見出し画像

韓国語マスターへの道(9)「東日本大震災」

2011年の3月まで、私韓国語学習はおおむね順調に進み、(たぶん)順調に実力も伸びていたと思います。

当時私が住んでいたアパートのすぐ近くに福島大学の留学生用の寮があり、リーマンショックの前後にその寮に住んでいた韓国人留学生(男性)とも仲良くなり、時々飲みに行ったり、時に私の家で一緒に食事したりしながら言語交換もしていました。

その留学生が韓国に帰った後も、いろいろな方が韓国からやってきて交流できていたのですが、そうしているうちにあの大事故が発生しました。
タイトルには東日本大震災と書きましたが、私たち福島県人にとって、2011年3月11日からの数週間に渡って発生したものは大震災でなく、東京電力福島第一発電所の爆発でした。

原発が爆発し始めてから、JR福島駅前にいろいろな国の方々が一斉に集まったのを今でも思い出します。
中国、韓国、アメリカ、フィリピン、マレーシアなどそれぞれの国の政府が準備した、自国民を国際空港まで運ぶために準備したバスを待つ人たちで、駅前は数日間ごった返していました。
「ああ、終わったな」と正直その時思いました。
もちろん韓国の方々も、一部の方を除いてはみんないなくなってしまいました。ここで私は韓国語の会話ができなくなってしまいました。

そもそも大地震と事故後の対応に忙しくて2年ぐらいは全く韓国語から離れざるを得ない状況になりました。

少しずつ落ち着きを取り戻し、週末は何とかきちんと休めるようになったころ、韓国語の勉強をどうやって再会するか考え始めました。

一部の韓国料理店には、韓国の方が残っていましたが、土日の特に昼間は店が開いていませんでした。

どうしようかと考えあぐねていた頃、定額のストリーミングサービスが始まりました。確か一番最初に登録したのは「ひかりテレビ」だったと思います。今のNetflixに比べると全くもって韓国ドラマのラインナップが少なかったのですが、少ない中からも「ごめん、愛してる」や「オールドボーイ」なんかを見て、わからない言葉が出てくるとポーズをかけて、スマホで意味を調べながら勉強しました。
「ごめん、愛している」に関しては、あまりにイム・スジョンが美しかったので、何かそちらに心が奪われてしまった面もありましたが、苦しい中でも何とか勉強を続けることができました。


(参考:「ごめん、愛してる」ウィキペデア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%94%E3%82%81%E3%82%93%E3%80%81%E6%84%9B%E3%81%97%E3%81%A6%E3%82%8B

以前福島大学の留学生からもらったピ・チョンドクという方による随筆集もすごく役に立ちました。こちら内容があまりに素晴らしくて、勉強よりそちらに心が奪われていた面がありました。(正しい鑑賞方法ですね。)

(参考:ピチョンドク:Amazon)
https://amzn.to/3MLqSTn

次回はついに「会話」の練習再開について書きたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?