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「光る君へ」第5回 「告白」 政に対する道長の資質と絶望

はじめに

 まひろが最も恐れていたことは、自分自身が母の死のきっかけを作ってしまったことと向き合うことでした。勿論、道兼がまひろとぶつかりそうになって落馬したことは不幸な事故でしかありません。また、ちやはの言葉に怒りを覚えた道兼のトリガーを引いたのは、道兼の従者の余計な一言でした。そもそも、まひろも被害者であり、全ての罪は身勝手かつ理不尽な理由で凶刃を振るった道兼にあります。


 それでも、生き残ってしまった側は、どうしても「あのとき〇×ならば…」というifを考えてしまうものです。ちやは殺害の一件はまひろに負うべき罪がないように丁寧に造形されていることは以前、note記事で指摘しましたが、それだけにまひろが一人で抱えてきた罪の意識が痛々しく見えますね。

 彼女は「道兼のことは生涯呪う」と言いましたが、それは本音であると同時にそうしないと罪の意識(思い込みなのですが)に押しつぶされそうになってしまうからでしょう。母が殺害された事実を伏せた父のことを理解したくないのも、自身の罪と向き合うことが怖かった面もあったかもしれませんね。


 道長との月夜の逢引における「告白」とは、まひろが幼少期より永い間抱えてきたものを一気に吐き出し、少女のように泣きじゃくるというものでした(吉高由里子さんの繊細な演技が10代の感情の揺れになっていて絶妙でしたね)。

 ところで、「告白」というものは、内容がなんであれ、聞く相手がいて成立するものです。例えば、キリスト教のいくつかの教派の告解。その聞き手の神父がそうであるように、聞き手は「告白」する側が心情的に開放されるように応じられる人物であることが大切です。
 その点において、まひろにとっての道長は最適でした。まひろに対して嘘をつくことを善しとせず、正面から向き合う態度、兄に忖度することなくまひろの言うことを信じる公正さ、自身も衝撃であるにもかかわらず彼女の気持ちに寄り添おうとする優しさ…こうした人柄があればこそです。まひろが、本当の感情を自然と吐き出せたのは、相手が道長だからだったと言えます。

 もっとも、彼女の哀しみに共感すればこそとはいえ、一旦はまひろを抱き寄せながらも、道兼への怒りからか、彼女を直秀に預け、事実を確認しに走っていってしまうのは、若さというか、玉に瑕ですが(直秀の「帰るのかよ…」というツッコミは視聴者全員を代弁していますね)。


 ともあれ、まひろの「告白」が、道長あってのものということを考えると、第5回の主役はまひろよりも道長だったように思われます。身分で人を見ず、争いごとを避ける道長の優しさと真摯さが、いかにして兼家の政へと巻き込まれていくのかが、物語の軸だったと思われます。そこで今回は、このドラマにおける政とは何かについて改めて考えてみましょう。


1.官僚的な下級貴族の立場

(1)学者としての出世を望んだ為時の限界と苦悩

 冒頭、五節の舞で倒れて以降、寝込んだふりをするまひろを心配した乳母が、あからさまに怪しい法師陰陽師を招き、お祓いをさせています。母親が死んだことを事前に聞き出す、芝居がかった神卸の儀式など占い師がよくやるインチキくささがたまらないですが、この場面は様々なことを仄めかしています。その一つが、この家の経済状況と立場です。

 為時が任官されたことによって、こうしたお祓いを頼むことができる経済的余裕ができたのですね(法師たちはかなり暴利でしたね)。その一方、所詮、下級貴族。娘の一大事に陰陽寮の陰陽師を呼ぶことができるはずもなく、怪しげな辻法師に頼むしかありません。下級貴族はどこまでも不安定な下級貴族でしかないのですね。
 夢枕獏「陰陽師」の晴明ならば、身分の格差よりも事件の面白さ次第で、相棒の源博雅と共に颯爽と現われるでしょうが、ユースケ・サンタマリアさんの晴明では期待するだけ無駄ですね(笑)


 こうした立場ゆえに為時は、まひろが道兼の顔を未だ忘れることなく、恨みを募らせていることを知ってなお、「何もかも分かってしまった上は頼みたい。惟規(のぶもり)の行く末のためにも、道兼さまのことは胸にしまって生きてくれ」と苦しい顔で懇願します。彼がここまではっきりとまひろに対して下手に出たのは、劇中では初めてでしょう。それだけに切実な思いがあります。

