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【第13話】36歳でアメリカへ移住した女の話 Part.2

素敵なけいこさん


前回のお話です⇩

 私はグロッスリーストアのアジア食品を扱う部署で働いている。
 アジア系食品は全体の5%くらいで、日本、中国、タイ、インド、韓国、フィリピンの商品が並んでいる。
 中でも、日本の商品の品揃えは充実していて、近所で暮らす日本人のお客様が結構いらっしゃる。
 不思議なもので、日本人のお客様とは、アメリカ人とは築くことのできない信頼関係が瞬間的に出来上がる。

 けいこさんと出会ったのは、働き始めて3か月が過ぎた頃だった。
 身長150センチ足らず、体のサイズに合わせて声も小さい。

 「アメリカには何年ほどいらっしゃるの?」

 とても綺麗な言葉で囁くように話しかけられた。
 淡いピンクのトレーナーにジーンズ、というカジュアルな格好で、見た目は小さくてかわいいおばさんだ。
 けれども彼女には、何か心を正されるような、背筋が伸びるような、そんな雰囲気があった。
 ご主人はけいこさんとは対照的で背も高く、早口で声も大きく、矍鑠としている。
 ご病気なのか、歩行器だ。
 驚いたことに、けいこさんご夫婦は、シカゴで日本食レストランを経営されていた。
 私がシカゴに来たのと入れ違いで、店を閉めて、シアトルへ引っ越してきたらしい。
 二度目にお会いしたとき、お家に招待してくださった。
 シアトルに来てから3年、大好きなシカゴを知る人、ダウンタウンのストリート名を知っている人と話ができる!
 これまでの相手はダンナだった。

 「この緑を見たら、ホンマに幸せな気分になるわ。シカゴとは大違いや。汚いし、危険やし、黒人はゴミ扱いやし、行くとこないし、考えただけで鬱になるわ」
 「でも音楽あるやん」
 「音楽しかないやん。お前なんかシカゴ帰ったら、またフラフラ出歩いて撃ち殺されるんじゃ!なんでそんな街に帰りたいねん!」
 「なんで私がクソシアトルで、仕事と散歩で人生終わらなあかんねん!
 撃ち殺されてもシカゴが好きなんやっ!」

 パターンは色々だけれど、トピックがシカゴとなると、ほぼ100%大喧嘩になる。

 けいこさんとなら、楽しく話ができるはずだ!
 ウキウキしながら、けいこさん宅に行くことをダンナに話すと、鋭い目つきで私を見た。

 「なんで?知らん人やろ?なんで知らん人の家に行くん?」
 「店で会ってん。日本人やで。
 私の両親と同じくらいの年齢やと思うわ。
 ご主人も病気やし、そんな簡単に家も空けられへんのちゃうかなぁ?
 けいこさん、シカゴでレストラン経営しててんて」
 「誘拐されたらどうするん?」
 「するわけないやん。彼女は私よりもはるかに小さいし、ご主人も病気やし、どないして私を誘拐するねん」
 「家に入ったら、二人じゃないかもしれんやん」
 「なんで私を誘拐せなあかんねん。金もないのにメリットないやん」
 「お前、世の中には悪い奴は山盛りおるねんで。俺は、誰も信用せん!」

 そんなことは今さら言われなくても知っている。

 「日本人については、私の方が知ってると思うで」
 「日本人でも悪い奴はおる!お前、日本人の車屋にしょうもない車、買わされてたやん!」
 「あれは車屋やん!」
 「一緒じゃ!行くんやったら勝手に行け!俺やったら絶対に行かへん!」
 「行ってくるわ!住所書いて行くから、帰って来んかったら迎えに来い!」

