【シリーズ第76回:36歳でアメリカへ移住した女の話】
このストーリーは、
「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」
と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
前回の話はこちら↓
我々がシアトルへ引越してきたのは、2007年の11月、サンクスギヴィングの少し前だった。
シアトルに来てすぐの頃は、パパが近くで暮らす息子の幸せを、ママも喜んでくれた。
最初は笑顔で我々の訪問を喜んでいる様子だったけれど、次第に、その笑顔が曇り始めた。
ランチを買って、遊びに行った時のことだ。
食事を先に終えた2人が、私を挟んで口論を始めた。
2人の問題に、口を挟むことはできない。
違う部屋へ避難したいけれど、他人の家を勝手にウロウロするわけにもいかない。
頭上で飛び交う激しい言葉を聞きながら、黙々と食べ続けた。
すると、彼女が私に向って言った。
「ゆみこ!私たちの関係はいつもこうなのよ!
彼はいつもこうなの!だから一緒に暮らせなかったのよ!
わかるでしょ!!」
・・・わからん。
「こう」ってどうだ?
息子の誕生日パーティに招待された時のことだ。
帰り際に、息子のママが、半泣きで訴えてきた。
「彼は、息子にとって素晴らしい父親だったのよ。
これからも、彼は息子と仲良く遊んでくれるだけでいいの!
他のことに、口出しして欲しくない!」
・・・私に言われても困る。
出産後すぐ、彼女は彼の前から姿を消し、シアトルで暮らし始めた。
その直後、精神的なダメージで、子育てができなくなり、彼にヘルプを求め、3人の生活が始まった。
ところが、息子が3歳になった時、彼女は再び息子と二人だけの生活を望み、”素晴らしい父親”を追い出した。
彼女は、彼の遺伝子だけが欲しかったと言ったそうだ。
この事実だけを聞くと、ひどいなぁと思うけれど、男女のことは、本人同士にしかわからない。
ただ、恵まれた環境で育った白人のママと、この国の底辺で、命がけで生きてきた、黒人の彼とは考え方、特に子育てにおいては、大きな違いがあったはずだ。
黒人の親の使命は、この国の人種差別に耐える力、極悪な環境を乗り越える強さ、危険を回避する能力を携えた子供を育てることだ。
特に男の子の場合は、ギャングから誘惑される、シューティングに巻き込まれる、警察官に暴力を受けるなど、命を失うリスクが高い。
そのプレッシャーの中で、男性は女性や子供を守らなければならない。
男の子は、生まれた時から”男”として育てられる。
子供を甘やかし、わがままに育てることは、その子の命を危険にさらすことになる。
本当に貧しいエリアで暮らす人々は、男の子が生まれた瞬間から、殺される覚悟を持って、子育てをしなければならない。
とはいえ、ここはシアトルなので、その環境は随分違う。
「俺に黙って息子を連れ去った。彼女のしたことは誘拐やで。
そのことは許せることではないけど、安全なシアトルに、息子を連れてきてくれたことには感謝してる」
彼が私に言ったことだ。
息子と離れ離れになることは耐え難かったけれど、息子の命を守れることで、自分の中で折り合いをつけていたのだと思う。
今回、息子の希望もあり、彼は、キャリアを失う覚悟でシアトルに来た。
シカゴとは違い、ギャングの取り扱いを教える必要はない。
けれども、父親として、男として、黒人として、息子に伝えなければならないことがある。
彼自身のヒストリーはもちろん、黒人としての誇り、生き様、そして両親、年上の人、女性に対するリスペクトといった、黒人の芯となる部分だ。
シアトルで暮らす白人のママには教えることができない、大切なことだ。
1968年、ビル・コズビーによって製作されたビデオがある。
黒人教師が、子供たちに黒人として誇り高く、強く、忍耐強く生きることをレクチャーする。
黒人が子供を育てる覚悟や、黒人の子育てのイメージが沸くかもしれない。
「君のナショナリティはなんだ?」
「アフロアメリカンです」
「フリーダムとはなんだ?」
「フリーダムはブラック・パワーです」
「ブラック・パワーとはなんだ?」
「・・・」
「言葉の意味を知らないなら、君はその言葉について述べるべきではない。・・・君は何歳だ?」
「4歳です」
「君は6歳だ!」
「・・・私は4歳です・・・」
「先生の私が6歳と言っている。君は6歳だ!」
「ノー!」
「君は、私が違うことを言ったら、私に向って大声で怒鳴るのか?