 ですから、為時は「お前が男であれば、大学で立派な成果を残し自分の力で地位を得たであろう。されど惟規はそうはいかん。誰かの引き立てなくば真っ当な官職を得ることもできん」と、為時の「家」がこのままでは続かないという事情まで正直に語ります。前回のnote記事で語ったように貴族はその貴賤にかかわらず、自身の「家」を守り繁栄させ、それを次代へ引き継ぐことが至上命題です。

 嫡男の将来は、重要な問題となります。奇しくも第5回では、関白である頼忠が、権勢の維持を図ろうとすることについて「嫡男の公任のことさえなければ」と言っていますね。この件については、上も下も同じです。ただ、上流貴族は維持のために自らの力を振るえますが、下級貴族には振るう力が存在していないのです。だから、右大臣家にすがるのです。


 つまり、為時は、自身の出世欲だけではなく、「家」のことを考えての苦渋の判断であると言うのですね。この言葉の切実さは、「お前が男であれば、大学で立派な成果を残し自分の力で地位を得たであろう」に表れています。為時は世情に疎く、不器用ですが、学問に関してだけは長じています。その彼は、兼家の命で東宮殿の間者を務めることで食いつなぎ、東宮が帝に即位した縁故でようやく任官を得ました。つまり、彼は、学問に長じていながら、自力で任官できていないのです。

 彼の6年間は、兼家からは褒美の任官はなく、花山帝は話を聞かず女の話ばかり。自分の収めた程度の学問では、歯牙にもかけられないと思い知ったはずです。誰よりも学問での任官の難しさを知る為時が、まひろならば自力で任官できると言う。それは、まひろの学才が為時以上であることを、為時が認めているということなのですね。

 これは辛かったはずです。自分の力がここまでであるという諦めでもあり、まひろが嫡男であれば我が家の行く末は安泰であったのに叶わないという現実への絶望でもあったでしょう。その結果、彼は右大臣家の縁故に頼る道を選ばざるを得なくなったのです。たとえ、さして顧みられることが余りなくとも。


 結局、中途半端な下級貴族にできることは、強い政治家の庇護のもと、粛々と官僚的に彼らの命に従い、その望みに応えることだけ。「ちやはもきっとそれを望んでおろう」としらじらと母を引き合いに出し、「お前は賢い。わしに逆らいつつ何もかも分かっておるはずじゃ」となりふり構わないおためごかしをする為時の姿は、それでも「家」を守り、繁栄させる宿命に殉じる下級貴族の悲哀そのものと言えましょう。
 父の情けない姿に眦(まなじり)をあげ、「わかりませぬ!」と突っぱねるまひろを前にしても、為時はうつむき加減でその罵倒に耐えるだけです。


 翌日、母の琵琶を弾き、父の任官を待ちわびた在りし日の母を思い返すまひろは、「ちやはもきっとそれを望んでおろう」の言葉の意味も、自分の「家」が上流貴族の庇護がなければ立ち行かないという現実も、心の底ではわかっていると思われます。
 それを認められないのは、道兼を咎人と糾弾するなり、仇を討つなりして母の無念を晴らさなければ、自分自身も許すことができないからです。それは、「家」の繁栄に個人の思いが犠牲になることへ納得ができないからです。本当にちやはは「家」のために生き死ぬことを望んでいたのか、それはわかりません。第1回で時折、ちやはが見せた本音の表情は、それを納得しているように見えませんから。


(2)公卿の総意に圧迫される晴明

 不本意を生きる下級貴族は、政治的に末端にいる為時だけではありません。陰陽寮の安倍晴明も同様です。花山帝の寵姫、弘徽殿の女御、忯子の懐妊の噂を知った兼家は、晴明に腹の子の呪詛を命じます。その際、「褒美は望みのままだ」と語る兼家の言葉からは、所詮、相手は貧しい下級貴族にすぎないという侮りが窺えますね。

 晴明は、陰陽寮を守り、学問を究める立場を維持するためには、時局にならねばならないことを自虐的に受け入れている人物であることは、以前のnote記事でも触れたとおりですが、しかし程度というものがあります。彼の目的は、内裏の中枢を担う陰陽寮をより確かなものとして維持することです。
 陰陽寮は帝と朝廷を守るためにあります。円融帝の一件も、彼の病を治すためのお祓いでした。しかし、今回はまだ生まれないとはいえ皇子かもしれない高貴なる存在を害することです。自身の本分を超えています。


