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【第15話】36歳でアメリカへ移住した女の話 Part.2

私のシカゴがやってきた日♬


前回のストーリー⇩ ⇩ ⇩

 2010年、シアトルで暮らし始めて3年が経過した。
 この3年間で、私は4つのコンサートへ行った。
 グラディス・ナイト、アル・グリーン、タワー・オヴ・パワー、アヴェレージ・ホワイト・バンドだ。
 どのコンサートも楽しかった。
 中でも、生アル・グリーンは、夢みたいに素晴らしかった。
 
 「ラ~ヴ・・・」

 ”ラヴ&ハッピネス”の、最初のワンフレーズを聞いただけで卒倒だ。
 でもなぁ・・・。3年間でたった4回。
 日本で暮らしていた時の方が、もっと頻繁に、ライヴやコンサートへ行っていた。
 シカゴでは、シカゴ・リーダーという無料の情報誌をチェックすると、1週間に一度は、何かしら楽しみのショウを見つけることができた。
 「今週末はピーボ・ブライソンのショウがある!」
 「あと3日すればラッキー・ピーターソンが来る!」
 常に、目の前に楽しみがあった。

 贅沢なのはよーくわかっている。
 子供がいないからできることだということも、よーくわかっている。
 シアトルに来たのは自分の選択だ。
 シカゴにいたらダメになると思ったのも事実だ。
 
 「息子以外は誰も愛してない。
 お前のことを信用してるかどうかわからん」
 「わかってまーす」

 こんな夫婦だけれど、自分たちで決めた結婚だ。

結婚の話⇩

 どんなにひねくり返して考えても、すべて自分の決断だ。
 文句は言えない。 
 けれども、ライヴやコンサートへ行くこと以上に、夢中になれることが見つからなかった。
 だから、シアトルに来た途端、冗談ではなく途方に暮れた。
 何をしていいのか、何を好きになったらいいのかわからない。

 音楽以外に夢中になることを、見つけねば!!!

 最初に始めたのはお菓子作りだ。
 ビジネスを始めることも考えた。
 シカゴではペイストリー・シェフとして働いていたのだから、できる気がする。
 半年くらいで気が付いた。
 私は、お菓子作りは好きじゃない。
 根が大まかなので、きっちり計量できないし、したくない。

 次に始めたのがジョギングだ。
 毎朝毎朝、雨の日も、風の日も走った。
 体もタイトになるし、気持ちがいいぞ。
 フルマラソンに出てやろうかと考えた。
 けれども、就職をした途端にやる気が失せた。
 毎日8時間、醤油やみりんの入った1ダースの箱を担ぎ、はしごを昇ったり降りたりする。
 仕事が終わったら、一歩たりとも足を踏み出したくない。

 それでも何かを好きになりたい!
 フィジカルなアクティヴィティは無理なので、編み物を始めた。
 過去、裁縫や編み物に喜びを感じたことがない私が、編み物を始めた。
 これは余程のことだ。
 日本で流行っているアクリルスポンジを作り、ファーマーズ・マーケットで売ってやろうと思った。
 ところが、図面通りに作れない。
 というか、図面通りに作らない。
 きちんと作れば「花」になるはずなのに、ウネウネした、ちっこいタオルが出来上がった。
 こんなもの、私も買わない。
 ただちにやる気が失せた。

 好きなことを探す気力もなくなり、ただただ本を読み続けた。
 姉が送ってくれた本や、日本から持ち帰った本を合わせると手元に100冊近くある。
 これらを順番に、何度も何度も読み返した。
 少なくともすべての本を5回以上読んだ。
 さすがに飽きて、英語の本を読み始めた。
 わからない単語はあるけれど、まぁ、なんとなくはわかる。
 仕事の休憩時間も、家でも、寝る間際まで本を読み続けた。
 
 本を読むだけじゃ、生産性がない!

