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韓国語マスターへの道(6)「転機」

前回、韓国料理・居酒屋に通ってお店にいる韓国人や、朝鮮族のホステスさんたちと会話をするようになったことについて書きました。

もちろん、週に2回(以上)通っていましたので、結構会話力がアップしました。特に韓国人のママさんと、一番弟子のアシスタント(こちらは朝鮮族の方でした)には本当に質問をたくさん投げかけました。
ママさんは当時すでに70歳を超えていらっしゃったので、本当は입니다, 습니다を使って話すのが礼儀だったと思いますが、あまり気を使っていると上手になれないよと言われて、요で終わる形の丁寧語で会話させてもらっていました。
半年ぐらいで相当やりとりができるようになり、たまに店に遊びに来ていた韓国の方とも(あまり難しい話題については話しませんでしたが)キャッチボールができるようになっていました。

そんな私に東京への転勤命令が下りました。
とある機関への1年間の出向です。

正直転勤命令には心底がっかりしました。
なぜなら、残業時間が半端でないことが有名な機関への出向であり、何よりも上達してきた韓国語の習得ができなくなってしまうと考えたからでした。

そんなある日、とても親切な上司から急に電話がかかってきて、部屋に呼ばれました。上司曰く、「あんなところで本当に命令通りに仕事したら、下手したら過労死する。うまく手を抜きながら仕事してきなさい。そして、手ぶらで帰ってこないように。せっかく東京に行くのだから、東京でしかできないことを存分に体験してこい」とのことでした。

「東京でしかできないこと」
たくさんありそうで、すぐには思いつかず、考えあぐねたのですが、出向してすぐの週末、住んでいた上野の周辺を歩いていて気がついが事がありました。

「韓国人が多い」

部屋に戻って、さっそく「韓国語」「プライベートレッスン」「上野」で検索してみたところ、個人講師をあっせんしているところを2か所見つけました。その2か所のうち信頼できそうなほうに電話して、訪ねてみたところ、偶然にも母校(高校)出身の青年(実家の場所もかなり近い)が経営していました。彼にお願いして、特に信頼できる韓国人の先生を紹介してもらうことになりました。

果たして、その翌週の日曜日からプライベートレッスンがスタートしました。毎週日曜日17時から2時間、上野駅前のマルイ近くの喫茶店で、とにかく毎週2時間話しまくりました。日曜日の夕方に設定したのは、次の日の出勤について、レッスン中は少なくとも忘れることができるからです。

その先生は都内の大学の大学院に通っており、日本語も堪能でレッスンもかなり順調に進みました。
そのうちお友達になり、レッスンとは別に飲みに行ったり、土曜日には彼の友達も交えて遊びにいったりするようになりました。何度か彼らの住むアパートに宿泊したこともあります。

彼らも日本語を学びたいという気持ちが強く、合う頻度がかなり多くなりました。しまいには一緒に週末旅行に行くようになりました。

そうして1年間が過ぎました。
毎度彼らに会うたび「ああ、今回もこんな簡単なことがいえなかったな」という反省ばかりだったので、自分の韓国語が上達しているという実感はあまりありませんでした。

しかし、福島に無事帰還し、当時国際交流協会が開催していた韓国語教室に顔を出して、みんなと韓国語で会話した際、そこにいた全員に「韓国語、ネイティブ並み!」と言われました。

そう、その時初めて自分の韓国語がネイティブ並みのスピードと文法の正確さで話せることに気が付いたのでした。

でも自分の中ではまだ自分の韓国語の実力に不満がありました。政治や経済など難しい話題になると急に言いよどんでしまうことがわかっていました。

次回は、さらなるステップアップのために私がとった行動について書きたいと思います。

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