 ですから、晴明は「恐れ多くも帝の子を呪詛し奉るとなれば、わが命も削らねばなりません…我が命が終わればば、この国の未来も閉ざされましょう」と抵抗します。世俗的に見える晴明が自らの職責に対して、ここまでプライドを持っていたことを不思議に感じた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は意外ではありません。彼が、陰陽道が権力の走狗になっていることに自嘲的な笑みを浮かべるのは、陰陽道の本来の役割が国家に仕える崇高なものであると信じているからに他ならないからです。
 したがって、その本分に反する行為に、自身の職務に対する責任と矜持を示すのは、当然なのです。晴明の基本は、その職務と学問に誇りを持ち、職務と学問にのみ忠実は役人なのです。だから、その命も国家のためにあると言うのです。


 しかし、兼家は「何を寝惚けたことを申しておる」と一笑に伏すと、晴明を見下ろすように顔を近づける「この国の未来を担っておるのはお前ではない…私だ」と言い放ちます。激高するでもなく、単に事実を伝えるその静かな物言いは、そのことに何の疑いも持たない傲岸な確信だけがあるのが不気味かつ恐ろしいところです。

 兼家の強気を訝しむ晴明は、ここでようやく「人の気配がいたします…これは何事でございますか」とこの依頼が、思った以上に尋常でないことに気づきます。そして、兼家の示す御簾の先には、兼家の政敵であるはずの関白、左大臣など公卿の重鎮らが顔を揃えています。
 花山帝の側近である義懐&惟成、中立的な実資以外の公卿らが談合し、その総意としての呪詛なれば、流石の晴明も屈する以外の選択肢はありません。晴明は、最初から政治的に決まったこと(秘密の謀議ですが)を命じられているだけの末端に過ぎないことを思い知ることになりました。職務への自尊心は踏みにじられます。


 ここで逆らえば、自身が陰陽寮を守り、学問を究め、国家を守っていくという本分自体が果たせなくなる可能性があります。下級貴族は官僚として、政治家の命に唯々諾々と従う以外にありません。晴明は国家を守るために、彼ら政治家の命もその力量で守り、協力してきたことも多々あったでしょう。しかし、彼らはそのことを当然と受け止め、何ら感謝することろはありません。
 「この国の未来は、我らが担う」という言葉には、いざとなれば我らのために命を捨てろと切り捨てる傲慢さが窺えますね。現代においても、政治家の命で書類の改ざんをさせられている官僚の悲劇が話題になりますが、それに近いものがありますね。


 このように下級貴族は、政治を担う公卿となる上流貴族の政治の道具として翻弄されざるを得ないことが、為時と晴明の様子から見えてきます。その上流貴族らは「この国の未来は、我らが担う」とうそぶきますが、その政治の実態は、自身の権勢と繁栄を維持するためのもの、自己中心的な権力闘争が主です。そのことは、関白、右大臣、左大臣が勢ぞろいして荘園整理令に反対する談合でも窺えます。
 また若い公任と斉信が、花山帝の改革の勢いに触発され、政に携わるためには高い地位につかねばならない、自分たちは競争することになると話しているのも、上流貴族は例外なく権力闘争が宿命であることを象徴しています。

 思うように政治を行うためには頂点を目指す必要がある、一方で頂点を極める野心を優先すれば、政治そのものが疎かになる…その矛盾を抱えたまま、彼ら上級貴族の自己中心的な権力闘争に明け暮れています。下級貴族は、こうした権力闘争に巻き込まれる形で、「家」を守るために、己を殺す宿命に従っているとすれば、やりきれませんね。ちやはの死もその一つなのですが、一介の下級貴族の娘であるまひろにその視点はありません。



2.政の本質とは

(1)実資が語る花山帝の問題点

 上流貴族の政に翻弄される下級貴族は、自分たちではどうにもできないがゆえに皮肉にも政がどういうものであるかを体感していますが、逆に権力の中枢にいるがゆえに政の本質ができていないのが花山帝です。彼は、公卿らの反対を押し切って、荘園整理を命じています。これは、荘園の新規設置を取り締まり、違法性のある荘園を停止によって、公領を回復させて国家財政の再建を図ろうというものです(逆にそれまでに成立した荘園は公式に認めるという面もあります)。