 そういう次第で、大好きなシカゴでの暮らしを書き始めた。

ひたすら読書

 エキサイティングな毎日だったので、誰かに読ませるわけでもないけれど、書き始めたら、それなりに楽しかった。
 
 この頃になると、ライブやコンサート情報を見ることすらなかった。
 探し続けていれば、もう少しあったと思うけれど、探す気がなくなっていた。
 シアトルに好きな音楽はない!
 朝起きてから寝るまでシアトルが嫌いだった。
 
 「シカゴに遊びに行けば?」

 そう言ってくれる人もいたけれど、行ったが最後、シアトルで暮らしていける自信がない。
 私のシカゴシックは、一向に治る気配がない。

 そんな折、シュガー・ブルーから、ダンナに連絡が入った。

 「ジャズ・アレイでショウするから、遊びにおいで」

 ジャズ・アレイは、シアトルのダウンタウンにあるライブハウスだ。
 こじんまりしているけれど、お洒落で、日本のブルー・ノートと雰囲気が似ている。
 タワー・オヴ・パワーやアヴェレージ・ホワイト・バンドを見たのもここだ。
 そのジャズ・アレイにシュガー・ブルーが来る!

 私のシカゴがシアトルに来る!!!

 その日から、私のカウントダウンが始まった。
 嬉しくて涙が出そう。 
 ダンナより、私の方が楽しみにしていたと思う。

 シュガー・ブルーはニューヨーク生まれ。
 1970年代後半はパリで暮らし、ローリング・ストーンズのレコーディングに参加している。
 ”ミス・ユー”のハープ・プレイヤーだ。
 1980年代になるとシカゴへ戻り、彼自身のバンドで活動を開始した。
 1985年にはベスト・トラディショナル・ブルースアルバムでグラミーを受賞した。
 現在のブルーのベーシスト、イラリア(現在はミセス・ブルー)が入るまでの数年間、ダンナはブルーのバンドで演奏していた。
 ギターリストのモト(牧野元昭)さんと出会ったのも、その頃だ。 

 ライブ当日は、朝からウキウキだ。
 仕事が終わると、一目散に家に帰った。
 メンバーは、ギターがリコ・マクファーラン、ベースはイラリア・ランテェリ、ドラムはジェイムス・ノウルズ、キーボードはダミアーノ・デラ・トリだ。
 ブルーのハープはもちろん、リコとジェイムスの演奏が聞けるぞー!

 1時間半のショウは、あっという間に終わった。

 この時のライヴは、アルバムになりました⇩
 この曲のアレンジはモトさん。何度聞いてもカッコいい♬

 ショウを終えたブルーが近付いて来た。

 「ヘイ、メン」

 うわぁ~!会話が黒い!

 「私の師匠や~!!」

 イラリアもやってきた。
 ダンナと話していたリコが言った。

 「俺、この男好きやねん」

 ダンナはシカゴのサウスサイド出身だ。
 他人に嫌われることなど恐れず、言いたいことはなんでも言う。
 他人に優しく話しかけるシアトルの人は、そんなダンナがなかなか理解できない。
 けれども、ここにいる人たちは、ダンナの言ったことに大笑いする。
 全員が言いたい放題だ。
 嬉しい・・・嬉しすぎる。
 大好きなママローザやB.L.U.E.S.、シカゴのミュージシャンの話で、皆が盛り上がる。
 こんな会話は久しぶりだ。

 けれども楽しく、幸せな時間はあっという間に過ぎてゆく。
 とうとうお別れの時間になった。
 私のシカゴが帰って行く・・・。

 「一緒に連れてって~・・・」

 私がシカゴに帰りたいことを知っているリコは、

 「かわいそうなベイビー(Poor baby)」

 あのでっかい体で抱きしめてくれた。
 お別れは悲しかったけれど、久しぶりに大好きな人たちと、楽しい時間を過ごした。
 ダンナもご機嫌だ。
 帰る車の中で、皆との会話を思い出し、二人で盛り上がった。
 
 「いい一日だったね~!」

 と終わるはずだった。
 
 「連れて帰って~」

 私がリコに言ったことを、ダンナが思い出しさえしなければ。

 「あんなこと言うたら、俺がお前のことを大切にしてないみたいやないかーーーっ!!!」

 ・・・これまで楽しそうに話していたダンナのご機嫌が一転した。
 ちょっとじゃなくて、ものすごーーーーーーーーく怒られた。

 ダンナは思ったことをガンガン口にする。
 私が思ったことを口にすると、ダンナの愛と信用をただちに失う。

 シアトルなんか大嫌いだーーー!!!😁

最後まで読んでくださってありがとうございます!頂いたサポートは、社会に還元する形で使わせていただきたいと思いまーす!