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【シリーズ第72回:36歳でアメリカへ移住した女の話】

 このストーリーは、
 「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」  
 と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
 前回の話はこちら↓

 どうやら私は、シカゴシックになったらしい。
 更年期障害も早くやってきたのか、シカゴを思い出すたびに、感情がブンブン揺れまくり、涙がボロボロ出る。
 ちょっとした鬱(自己診断)だ。

 しかーし!

 プチ鬱なんかになっている場合ではない!
 この国でのステイタスを維持するためには、バイトへ行き、学校へ行き続けなければならない。
 そして何より、同居人と私は互いに一番の理解者となり、仲良くやっていかなければならない。
 これまでとは違い、我々は互いのことを、もっと理解する必要がある!

 
 帰宅すると、同居人がカウチに座って、じーっとうつむいている。
 「ハイ!」
 じろりと睨まれる。
 「なんじゃそりゃ・・・」
 普段なら、ブツブツ文句を言いながら、退散する。
 けれども、プチ鬱のときは、彼の態度を受け入れられない。
 「しんどいの?・・・」
 「なんか気に入らんことした?」
 「なんかあったんー?」
 「返事くらいしてもええやん!」
 「帰って来ただけで、なんで睨まれなあかんねんっ!」
 ホントに鬱陶しい女だ。

 「気分が沈んでるときは放っといてくれっ!」

 ・・・そうだった、そうだった。
 彼は大きくて、黒くて、頑強に見えるので、心にたくさん傷を持っていることを、ついつい忘れてしまう。
 彼ら黒人は、陽気で朗らかだけど、その一方で、心の闇とも戦っている。
 例えば、心的外傷後ストレス障害に苦しんでいる黒人は、ベトナム戦争の帰還兵以上だと聞いたことがある。
 心的外傷後ストレス障害は、命の安全が脅かされる出来事(戦争、天災、事故、犯罪、虐待など)により、強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらすストレス障害だ。
 治安の悪い黒人居住地では、ギャングのシューティングに巻き込まれる可能性がある。
 パトカーや警察官が近付いて来た時に、恐怖を感じない黒人はいないだろう。
 家族や友人が殺害されたり、家庭内暴力、レイプなどの事件に遭遇する確率も極めて高い。
 そのような環境で生きている彼らの心が病んでも不思議はない。
 むしろ、病まない方が不思議だ。

 同居人がネガティヴな感情と戦っている時は、知らん顔をしておけばいいけれど、イライラしてできないことがある。
 なぜなら、こちらも現在故障中だからだ。
 「落ち込んでても”ハイ!”って言うたら、”ハイ”くらい言うたらええやん!なんで睨まれなあかんねん!」 
 「お前が原因ちゃうねんから、気にするな!」
 「私が原因ちゃうんやったら、睨むな!気遣ってしんどいわ!」
 「しんどいんやったら気遣うな!好きで落ち込んでるわけちゃう!」

鬱陶しいプチ鬱女

 ・・・ごもっとも。
 プチ鬱の私は挨拶ができるけれど、彼は、挨拶ができないほど、心が塞いでいる。
 頼まれてもいないのに気を遣い、その結果、腹を立てるなら、放っておいてくれと思うのも当然だ。
 プチ鬱なので、私の感情をコントロールすることは難しいけれど、彼が返事をしない時は、気にせず無視するよう心がけた。
 すると、半時間もしないうちに、彼の方から話しかけてくる。
 その半時間で、自分の感情と戦い、平常心に戻しているらしい。

 偉いっ!
 