 花山帝が後に出す永観の荘園整理令は、醍醐帝の延喜の荘園整理令を踏襲していると言われます。ですから、おそらく史実はともかく、ドラマ的には、花山帝は、天皇親政の御代であっ醍醐帝を理想として、親政を行おうとしているのかもしれませんね。摂関家を無視して「構うことはない。どんどんやるのだ。躊躇わず前へ進め!」と檄を飛ばすのも、その意向を端的に示していると思われます。摂関家を始めとする有力貴族の勢力を削ぐことが、自らの親政に不可欠と考えているのでしょう。


 しかし、花山帝は思い違いをしています。醍醐帝の延喜の治、その政務の中心にいたのは藤原時平です。彼は律令政治の回帰を目指していましたから、帝の方針と齟齬することはなく、寧ろ共闘体制でした。そのため、醍醐帝の中宮は時平の妹ですし、東宮になったのもその妹の間の子です。謂わば、摂関政治の基礎は時平の時代にその基礎ができたとさえ言われているのです。つまり、醍醐帝の親政は、既得権益を持つ有力貴族たちとの対立によって成立していたのではなく、彼らと友好的な関係を結ぶ協調路線によって、安定した政治を行えていたのです。


 おそらく花山帝は、自身が権力の座につけば、思いどおりの政が行えると勘違いしていたのでしょう。帝の絶対的権力で敵対者を排除すれば、自ずと理想の政ができると信じている節があります。
 しかし、実際の政治は、敵対勢力とときは手を結び、妥協し、自分の条件を飲ませる丁々発止の駆け引きが必要です。また何事かを成すためには、実務を行う現場の人間も含めて根回しをする入念な準備も重要です。にもかかわらず、自らのトップダウンだけで全てがなせると考えるのは幼稚という他ありません。やる気があればよいというものではないのです。

 

 ですから、実資は、義懐と惟成に「帝の行き過ぎをお諌めされよ。夢を語るだけであれば誰でもできる。されど実が伴わねば、世が乱れるは必定。そのことをお上は全く分かっておられぬ」と忠告するのですね。彼が政治的にできた人であるのは、表向きの朝議では波風を立てなかったことです。帝の檄に反抗的な自分が口を挟むことは、帝の機嫌を損ねるだけで効果的ではなく、また寵臣である義懐らを差し置いた発言は彼らの体面を傷つけるだけです。
 だから、彼は朝議終了後の雑談という形で、彼らに苦言を呈すのが寵臣の役割であると説くのです。権勢の中心にいる彼らが納得して、諫言してこそ、政が正常化すると考えているのでしょう。まさに将を射んとする者はまず馬を射よ、ですね。


 しかし、阿諛追従(あゆついしょう)のイエスマンでしかない二人は、帝の夢を形にして差し上げるのが臣下の務めとはき違えた言葉しか返しません。本来、蔵人頭(主席秘書)でもある義懐は、反発する貴族を宥め、彼らの意見も取り次ぎ、時には帝に譲歩を促し、両者を取り持つ調停こそが大事な責務です。しかし、前回、義懐は、兼家ら公卿に帝の言うように実行せよと高圧的に迫るだけでした。知恵を出し合い、妥協点を探り、実行できる形に整えていくという過程をすっ飛ばしては、どんな理想も失敗するでしょう。

 何もわかっていない二人に実資が「その安請け合いがいかんと言っておるのだ。政は子どもの玩具ではない。先の帝のときはこのようなことはなかった。情けない」と激高するのも当然です。円融帝の場合、劇中の描写に限っても、検非違使の件については関白頼忠と右大臣兼家の双方の意見を取り入れた折衷案を命じるなど、自身の理想に固執せず、双方のバランスを取りながら最善の策を講じていました。この件については、実資も兼家の意見について、右大臣兼家は「好きではないが」認めていましたね。


 実資は、政が理想と現実、建前と本音、権力の均衡の危ういバランスに立つことを理解し、それをわきまえて、本当に貫くべき信念だけは主張する。これまでの政治で見聞きし培った経験があればこそ「間違ったことは言っておらん」と応じます。また「誰に聞かれても構わん」との言葉には、私利私欲に走る政治家ではないという自負が感じられますね。
 彼は忖度で物申しているのでありませんし、自身の地位にも固執していません。そもそも、蔵人頭も一度断っています。政治家として清廉にして実直、理想もある実資が妥協と譲歩、駆け引きや腹芸、根回しの大切さを説いているのですから、彼らは耳を傾けるべきでしたね。

