ。

note「老人ホームで働く理由を考えてみた」

 子供や病人もそうだけれど、老人のお世話をする仕事は、他のビジネス以上に、自分の存在価値を、ダイレクトに認識できる。
 ただ、実際に辞めるとなると、これとは別の理由、感情が浮上する。
 住民の多くは「家」をあきらめ、「家族」と別れて、ここで暮らしている。望まぬとも、ここが、彼らの終の棲家だ。家族が訪ねて来る人もいるけれど、意外と少ない。家族がいない人もいる。体も不自由になり、メインアクティヴィティは、食事と部屋の往復だ。多くの人が、あきらめと寂しさを抱えて、ここで暮らしている。
 そんな彼らにとって、私たち従業員の存在は大きい。会う回数が増えれば増えるほど、心を込めてサーヴィスされればされるほど、その存在は大きくなる。
 仕事が終われば、とっとと帰る私とは違い、ヴィッキーは、もっとパーソナルに仕事をしてきた。自腹でクリスマスやイースターのディコレーションを買い、アイスクリームやドーナツを住民にふるまった。就業後に、住民のパーティに参加したり、仲良しの住民とワインを飲むこともあった。
 住民にとって、彼女の存在が大きいことを、ヴィッキーは知っている。
 会社同様、彼らのために、彼女の人生を犠牲にする必要はない。けれども、会社は「退職」だけれど、住民とは「別れ」だ。しかも、永遠の別れになる人がほとんどだ。彼らの多くは、思った以上に早く、ヴィッキーの存在を忘れるとわかっていても、彼女の心が揺れる気持ちはよくわかる。

 さて、リンジーは、ヴィッキーの退職を、施設のトップ、ベッツィーに報告した。翌日のミーティングで、ベッツィーは、全従業員に、ヴィッキーの退職を報告した。人の口は封じられない。「あっ」という間に、ヴィッキーの退職は、住民に知れ渡った。
「ユミ~、リンダに『あなたの退職を聞いて、動揺してる』て言われた~」
「ユミ~、マリアが『あなたがいなくなると寂しい』て言うねん」
「ユミ~、アンジーに『私たちを残して行くの?』て言われてん」
 皿洗いをしている私のところに、汚れた皿を持ってくるたびに、
「ユミ~・・・ユミ~・・・ユミ~・・・」
 住民の言葉を伝えに来る。そして、こう言う。
「なんで、皆悲しむと思う?皆、私のことを愛してるからや!」
 このようなフレーズは、一緒に働き始めてから、何千回も聞いている。日本人の感覚では、自慢にしか聞こえない。けれども、この言葉を聞くたびに、彼女は苦労をしてきたんだなぁ・・・と思ってしまう。

「俺ら黒人が『黒人は美しい』「黒人は素晴らしい』て言うのは、自慢じゃないねん。俺らは、この国で必要とされてない。大切な存在じゃないやろ。『黒人は美しい』て言うてくれる人なんかおらへん。誰も言うてくれへんかったら、自分たちで言うしかないやん。俺たちは、この国で強く生きていくために、『俺たちは美しい』て言って、自分を鼓舞せなあかんねん」

 随分前に、ダンナが教えてくれたことだ。
 メキシコ人のヴィッキーが、同じ感覚で言っているのかどうかは、わからない。けれども、彼女のご両親も、ステップママも、早くから近くにいなかったと聞いている。14歳で出産したときも、親の助けは一切なかった。10人いる兄弟も、その頃は、彼女を助けられるような環境ではなかった。彼女もまた、
「ひとりで子育てをしてるけど、私は皆に愛されてる!」
 と言いきかせて、頑張ってきたんだろうなぁ・・・と勝手に想像している。

「ユミ~・・・彼らを悲しませることがつらい・・・私がおらんようになったら、彼らはどうするの?」
「会いに来たらええやん」
「皆、私が辞めることを悲しがってる。つらい~」
「悲しいけど、喜んでくれてるはずやで。辞めるのは簡単やけど、新しいことを始めるのは難しいで。とりあえず歯科医院に行ってみて、嫌やったら戻ってきたらええやん。戻る場所はいくらでもある!」
「そうやんな・・・そうや!歯科医院は週4やから、残りの3日間を、ここで働こうかな?」
「お~、ええやん!週末の朝食やったら暇やし、ひとりでエンターテイメントできるで。住民の楽しみにもなるし、ヴィッキーも皆に会えるやん」
「そうやな・・・住民も、私に会えるし、やな」

 こういう次第で、ヴィッキーの退職は取りやめになった。さらに、ヴィッキーの後釜には、彼女の娘が入ることになった。地方の大学に通っている彼女の夏休みは、8月から12月までだ。この4か月間、ヴィッキーに代わって、働いてくれる。
「私の娘は、私と全然違うで!時間通りに来る!シャイやけど、真面目に働く!保証付きや!」
 リンジーは、採用に向けて、すぐに動いた。
 私と一緒に働くかどうかはわからないけれど、優秀な人材がひとり入ることが決定した。
 家族が同じ職場で働くことは、禁止されているため、ヴィッキーは、アクティヴィティ部への移動が決まった。住民とゲームをしたり、体操をする部署だ。この部署のマネージャーは、歯科医院よりは安いけれど、破格の時給を提示したらしい。
 
 ヴィッキーの転職が決まってから、彼女は泣いたり、笑ったり、心を痛めたり、まさに大騒ぎの毎日だった。
 現時点では、彼女の問題はすべて解決した。経済状況は好転する予定だし、アクティヴィティ部で、彼女のポジションも確保できた。大好きな住民と別れる必要もなくなった。言うことなしだ。
 どんなときも、いつも明るく、ポジティヴに生きてきた、ヴィッキーへの、神様からのご褒美だな。
 彼女の、今後の活躍を期待したい😁

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