 私なんか、プチ鬱のくせに、平常心になる作業を怠り、ずっと怒っている時がある。
 彼を見習わなければならない。

 さて、彼は”ハイ!”も言わないけれど、”ありがとう”も言わない。
 こちらの問題は、その時の心のコンディションとは、少し事情が違う。

 外出から帰ってきて、駐車場に車を停めた。
 「ありがとう」
 と言うと、これまでご機嫌だった同居人が、ムッとした。
 「なんで、ありがとうって言うん?ありがとうって言うな!」
 意味がわからない。
 「車運転してくれて、楽しい時間を過ごせたから、”ありがとう”やん。
 誰かが、自分のために何かしてくれたら、”ありがとう”って言うんちゃうの?」
 「・・・ふーん。日本人はええ人ばっかりなんやろな。でも、それはええことやな・・・」
 「???」

 ”ありがとう”を言われることは不快らしい。
 ”ありがとう”を言うこともほとんどない。
 黒人だから?
 アメリカ人だから?
 私には、その感覚はわからない。

 この謎が解けるまでに、数年かかった。
 答えを教えてくれたのは、タイラ・ペリーがプロデュースし、タラジ・P・ヘンソンが主演した映画、「アイ・キャン・ドゥ・バッド・オール・バイマイセルフ」だ。

 ストーリーは省略して、簡単に説明する。
 エイプリル(タラジ)は、アルコール中毒のナイトクラブ・シンガーだ。
 ある日、彼女の元に、姪(ジェニファー)と2人の甥がやって来る。
 高校生のジェニファーは、ひとりで小学生の弟たちの面倒をみている。
 3人は、おばあちゃん(エイプリルのママ)の家で暮らしていたけれど、4日前から、おばあちゃんが帰ってこなくなった。
 他に行く当てもない子供たちは、エイプリルの家に転がり込んだ。
 ちょうど同じ時期、コロンビア人男性のサンディーノも、彼女の家を間借りする。
 彼女の家には、妻子持ちのボーイフレンドが暮らしていた。
 エイプリルは、家賃を払っている彼の言いなりだ。
 子供たちには、地下の暗い部屋を与えて邪魔者扱いし、出て行ってもらうことばかり考えている。
 そんな子供たちに、サンディーノだけが優しかった。
 使っていない明るい部屋を、子供たちのために修理したり、喘息の薬を失くしたジェニファーの弟のために、新しい薬を買ってきたり。
 けれどもジェニファーは、サンディーノの好意に対して、決して”ありがとう”を言わない。
 むしろ、迷惑そうな顔をする。
 ある日、ジェニファーが、サンディーノに言った。
 「この世の中に、ええ人なんかひとりもおらへん。
 なんで私たちに親切にするの?」

 ・・・これだーーーっ!!!

 謎が解けた瞬間だ。
 ジェニファーの周囲には、親切にする人よりも、他人を騙し、貶めようとする人の方が多かった。
  おばさんのエイプリルでさえ、彼女たちに意地悪だ。
 社会、コミュニティ、家族ですら大切にしてくれなかったのに、サンディーノの親切を信じることなどできない。
 偽物の親切なんか欲しくない。
 サンディーノの好意が偽物だと思うジェニファーは、彼のすることに対して不信感しかない。
 そして、偽の好意に対して、”ありがとう”は言えない。
 
 同居人とジェニファーの環境が同じかどうかはわからない。
 けれども、他人の好意を信じられない、信じてはいけない環境で育てば、”ありがとう”を言うことも、言われることもない。
 親切も信じられないけれど、”ありがとう”という言葉も信じられない。
 偽物の、おべんちゃらの”ありがとう”は不快でしかない。
 私は、彼の好意を好意と受け取り、お礼を言った。
 けれども、気軽に言われる”ありがとう”も、簡単にお礼を言う私のことも、どこか信用できず、気分が悪かったのだろう。
 彼にとって、”ありがとう”は簡単に言える言葉ではない。
 偽物の親切に対し、偽物の”ありがとう”を言うと、自分まで偽物になってしまう。 

 この答えが大正解かどうかはわからないけれど、大間違いでもないと思う。
 とはいえ、私がこの問題に対して、何かできるわけではない。
 私は”ありがとう”を言って育った。
 彼を変えることもできないけれど、私自身を変えるわけにもいかない。

 私は、私が正しいと思うことをしよう😁

 それでも、毎日一緒に生活していると、彼に”ありがとう”と言われることも、たまーにある。
 彼の”ありがとう”は、私が日常的に使うそれとはどこか違う。
 心に響く。

 こちらも見習いたいと思った。

 


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