 この一幕は、花山帝の人望の無さ、その御代が永くないことを窺わせると同時に、政とは一人の権力者が権威を振りかざすだけでは、有効性、実効性の高い政策にはならないという政治の本質を提示しています。因みに、実資はこうした信念と実務能力の高さは終生、評価され、晩年まで帝たちの信任が厚い人生を送ります。



(2)兼家の野心に巧みに操られる息子たち

 実資が主張した政に必要な駆け引きをもっと冷徹に、我が一族のためのものと割りきって捉えているのが兼家です。彼は有能ですが、その一方で特別な政治的な理想や理念はありません。権力闘争に生き残るという一点にのみに特化しています。ですから、政に必要な駆け引きや根回しといった工作について「内裏の仕事は騙し合いじゃ」と道長に放言し、悪びれるところもありません。

 第5回でも、関白と左大臣との酒宴でも、ひたすらに関白を煽ることだけに終始し、一方でたまたま表れた倫子を見て、右大臣に娘を入内させる意図があるのかを探っています。倫子については、道兼に見合わせようというくらいの算段が同時に働いていそうですから、兼家の本心がどこにあるのかは見えるようで見えませんね。
 先の展開は全くわかりませんが、兼家が道兼との縁談を計画したところを、道長が倫子たち左大臣家と示し合わせて横取りするということがあるかもしれません。まあ、妄想の類なので聞き流してください(笑)


 ともあれ、彼が信用するのは、利用価値のある手駒だけです。それは、子どもたちであっても同じであることは、これまでの回でも描かれていますね。どの息子たちに対しても、それぞれに何らかの思惑で接し、しっかりと懐柔しています。その結果、最年少の道長以外の息子たちは。父の希望どおりに動いています。

 例えば、妾腹の子である道綱に対しては、父のために明るく楽しげに舞うその姿を誉めそやしながらも、正室の子である三兄弟と同列ではないと明言します。息子の出世を取りなそうとする道綱母を適当に笑顔でいなし誤魔化し、「法外な夢を抱かず控えめにしておれ。さすればよいこともあろう」と一族の繁栄の邪魔をしないようしっかりと釘を刺します。家長として、一族内の諍いの元となる序列の問題をあらかじめ片付けておこうというわけです。どんなよいことがあるか待ちましょうと嫌味を言う道綱母に対して、満面の笑みで応じる道綱には屈託がありません。

 道綱が、「小右記」で実資が記したとおりの無能なのか、あるいは「蜻蛉日記」で母が書いたようにおっとりとした性格なのかはわかりませんが、人柄は悪くないようです。父を喜ばせようと舞ったのも母孝行もあるでしょうね。
 彼は三兄弟よりも出世が遥かに遅れていきますが、一族に対して従順に従います。結果、最終的には正三位の公卿となり、道長執政期には大納言に昇進します(おそらくこのドラマでは不遇な兄に対する道長の配慮となるかもしれません)。


 三兄弟の次兄、道兼に対しては、6年前の殺人を隠蔽したことを盾に汚れ仕事を引き受けさせていますが、これは父親に認めてもらいたい、愛されたいという道兼の願望を上手く利用した行為です。道兼は本心では汚れ仕事はしたくはありませんが、その謀議をするときだけが父親との深いつながりを感じられる瞬間です。汚れ仕事を進んで行う以外ありません。
 無条件に周りから愛されているように見える道長への強いコンプレックスと相まって、複雑な思いを抱いていることは、終盤、道長に6年前を追及された際に、「父上が揉み消してくださったのだ」と、ここぞとばかりに兼家からの寵愛を殊更にひけらかし、自虐的に開き直る態度によく表れていますね。

 もっとも、兼家は、道兼のその言葉とその思いには応じず、垣間見えた道長の覇気のほうを喜びます。結局、道兼の飢餓感は満たされず、道長への嫉妬と羨望と怒りが増幅されますが、おかげで彼はますます陰謀の深みに嵌っていくことになるでしょう。自業自得ですが、哀れですね。


 そして、嫡男である道隆は、父に敷かれたレールを順当に歩むことを約束された人物です。右大臣家の嫡男として、真っ当な帝王学を仕込まれ、穢れとなる陰謀からは徹底的に避けられています。その扱い方からは、おそらく兼家の理想の為政者という願望が託されているようにも見受けられます。容赦なく汚れ仕事にも手を染めてきた兼家には叶わぬ願いだからでしょう。