 毎度のことだけれど、言わなきゃよかったとつくづく思う。
 住所を書いたメモを残し、家を出た。

 うんざりはするけれど、ダンナの言っていることは理解できる。
 もし私が日本で暮らしていたら、スーパーに来るお客さんの家に、ホイホイ遊びに行かないはずだ。
 アメリカでの暮らしは、日本と比べるとわからないことだらけだ。
 言葉がわからない。
 文化がわからない。
 アメリカ人がわからない。
 ついでにダンナのこともわからない。
 異国で生活する日本人同士、助け合おうと考える人はいても、騙してやろうと思っている人は、日本で暮らす日本人に比べて、断然少ないと思う。
 そして何よりも、我々日本人は、日本人と日本語で話すことに飢えている。  

 けいこさんのお宅は、私の家から車で10分の場所にあった。
 ワンルームのアパートで、ベッド―ルームはご主人の部屋として使われていた。
 ご主人はパーキンソン病で、発症から、かれこれ10年近く経つ。
 ご夫婦は1960年代半ばに渡米、シカゴのダウンタウンで、日本食レストランをオープンした。
 焼きそば、餃子、ラーメンを出す、カウンターと、テーブルが2つだけの小さな店だ。
 今でこそ、アメリカ人もラーメンや餃子を知っているけれど、1960年代に、このメニューで営業するのは、かなり勇気がいる。
 案の定、待てど暮らせど客は来ない。
 友人から借りたお金も底を尽き、ご主人は店を閉める覚悟をした。
 ところが、けいこさんは諦めなかった。
 あと三カ月と決めて、友人から二度目の借金をした。
 何も起こらなかった。
 従業員のために次の仕事を見つけ、最後の給料を渡し、店をたたむとなったときだ。
 ひとりの新聞記者が、「私のお忍びの店」というタイトルでレストランを紹介した。
 その日のランチから、3ブロックを超える行列になった。

 数年後、彼らの下町食堂は、フレンチとジャパニーズのフュージョン・レストランに変身した。
 場所もダウンタウンから、シカゴ市の北、エヴァンストンへ引っ越した。
 元フランス領のエヴァンストンは、ベーカリーやカフェなど、フランスの名残のある、お洒落な町だ。
 彼らの新しい店は大盛況、客のほとんどがハイクラスのアメリカ人だった。
 近くにあった、日本領事館の人も食事に来た。
 請求書は、もちろん総領事館宛だ。

 「領事館で開かれるパーティの後は、領事館の招待客でお店は大忙しになったのよ。パーティで、十分な料理が用意されなかったみたいなの」

 なるほど、その時の総領事は、駐在が終わる頃には、小遣いが随分貯まったことだろう。

 日本の航空会社のクルーが宿泊するホテルも近くにあった。
 1985年の大事故の前で、それはそれは傲慢だったらしい。
 週末の忙しいディナータイムに、予約もせずに10人以上の団体でやってくる。

 「お席がございません」
 「僕たち、〇〇のクルーだよ」
 
 彼らは、けいこさんを下に見ていたようだけれど、彼女が、シカゴの高額納税者10人の中のひとりだと知ったら、どう思うのだろう?
 ご夫婦の住まいは、ミシガンアヴェニューのコンドの最上階、ペントハウスだ。
 さて、彼女はこのペントハウスを、何人もの留学生に提供した。
 情報も少ない時代、子供をアメリカへ留学させることが心配で、人づてにけいこさんの存在を知り、頼ってくる人が結構いたそうだ。
 店でアルバイトをしていた女の子は、大学院を卒業するまで、ここで暮らした。
 弁護士を目指す彼女が、学費を稼ぐために休学を選択した時のことだ。

「休学なんかしていたら、いつまでたっても弁護士にはなれませんよ。
 家賃は要らないし、お食事も冷蔵庫の物を勝手に召しあがったらいいから、私の家に引っ越してきなさい」