君はそんなことで理性を失うべきではない。もっと忍耐強くなり、堂々と意見を述べるべきだ」
「君は何者だ?ニグロか?」
「違います。私は美しい黒人です」
「他には?君は何者だ?男の子か?」
「いいえ、私は美しい黒人の男です」
「君は年寄りの男か?若者か?」
「私は、若い黒人の男です」
「若者よ、前に来なさい・・・君はニグロだ」
「ノー」
「私は君の先生だ。君はニグロだ」
「ノー」
「もし私が君を殴ると言ったら、君はニグロになるか?」
「ノー、私は美しい黒人です」
「君のナショナリティはなんだ?」
「私のナショナリティはアフロ・アメリカンです」
「ここに1ドルがある。君がアメリカン・ニグロと言わない限り、このお金は手に入らない。君は、アメリカン・ニグロだろ?」
「ノー」
「君はお金が欲しいだろ?生活のためにお金が必要だろ?」
「イエス」
「”私はアメリカン・ニグロです”と言えば、この1ドルは君のものだ。君はアメリカン・ニグロだろ?」
「・・・・・・・・・・・・ノー」
「じゃ、君は何者だ?」
「私は美しい黒人です」
「君のナショナリティはなんだ?」
「私のナショナリティはアフロアメリカンです」
「よくできた。そのことを忘れるなよ」
先生の意地の悪い質問に答える、子供たちの純真な眼差しに心が痛む。
けれども、この程度の厳しさにへこたれていたら、彼ら黒人は極悪な世の中を生き抜いていけない。
これは先生の愛だ。
「君は6歳だ」
と言われても、決して心を乱してはいけない。
なぜなら、外の世界で冷静な心を失ったら、死につながる。
「ニグロ」と認めれば、1ドルが手に入る。
子供は、黒人の誇り、ソウルを1ドルで売るかどうか、という決断を迫られる。
子供たちに”美しい黒人”と教えるのは、社会に出ると、彼らはニグロとして、底辺の人間として扱われるからだ。
自分たちで言わなければ、誰も”美しい”とは言ってくれない。
黒人であることに自信を持ち、誇りを持ち続けるために、彼らは”美しい”と言いきかせなければならない。
これが厳しい環境で育つ黒人の教育、子供たちへの愛なのだ。
同居人がティーンエイジャーの息子に、このような教育をするわけではない。
けれども、ここで先生が教えようとしていることを理解し、生き抜いてきた黒人のひとりであることは確かだ。
白人のママの子育てもリスペクトするけれど、彼にしかできない子育てもある。
なぜなら、アフロヘアの息子は、シアトル以外の町へ行ったときの、正しい行動を知っておく必要があるからだ。
息子のママは、経済的にも社会的にも恵まれた環境で育った。
シングルマザーで、ご両親も亡くなった彼女は、息子と友達のように仲良く暮らすことを望んでいる。
彼女には、息子の望む物を買い与えられる経済力がある。
将来、安定した生活ができるよう、十分な教育が受けられる環境も整えられる。
中流以上の白人家庭で、ママの優しい愛に包まれて育った息子は、朗らかで、優しい目をした青年だ。
誕生日パーティで何があったかは知らない。
ママに対して横柄な態度をとった息子に対し、彼が注意したとは聞いている。
彼の育った環境では、たとえ、その親がアルコール中毒でも、ドラッグ中毒でも、親に対するリスペクトは絶対だ。
けれども、息子のママも、息子の友達のママも、許してくれるのかもしれない。
優しい白人社会で育った息子は、同居人の厳しさに鬱陶しさを感じたり、自由を奪われる気持ちになるかもしれない。
私は何もできないけれど、息子が、パパの人生を理解し、同居人の「愛」を、「愛」として、きっちり受け止めてくれることを願っている。
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アフロヘアのお話⇩(Black Culture Nowより)
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