 しかし、そのように正統の教育を受けてきた真っ直ぐさは、父親への敬意という形で彼の陰謀すらも白く塗り替えてしまう極端な愚直さとなっている点は見逃せません。彼は、一族のために生きることに何の疑問も持たず、葛藤すらありません。父親の願望を体現する操り人形であり、実際は自分の意思を持ち合わせていないようです。


 それが端的に表れているのが、道隆による詮子の説得の場面です。東宮の外戚となる父と東宮の母である詮子の和解は、右大臣家の繁栄のための必須事項です。彼はそれを当然のこととして、詮子に和解を促しますが、その言葉は何一つ詮子には響きません。この場面では、時折、二人の対面を奥行きのあるロングショットで捉えますが、二人の間にある距離がそのまま彼らの心の隔たりとして表現されています。

 何故、道隆の言葉が詮子に響かないかと言えば簡単です。彼が並べ立てるのは、兼家にとって都合のよい、一族繁栄の理屈だけです。それどころか、その理屈こそが東宮と詮子のためにもなっているとまで言うのですから、開き直りというものです。したがって、道隆の言葉は丁寧で静かであっても、詮子からすれば道隆を通して、父の傲慢が彼から透けて見えていることでしょう。道隆自身は、そのことに無自覚ですが。ですから、詮子は「父上には屈しませぬ」と切り返すのですね。彼女は、兄を通して父と対峙しているのです。


 詮子は道隆と違い、自分が父の道具であることに自覚的です。そのために自分の全てを仕方がないことだと犠牲にしてきました。そんな彼女の唯一の心の拠り所が円融帝への愛情でした。そのただ一つさえ踏みにじる父の非情…「愛しき夫に毒をもった父を私は生涯許しませぬ」は、彼女の人生をかけた弾劾なのです。

 道隆の「お気持ちはわかりますが」という言葉は、父の正統性を主張する枕でしかなく、彼女の心情をまるで理解していません。道隆がすべきであったのは「父の非道をお許しください。それを知らず止められなかった自分をお許しください」と謝ることでした。まず、詮子の気持ちに寄り添うことだったのです。

 結局、詮子は逆に「裏の手があります」と道隆に脅しをかけて、「兄上には申しませぬ」と心を閉ざします。詮子の心中も慮ることができず、彼女の政治的な裏の手がなんであるかも想像できない…汚れなき嫡男の無能が垣間見えますね。
 詮子については、前回のnote記事にて、今後起こりうる史実を紐解きながら、兼家からの政治的自立を図る展開を予測しましたが、当たらずとも遠からじといった感じになりそうですね(笑)


(3)兼家の策謀に巻き込まれていく道長

 このように見ていくと、道隆と詮子の対談が、実は後半のまひろと道長の逢引と対比であることが窺えるのではないでしょうか。道長は、まひろの告白に衝撃を受けながらも、その話の途中の時点で「すまない…」との言葉が自然と漏れ出します。ここに道長の人柄が表れています。

 勿論、この事件は彼の起こしたことではありません。それでも「すまない、謝って済むことではない。一族の罪を詫びる。許してくれ」と、右大臣家を代表して、全てを引き受けて謝罪し、兄を庇うことなく、まひろの言うことを信じます。
 被害を主張する者に対して、最初にすべきことは、自分の無実や無罪を言い立てることではなく、まず相手の気持ちに寄り添うことであるとは言われますが、道長はそれを体現しています。しかも、それを計算でなく、真心からできるところに、彼の人品の優れたところなのでしょう。


 ところで、一族を代表して下級貴族の娘にも謝れる道長…その公正さと実直さが、同時に皮肉にも道長が、右大臣家の人間であることに自覚的であることも示しているのが、興味深いですね。何故なら、彼が三兄弟で最も兼家の進める、公卿の頂点に立つための政から距離を置いているからです。
 道長は意図的に争いを避ける傾向があります。自分たちが政を行うときが訪れて、高い位を求めて争うことになるという話にも加わりません(倒れたまひろのことを考えているからでもありますが)。聞いているのかと問われても「聞いているよ~、なるようになるだろう」とどこ吹く風です。

