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移動販売

令和の世は騒音にうるさい。

話題になったところだと、運動会の音や公園で遊ぶ声、果ては田んぼのカエルの鳴き声まで一般人が厳しく取り締まろうとする。
運動会は一日で終わるし、子どもの集まる時間はもっと短いだろう。もともと田舎に住んでる人はカエルの声に慣れてるはずだから、いやなら引っ越してこなければいいし引っ越せばいい。

とはいえ、何をうるさく感じるかは個人差があるし、健康な状態の時と病んでる時で許容範囲も変わってくるだろうから単純に割り切れない部分もある。あるいは自分がもとから長くその場所に住んでいて、あとからうるさい学校や公園や田んぼが作られたなら文句も言いたくなるだろう。


ところで私が子どもの頃はラーメン屋台がチャルメラを鳴らしながら夜8時以降通っていた。屋台といっても昭和50年代半ばくらいは、もう軽トラやバンになっていたのだろうか。音は聞いても姿を見たことがなく、記憶にない。
もうそろそろ寝なければならない時間に遠くからチャルメラが聞こえると、少し怖い感じがした。おいしいラーメンを売っているはずなのになぜ怖かったのか。

うちの前の通りは車2台すれ違うのがやっとの道幅で、幹線ではなく夜は商店も閉まり暗かった。
子どもにとってはとっくに夕飯の時間は過ぎて寝る前だというのに、誰がラーメンをわざわざ外へ食べに行くのかという疑問。ラーメンをどんな人が売っているのかという謎。
何より、チャルメラの音の投げやりな明るさが人工的なものを感じて怖かった。ざらついたテープの音が静かな夜に響き、遠くからゆっくり近づいてきては去って行く。どこから来てどこへ行くのか。

石焼き芋も夜に来ることがあった。昼間に買ったことがあったし、どんなおじさんが売ってるのか知っていたからかこちらは怖くなかった。あわよくば親が買ってきてくれないかと期待すらしていた。ラーメン屋のあの怖さは何なのだろう。ついて行ってみたいような魅力もあった。怖さというより郷愁に近いのかもしれない。

たこ焼きの移動販売カーもたまに通っていた。九州では有名なあのたこ焼き屋さんだ。
こちらは休日の昼間によく回っていたと思う。親と一緒に買いに行った。今はショッピングモールなどに有名チェーン店があっていつでも食べられるが、もちろんそんなものなかった時代だ。たこ焼き屋さんが行ってしまう前にお財布を準備していそいそと家を出る。小銭がない時など焦って「はやくはやく」と親を急かしたものだ。テーマソングがあり、その音が聞こえてくるとのどかな雰囲気に包まれた。

年を重ねると人恋しくなる時期がある。
知人や親族との別れがあった時。自分が体調を崩した時。思い出の場所がなくなった時。大きな災害や痛ましい事故があった時。

イライラしたり怒りを感じるときは、まだ生きるエネルギーがあるのだと思う。弱っていたり、先に希望を見出せなくなった時はどうにも心細くなる。残りの人生をどう生きるか考えて移動販売と同じで機会を逃すと次があるかわからない、若い時ほど時間も選択肢もなくなっていることに気づく。そんなとき、子どもの存在にほっとすることがある。

私は子どもを生んだことも育てたこともないが、外で見かける子どもの姿に間接的な安心感を得ることに最近気づいた。いつの時代も子どもは未来の象徴だからだろうか。
孤独を好み家庭を築く生き方を選ばなかった。仕事のために繁華街の真ん中に住んだこともある。そのマンションは上の住人の足音が夜な夜なうるさく、下の住人のDVの声が聞こえてイライラした。それからは愛情を注ぐ対象を作り、快適な場所へ引っ越した。

なんだかんだで小学校が近くにある場所はほっとする。挨拶してくれる子もいるし、なんなら少し会話を交わすこともある。
運動会もカエルも「そういうものだ」と受け止められるかどうかだと思う。私はこれらは「そういうものだ」と感じる。
人の喧嘩や選挙カーの声は、そろそろ「そういうものだ」で済まされなくなってきていると感じる。前者は昔も今もいやなものだが、後者は昔は許容できてたのに最近はいつまでやってんだ、令和だぞと思う。“最後のお願いに参りました”としつこく叫ばれても世の中がちっともよくならないからだろうか。

移動販売はノスタルジーだ。
今はコンビニや夜遅くまで開いている飲食店があり、スマホひとつでいつでも家まで食べたいものを届けてくれる。
あのゆったりした速度、なのに機会を逃すとつかまらない希少さ。今の時代では異質なものに感じるが、これって人生と同じなんじゃないかとも思う。


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