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80年代・いとこ界隈

私には2歳下の女のいとこがいて、子どもの頃は姉妹のように一緒に遊んだり習い事をしていた。私たちの母親同士が姉妹で、うちから車で20分ほど離れた団地に住んでいてよく行き来していた。

私が3月生まれのためいとこは学年が3つ下だったが、実際は2歳しか離れていない。大人になれば2歳の差はほとんど感じないが、5歳と3歳だと遊びや興味の対象は少し違った。持っているおもちゃや見ているテレビ番組に共通の物がなかったりすると、お互いの家に遊びに行ったとき知らない世界を知ることができて楽しめた。

時代は80年代初めのアイドル全盛期で松田聖子の『天国のキッス』が流行っていた。町の至る所でこの歌が流れ、いとこの母(伯母)が運転する赤いアルトのカーラジオからも流れ、「きーっしーんぶっへーぶー♪」と当時3歳くらいのいとこでさえ歌っていた。英語はわからないけど語感から「最後の“ぶー”はおかしいやろ」と突っ込んでみたが、彼女は母親に歌詞を確認して自信があったらしい。「“へーぶー”よ。」と譲らなかった。そこでまたテレビなどで天国のキッスを聴く機会があった時、注意深く耳を澄ませたら確かにそう聞こえて、「へーぶー」っていったい何だろうとモヤモヤした。

いとこの家では絵本全集を見せてもらったりした。たぶんNHKエンタープライズの絵本全集だったと思う。数冊ずつアルバムのように箱に収められた立派な絵本だった。検索しても出てこないのが残念。
なぜか覚えているのがパーマンの変身セットや、手元のボタンでフィルムが回り短い動画が見られる“バッジムービー”。アニメが1983年~の放送で、いとこの家でよく遊んでいた時期と重なるからだろう。
また、Dr.スランプアラレちゃんが大人気だった頃でもあり、アラレちゃんの絵がついた商品が巷に溢れていた。補助輪付き自転車や、“スカイホッピー“というバネ付きの竹馬みたいなひたすらびょんびょん跳ね回るだけの遊具を貸してもらった。お揃いのコスプレセットまで持っていて、いとこと二人で『アラレちゃんそっくり写真コンテスト』に親が応募した。全国区のコンテストではなかったが、なんといとこが優勝して地元の新聞に載った。ほかにもいとこはミンキーモモやクリィミーマミが好きだった。私はアニメはもう卒業しかかっていてそれらにハマらなかった。どちらのアニメもパステルカラーが洗練されていて、かわいいとは思いつつ次世代感を感じて距離を置いていた。

いとこも小学校に入ってそこそこ漢字も読めるようになると、マンガを買ってもらうようになった。待ってましたと言わんばかりに私もいろいろと読ませてもらった。パンクポンク、クリィミーマミ、ころんでポックルなどが好きで何度も読んだ。

マンガに関して、子どもらしい失敗があった。当時はもちろんネットもないので作品の情報も乏しかった。本屋に行って少女の感覚でかわいいと思った絵のマンガを手に取ることは少なくない。表紙買いすることはよくあった。ある時いとこは、かわいい水着を着た女の子二人が表紙のコミックスを手に取った。『やるっきゃ騎士(ナイト)(少年向けエロ漫画)』だった。
うちに帰って読んでみたら、えげつない内容にいとこは「やらしーww」とげらげら笑っていたが、伯母は「もー!何考えちょんのこんなの買って!」と軽く憤慨していた。
そんなこともあったがいとこは『なかよし』を購読するようになり、私は『りぼん』派だったので交換して楽しんでいた。私は『りぼん』では池野恋、萩岩睦美、岡田あーみんが、『なかよし』ではあさぎり夕が特に好きだった。