 上流貴族の三男坊らしい呑気な言葉に公任や斉信は呆れ気味ですが、この応答の裏には、道長の貴族間の争いに対する煩わしさといずれそうなるならば今は考えたくないという諦めが見えますね。そして、この応対には、彼ら有力貴族の子弟を敵に回さない処世術になっていることは、以前、話したとおりです。道長は、今の自分の心持ちに正直に生きたいのでしょう。
 この場面で、早々にこの議論を打ち切ろうと仲裁に入る行成は、道長に近い考えだろうと思われます。そんな彼だから目ざとく彼が悩んでいることを察し、女性への手紙なら代筆しようと申し出ます。いい奴ですね(笑)


 しかし、道長は行成の心遣いを「要らん」と突っぱねます。代筆を断ったのは、まひろに抱く悶々とした思いの深さだけでなく、人を騙すことを好まず、まひろに対しても真心で応じようとする道長の人柄の表れでしょう。 
 「騙そうとしたことはない」と彼は、まひろに言っていますが、こういうところは三郎のときと変わらないのですね。だから、彼女もあくまで三郎と呼び、道長ではなく三郎に積年の思いを吐露したのです。

 彼の心のあるままに正直に生きるということは、身分にかかわりなく、ただ人として誠実に向き合っていきたいということも含んでいるのでしょう。人としての当たり前をするということです。それは、まひろに対してだけでなく、散楽師の直秀に対しても同様で、礼を尽くすべきときには迷わず礼を述べ、真心から「直秀殿」と敬称もつけます。

 覆せない身分制度にうんざりし、盗賊にもなっている直秀からすれば、こうした道長の在り方は、裕福な上流貴族の三男ゆえの甘さからだとしても不思議な存在に見えていることでしょう。身分が違いすぎるとわかっていても、まひろとの間を取り持ってしまうのは、まひろと道長の人柄を放っておけないからと思われます。


 ただ、道長は所詮は右大臣家の三男坊。自分にできることはあまりに少ないこともあり、ひたすら周りと軋轢を生まないようにしながら、無能なふりをして過ごしています。それ以外に自分の心を守る術がないということかもしれません。
 ですから、野心家の父を前にしても、父が喜ぶ話題はないと言い、政治の話題についてもわからないとはぐらかすのでしょう。つかみどころがなく、やる気もあるように見えない道長に、「自分の考えはないのか」と問うてしまう父、兼家の言葉からは、この先、彼をどう扱うべきか思いあぐねていることが窺えます。

 これに対して、道長は「私は帝がどなたであろうと変わらぬと考えております。大事なのは、帝をお支えする者が誰かということかと」と答えます。道長自身がこの答えをどういう考えで言ったのかは、わかりません。姉をないがしろにして野望を叶えていく父に対するそれとない皮肉を込めた正論なのか、それともその場をかわすための無難な返答をしたつもりなのか、その表情からはさまざまな解釈ができそうです。
 どちらにせよ、帝という位の権威に阿ることもなく、上流貴族の役割が何であるかを冷静に理解しているこの言葉は、政の本質を突いた言葉であることは間違いありません。政治に対する無関心、無能を装っても、その才覚は隠し切れないものですね。

 そもそも、彼ののらりくらりとした態度というものは、本当の愚か者ができる代物ではありません。周りの空気が読め、物事のあらましが大体わかるからこそ、周りとのいざこざを起こさない適切な距離感と対応が出来ているだけなのです。この返答も、父への揶揄を含めながらも父が聞いて満足し得る言葉を選び取れています。


 果たして、兼家は道長の言葉を字面どおりに受け取り「その通りじゃ。よう分かっておるではないか」と素直に感心します。彼は、道長の才覚を「物事のあらましが見えている」と見立てていますが、その読みが当たっていたことへの満足もあるでしょう。

 兼家は、非情かつ自己中心的な性格から、その言動のすべてを悪く見られがちですが、実は人の才覚を見るセンスは誰よりも長けています。野心家だけに誰をどう使うべきなのか、それが瞬時に読み取れる才能が、兼家の成功を支えていると言えます。愚直で忠誠心の高い学者には間者を、世論を動かせる呪術師には陰謀の要を、凡庸な嫡男には操り人形を、愛に飢えた次男には汚れ仕事を…などなど意外にも適材適所で役割を振っていることがわかるでしょう。