 そう言って、勉強を続けるように勧めた。
 弁護士になった彼女は、おじさんのお見舞いを兼ねて、3カ月毎に、シカゴから息子を連れてお見舞いにやって来る。
 けいこさんの家で暮らした男の子も、日本から時々遊びにやって来る。
 けいこさんのために、友人が二度もお金を貸してくれた事、彼女の家で暮らした若者が、今でも訪ねてくる事から、彼女の人となりがうかがえた。

 実は、彼女が手を差し伸べたのは若者だけではない。
 レストランの経営が安定すると、シカゴの日系老人ホーム「平和テラス」に、毎月無名で花を届けた。

 「やっと恩返しができるようになりました。
 私たちがアメリカでビジネスができるのも、一世や二世の方ががんばってくださったおかげですからね」

 お花のプレゼントは、「季節外れのサンタさん」というタイトルで、新聞に掲載された。
 
 「どなたかわかりませんが、毎月必ずお花を届けてくれるんですよ」

 写真が掲載された、新聞の切り抜きを見せてもらった。
 ちょっと大きな花束をイメージしていた私は、その写真を見て仰天した。
 たたみ一畳くらいのテーブルの上に飾られた花は、孔雀の羽くらいのサイズだった。

 さらに、1975年に昭和天皇がシカゴを訪問された際、美しい日本語を話せる女性ということで、けいこさんは両陛下をホテルの会場へ案内する役に抜擢された。

 ミシガンアヴェニューのペントハウスに住む高額納税者、天皇陛下とお話したことのある女性が私の目の前にいる。
 アメリカだから、こういう女性とも出会えるんだろうなぁ。
 ところが、そんな素晴らしい生活をされていたご夫婦が、シアトルでワンルームのアパートに暮らしている。

 なんで?

 ご主人がパーキンソン病と診断された後、彼らは店を居ぬきで売却し、娘さんが暮らすシアトルへ引っ越してきた。
 ちょうど地価が上昇していた時代だった。
 ローンを組んで家を買い、土地が高くなったときに売却し、財産を増やす人が多かった。
 ご主人の治療にかかる金額は増える一方だ。
 娘さんのアイデアで、専門家のアドヴァイスを受けながら、ご夫婦も、購入した家をリモデルして売却、財産を増やすことにした。
 1軒目で成功した彼らは、それを資金に2軒目を購入した。
 かなり大きな物件で、成功すれば、今後、お金の心配はない。

 2008年9月、リーマン・ブラザーズの経営破綻、リーマン・ショックが起こった。
 お金の心配をせずに暮らせる予定が、借金まみれになった。
 ご主人の介護で、けいこさんは働きに出ることもできない。
 ご夫妻はすべてを失い、ワンルームのアパート暮らしが始まった。

 「病院の帰りに急な坂道があるのよ。
 このままブレーキをかけずに、大通りまで行ってしまおうかなぁと思ったわ。
 でも、娘がかわいそうだからね。
 彼女はこのことで責任を感じて借金を返してくれてますからね」

 けいこさんは終始、静かに、とても穏やかに話し続けた。
 この日、彼女は私のことは何も聞かなかった。

 「あなたのご主人は、あなたをここに黙って来させてくださる優しい方のようだけれど、家出をしたくなったときはいつでもいらっしゃい」

 そう言うと、ダンナのためにマドレーヌを持たせてくれた。

 「誘拐されるんちゃうか?」と疑っているなんて、とても言えず、お礼を言ってお宅を辞した。
 家に帰ってダンナにお土産のマドレーヌを渡した。

 「なんで、こんなんくれるん?」

 予想通りの反応だ。

 「けいこさんが、私をよこしてくれてありがとうやって。お礼のお土産」
 「・・・ふーん」

 しばらくテーブルの上に放置してあったけれど、甘いものは大好きだ。
 きちんと封がしてあることを確認し、賞味期限を見て、恐る恐る食べ始めた。
 美味しかったのか、2個目からは踊りながら食べている。

マドレーヌのパワー

 いつの日か、素敵なけいこさんを、ダンナに紹介できるといいな♬

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