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【シリーズ第49回:36歳でアメリカへ移住した女の話】

 このストーリーは、
 「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」  
 と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
 前回の話はこちら↓

 その頃の私は、いくつかのアルバイトを掛け持ちしていた。
 その中のひとつが、ダウンタウンにある、”明治”ジャパニーズレストランだ。
 お菓子作りが得意なわけではないけれど、ペイストリーシェフとして雇っていただいた(⇩)。

 店は、ダウンタウンのウェストループ、ランドルフストリート沿いにあった。
 少し寂れたエリアだけれど、人気のレストランがいくつかあり、ランチやディナータイムになると活気づいた。
 中でも、明治の隣にある「ブラックバード」は大人気だ。
 おしゃれなアメリカ料理を出すこの店には、ミッドウェストのベストシェフに選ばれたポール・カーン氏がいた。
 毎晩大盛況で、夏になると、店の前にテーブルを置き、スタンディングの客でストリートはあふれ返った。

 バラックバードほどではないけれど、明治も、なかなかの人気店だ。
 ストリートに面して、開閉式のガラスの扉がある。
 天井も高く、ゆったりとしている。
 夏はこのドアを開け、外にもテーブルがセットされる。
 ストリート側から、大理石のバーカウンター、テーブルとソファ、そして一番奥に寿司カウンターがある。
 アジアを意識してか、木の素材をたくさん使っている。
 寿司カウンターはライトアップされ、寿司を握っているシェフの姿が、外からよく見える。
 アメリカ人が喜びそうな空間だ。

 ブラック・バードには、ポール・カーン氏がいたけれど、明治には、日本人シェフの石さんがいた。
 北海道出身の料理人、石さんが作る、特別メニューの”お任せ”は、食べるのがもったいないくらい美しい。
 ファンのお客さんもいた。
 ローカルの新聞が、彼のことを取り上げたこともあった。
 
 働き始めて半年くらいだったと思う。
 オーナーのアランから、

 「キッチンの仕事も手伝って」

 と頼まれた。
 給料も少ないので、誰も見つからないのだろう。
 英語の話せない私を雇ってくれたアランには、勝手に恩を感じている。
 引き受けることにした。
  
 明治は、そこそこ値段のはる店だ。
 ウェイターたちは、チップでかなり稼げたと思う。
 石さんは店の顔なので特別価格に違いない。
 寿司シェフも特殊技能なので、給料は良かっただろう。
 けれども、寿司以外の料理を作る、キッチンの仕事、ディッシュウォッシャー、ブッサー(客が帰った後のテーブルを片付ける人)の給料は、最低賃金の時給6.5ドルだ。

 最低賃金メンバーは、英語の話せない私と、メキシカンのオマーとアレックスだった。
 なるほど・・・そうよね・・・という感じ。

 長い調理台を前に、石さん、私、オマー、アレックスが並んで仕事をする。
 私の担当は、枝豆、サラダ、味噌汁など、簡単な前菜や汁物だ。
 オマーは、天ぷら、照り焼きチキン、ステーキなどのメインディッシュを作った。
 アレックスはオマーの手伝いと、その他の雑用担当だ。

 寿司シェフは、全員、韓国人だった。
 接客をするウェイトレス、ウェイター、バーテン、受付は、美しいタイ人女性と、男前の白人男性だ。 
 中でも、受付をしていた、アランのガールフレンドは、美しい女性だった。
 働き始めた頃、彼女から声をかけてくれた。
 
 「はじめまして!」

 ・・・以外は、何を言われたのかわからなかった。
 キョトンとしている私を見て、彼女もキョトンとした。

キョトンとする私にキョトンとする美しい彼女

 彼女と会話をしたのは、数えるほどだけれど、
   
 「アー・ユー・リーヴィング・ナウ(帰るの)?」
 「ディッジュー・メス・アップ・ザ・ケーキ(失敗したの)?」

 は、彼女から学んだセンテンスだ。

 「アイ・アム・リーヴィング(帰るわ)」

 は、今でも私のお気に入りのセンテンスだ。 

 日本人のウェイトレスもいた。

 「アランに、日本人の女性が入ったよ。英語ができないみたいやから、サポートしてあげてって言われたー」

 と言って、会いに来てくれたのはみゆきちゃんだ。
 私がキョトンとしていた話を、ガールフレンドから聞き、アランが頼んでくれたのかもしれない。

 「1年じゃ、聞き取れないよ。3年したら、急にわかるようになるよー」

 と言ってくれたのは、あやちゃんだ。

 キッチンに入って来る従業員は皆、ペラペラ英語で話しかけてくる。
 私が理解していないと気付くと、

 「気にしなくていいよ~」

 と見捨てられる。

 「気にして~!何を言ったのか教えて~!」

 ・・・お金を払っている学校とは違う。
 先生にはないけれど、従業員には逃げるというチョイスがある。

 とはいえ、この店で働いている人は、ほとんどがアジア人だ。
 白人のウェイターも、オーナーがチャイニーズだと知って働いている。
 教えることは面倒でも、アジア人を差別する人はいない。

 英語を教えようとする人はいなかったけれど、私の英語など意に介さず、普通に会話をする人たちはいた。
 オマーとアレックス、タイ人のピン(女性)と、ゲイのピーターだ。

 オマーとアレックスとは、キッチンで働くマイノリティ同士の絆もあったと思う。
 私が理解しなければ、説明するか、笑ってくれるので楽しかった。 

 ピンは、私にデザート作りを指導してくれた人だ。
 高校生の時にタイの実家を飛び出し、アメリカに住みついたピンは、英語が話せないことなど、どうでもいいみたいだ。
 二人で二階のキッチンにこもり、デザートを作っている間、私たちはずーっと話していた。
 英語を完璧にマスターした、頭のいいピンは、英語を話せない人が理解しやすい話し方、質問の仕方を知っていたに違いない。
 彼女の言うことは、よくわかった。

 ピーターは、他の人と仲良くなれなかったのか、私に妙になついていた。
 
 「ゆみこ~、このケーキ、どうやって作るの?」
 「ゆみこ~、このデコレーション、かわいい~」
 「ゆみこ~、お客さんが意地悪なの~」

 キッチンに入ってくると、私にピタッとひっついて、おしゃべりをする。
 夏になると、

 「タイではね、暑いときはライムをいっぱい飲むの」

 と言って、氷の入ったグラスに、山ほどライムを絞って飲んでいた。
 ピーターはある日突然いなくなった。
 店のライムを山ほど使ったことで、クビになったのかも・・・と、ちょっとだけ思っている。
 
 キッチンの仕事は、石さんを除く、すべての人とのコミュニケーションが英語だった。
 とはいえ、最低限のことを理解し、料理ができれば、それほど困らない。
 どうにかなるもんだ。

 それでも、ひとりだけ理解できない状況は楽しくない。

 「理解したい!!!」

 と思うので、体当たり英語はかなり力になった。

 最低賃金とはいえ、私にとってはいいことがいっぱいあった。
 英語もそうだけれど、石さんが美しい料理を作り上げる工程を、真横で見れたこともラッキーだった。
 そんなプロの料理人の石さんと、アルバイトの私が、おしゃべりしながら料理をした。
 料理の世界は知らないけれど、日本では起こらないような気がする。

 アメリカでの生活は、困ることもいっぱいあるけれど、日本では経験できないことも沢山転がっている。
 

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