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普通って良いこと?

「普通」とは、いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。

皆さんは、普通についてどう思いますか?
良いことでしょうか? 悪いことでしょうか? 
始終の坊主です。

さて、昨今の学生の悩みの中に、「普通」であることが求められるようです
それは「良いこと」であろうと「悪いこと」であろうと、皆一緒に同じことをする。
それが出来なければ、仲間外れ、場合によってはいじめられる。
なので、ただただ皆と一緒に同じコミュニティのなかで「普通」でいること
同じ髪型、同じキーホルダー、同じ漫画、同じスマホ、おなじ おなじ…

どこもかしこも同じだらけ、私に戻れるのはインターネットの中?それともどこにも存在しない?
大人と同じで、子どもたちも外へ出るときには「普通」の仮面をつけ息苦しさを感じながらも日々生活する。 

当然このような環境が続けば、そのゆがみは少しづつ、その子の身体と精神を蝕み歪な形に変えていく、そして最悪、破裂する。

子どもたちの助けを求める声が聞こえてきませんか…
ニュースで見かけませんか? インターネットで聞きませんか? 
目立つために、寿司屋でぺろぺろとなめる、迷惑系をかけて人気を稼ぐネットユーザー、体を売る人…

私を見てほしい、私を知ってほしい、私を認めてほしい
本来の私に価値を付けてほしい。

自己顕示欲が溢れているように思います。
この自己顕示欲の裏側には、認められてない、それは親かもしれない
それは学校の先生かもしれない、それは大人全体かもしれない
そして自分をだまし続けている自分を好きになれない

良いことも、悪いこともそれは全部私であり
存在しても良いことなんだと

他人に言ってもらいたい、認めてもらいたい

そんな、苦しみの声が私には聞こえる気がしています。

だからこそ、私が関わらしていただけてる子どもたちには「君のことが
良いことも、悪いこともすべてが君でありそんな君たちが僕は好きだ」と
伝えていきたい。                 合掌






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