 それもこれも一重に「我が一族は帝をお支えする者たちの筆頭に立たねばならん」からです。これは、個人的な野心ではありません。あくまで一族の繁栄という「家格」の宿命を受け入れ、それに必要なことを忠実に実行していることです。ですから、そのための権謀術策には自分の生死すら、ある意味、度外視されています。
 そのことは、道長の回答を受けて、彼を諭す「わしが生きておればわしが立ち、わしが死ねば道隆が立つ。道隆が死ねば道兼か道長か、道隆の子、小千代(後の藤原伊周)が立つ。その道のためにお前の命もある」という言葉に表れています。貴族の頂点に立つという至上命題は、右大臣家一族の悲願であり、兼家がそれに人生をかけたように、三兄弟は勿論、その子、その孫までも連綿と受け継ぎ、叶え続けていくものなのです。


 ただし、道長が、兼家の血の宿命とも言うべき言葉の真の恐ろしさを知るのは、この場面ではなく、終盤の道兼糾弾の場面においてです。6年前の殺人について道兼を問い詰め、守りたい民草の命と心を傷つけ踏みにじるこの男に激高した瞬間、道長は激情から、初めて親族を前に自身の本性と本音を明確にしてしまいました。
 その結果、わかったことは、兼家がその殺害をすべて知った上で積極的に隠蔽に加担したことでした。道長は衝撃を受け、父に問いかけますが、彼は「我が一族の不始末、捨て置くわけにもいかんでな」とせせら笑います。そこには、失われた命、そのことに心を痛める少女への憐憫はおろか、想像力すらありません。弱き者を踏みにじり、繁栄を目指す右大臣家の血の宿命、その裏の顔がまたも見えました。これは詮子のときと同じです。


 衝撃を受ける道長に、道兼は、まひろの母の死は道長が彼を苛立たせた結果だと追い打ちをかけます。つまりは、まひろの母を殺したのは道長だというのです。この道兼の言葉は、体の好い開き直り、見苦しい言い訳に過ぎませんが、まひろを思いやっていた心優しい道長の心を傷つける毒としては十分すぎます。そう、道長は父や次兄と同じく、血の宿命を背負う右大臣家の人間。だから、彼女の母を死なせ、まひろを永きにわたって苦しめた張本人が、自分だ思い至るのは、不思議ではありません。道長は、自分の罪でないことで責任を感じ、苦しむことになります。彼の美徳ゆえに…

 放心する道長に覆いかぶさる父、兼家の「道長にこのような熱き心があったとは知らなんだ。これならば我が一族の行く末は安泰じゃ!今日は良い日じゃ!」という歓喜の言葉が刺さります。汚い陰謀が明かされ、兄弟喧嘩どころか、父子の間すら割かれるかもしれないこの異常事態に、兼家は一族の繁栄を確信し、高笑いするのです。
 一見、狂気的にも見えますが、兼家はただただ「我が一族の繁栄のため」という点において首尾一貫しているだけです。骨の髄まで右大臣家の血の宿命に染まっている兼家は、今度は、才能を露にしてしまった道長をその謀略に組み込めることを寿いでいるのですね。既に道兼は、自分よりも道長が重用される可能性を恐れる表情をしています。

 さまざまな意味で道長に退路はありません。彼の少年期は、この日、終わりを告げたのかもしれませんね。


おわりに
 ドラマ的にも、まひろや道長にとって兼家は、私利私欲に満ちた悪役です。しかし、一方で彼こそは「家格」を守り、繁栄させることに邁進する平安の上流貴族の「常識」そのものを純粋なまでに体現している存在だとも言えるでしょう。だからこそ、彼の存在は、まひろと道長に立ちはだかることになりますし、また他の貴族たちに対しても圧倒的な存在感を示すことになるのでしょう。

 一方、道長はこれまで自分の素直で優しい心の在り様を守るため、処世術をもってのらりくらりかわして生きてきました。しかし、実はその方法では、自分自身を本当に守れてはいないばかりか、まひろまで深く傷つけていたことに気づかされました。
 これまでのやり方は所詮、右大臣家の人間であるという事実から逃げていたに過ぎませんでした。事なかれ主義の処世術では何も守れません。彼の人生は、自分の生まれ、家格という身分からは逃れ得ないことを自覚し、それを引き受けるところから始まるのでしょう。

 道長の心情的には、このままではまひろに合わせる顔はありません。また、彼の民を思う秘めたる思いこそが、今の政に足りないものです。彼は諦めるのではなく、積極的に飛び込み、政を支える上流貴族の「常識」と対峙していくしかありません。
 そのためには、やはり父、兼家からの自立が欠かせないと思われます。そのことを道長が自覚したときが、詮子の「裏の手」と響き合うときかもしれません。いずれにせよ、道長の物語がようやく始まったというのが第5回だったのでしょう。

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