私の場合小学校に入るまで友達の家に行くことはまずなく、親せきや近所の幼馴染の家でよその家庭の生活を知った。いとこの家もそのうちのひとつだった。
いとこの家の料理はうちでは出ないメニューがある。
いとこは幼い時は少食で体も小さく、すぐ「食べれ~ん」とお腹いっぱいになっていた。好きなものなら最後まで食べられるということで、ふりかけをよくごはんにかけていた。コーンのバターソテーを作ってもらっているのもよく見た。この二つが好物だったんだろう。子どもらしい味覚だ。その二つはいとこの家でよく見たので記憶に残っている。

また、うちにはない習慣で“朝、親が起きるまでひとりでお菓子を食べる時間”というものがあった。いとこは早起きだったらしい。母親が起きてきて朝の支度を始めるまで少し時間があり、することもないし小腹も空いてるし、じゃあお菓子をひとつだけ食べていいよと言われていたそうだ。
そんなわけで泊まりに行ったある日の翌朝、私にもお菓子をふるまってくれた。先がスプーンの形の棒が付いたいちごのチョコやツインクルチョコ(中に小さなラムネの入ったエッグチョコ)などがいとこの好みだった。二人でおしゃべりしながら仲良く食べた。いとこも、いつもは一人だったから二人で食べるのは楽しそうだった。
私はたった3歳のいとこがそんなひとり時間を持っていることに感心していたし、少し大人っぽく思えた。
しかし大人っぽく見えたいとこも、しょせん3歳児。ティッシュの丸めたのを鼻に詰めて取れなくなって半泣きになったことも、同時に私の記憶にこびりついている。


団地住まいというのも私にはちょっとした別世界だった。
うちは一軒家だったので集合住宅が新鮮だった。当時の子どもの数は今よりずっと多かったし、団地の棟ごとに共有の遊び場があったため、ひとつの団地内に子どもの世界が複数散在していた。他の棟の遊び場にはあまり行かないよう言われていたような気もする。余計なトラブル回避のためだろうか。
うちにはないベランダも新鮮だった。隣の棟の遊び場を上から見下ろせる。遠景の山の稜線や給水塔を眺めたものだった。

夏はいとこの家から歩いてすぐの屋外市民プールに毎年一緒に行っていた。団地の裏の長い階段を下る近道を歩いて行った。ビーチサンダルを通してアスファルトの熱さが伝わってくる。プールの敷地内で裸足になると足の裏が直に熱いが、水に入れば忘れる。
持ち込んだ浮き輪やビニールのイカダでいとこと遊び、途中ひと休みして親にねだり自販機でメロンソーダを買う。親たちが座っているエリアのそばでいつもクチナシが甘ったるい香りを放っていた。

団地の夜景を見ることもあった。山を切り開いた高台だったので、3階のいとこの家のベランダからでもやや見上げる形になる。工業団地が集まる地域で、遠くの方まで灯りがともっていた。今思うとノスタルジーに満ちた情景だ。

時代の流れで20年ほど前にその団地も消滅し、跡地にマンションが建ち、古くからのショッピングセンターの改装・増床、道路の開通などで当時の面影はわずかになってしまった。
子どもの頃はあんなに遠く感じたのに、今なら行こうと思えばすぐに行ける。だけど行ったところで特に何もない。


いとことはもう音信不通だ。ケンカ別れしたわけでもない。それぞれ全く違う人生を歩んで、共通点がなくなってしまったのだ。ずっと若い頃の話だが大人になって会う機会があった時、話が合わないな~と感じたのも事実だ。たぶんお互いの生き方を見てつまらないコンプレックスを抱いてしまったのが決別のきっかけだろう。直接的なやり取りがあったわけではないが、なんとなくわかる。

風の便りで彼女も懸命に生きているのが伝わってきた。それでいいと思う。そもそも今の私に彼女についてどうこう言う資格はない。
私は彼女のユーモアのセンスや愛され力が好きだった。私の気持ちとしてはここに書いた子ども時代のように屈託なく仲良しのままでいたかった。でももうほぼ無理だろう。私だって彼女の知る子どもの頃の私ではなくなったはずだから。

それはそれとして、このいとことの思い出は愉快なものばかりなので、また機会があれば残していきたい。

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