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「どうする家康」総集編 「戦無き世」実現の物語として総括される「徳川家康の生涯」

はじめに

 総集編…その言葉から想像してしまうのは、名場面集的なダイジェストではないでしょうか。そもそも、元になった本編に無駄な場面などありませんし、尺も各場面をつなぐ間や構成にも意図があります。それらをバラバラに解体し、美味しいところだけつまみ食いするようなダイジェストに対して、本当の味を損なうような気がする方がいらっしゃるのもわかる気がします。

 まして、「どうする家康」は48回あります。4時間半程度に圧縮すると、単純計算で1/7になってしまいますからね。実際、ご覧になって「あの場面がカットされた」「その場面が見たかったのに~」となっている方もいたのではないでしょうか?


 しかし、アニメーションでは、テレビシリーズの総集編の傑作が数多くります。実は、それらが名作足りえるのは、元の作品が優秀だからでも、名場面のチョイスが上手いからでもありません。元の作品とは別の明確な意図を持ち、それに添った編集が的確に出来ているからこそ、人の心を動かせているのです。文芸作品とは、同じ要素を使っていても、編集によって全く別の作品に作り替えることすら可能です。

 つまり、総集編は、各回の演出家とは別の意図で映像を組み替えた別の作品なのです。そこで今回は、「どうする家康」の総集編の演出意図とそのキーポイントになる編集について、ごく簡単に考えてみましょう。



1.群像劇から「徳川家康の生涯」に焦点を絞った構成

 総集編をとおして見たとき、まず印象に残るのは、家康が生まれた瞬間から始まり、家康が蹲踞(そんきょ)の姿勢のまま座して逝くシーンで終わっていることでしょう。亡くなった後の家康と瀬名、家臣団との楽しげな涅槃かと思われるシーンはありません。

 まず、家康誕生のシーンは本編では回想シーンとして出てきたものです。それが、総集編では冒頭に置かれ、回想ではなくなりました。しかし、誕生関係のシーンが終わると、すぐに成人後の元信(家康)になってしまいますから、多少、違和感を覚えた人もいたかもしれません。


 そして、ラストの変更は驚いた方もいたのではないでしょうか。本編終盤の年老い、孤独と絶望に苛まれていく家康の姿は辛いものがありました。ですから、家康を、彼がもっとも望んでいた在りし日の幸せな時間に戻してあげるあのラストが、これまで頑張ってきた家康への唯一のご褒美として効いていたのです。そして、視聴者自身もその様子に安堵したことでしょう。それだけに、このシーンの有無だけでも随分と印象が変わりますよね。

 勿論、これは、総集編に家康の人生を可哀想に見せる演出意図があるわけではなく、あくまで物語の構成を変更した結果でしょう。総集編で行ったこと、それは端的に言えば、誕生から死去するまでの「家康の生涯」そのものを客観的に捉え直すことです。


 「どうする家康」は、徳川家康の一生を描いていますが、実際のところは家康を中心とした徳川家中の群像劇になっています。また、第13回のお市の侍女、阿月のように、女性や弱者といった歴史の中で埋もれていく人々の人生を汲み上げ、彼らの人生が家康たちの決断と交錯する演出も散見されました。つまり、「どうする家康」は、家康とかかわった多くの魅力的な人々の人生が畳み込まれた作品だとも言えるでしょう。

 しかし、それは48回という尺があればこそ。総集編でそれら全ての人々に焦点を当てしようとすると、それこそ単なる名場面集となり散漫な印象だけが残ってしまいます。短い尺の中で物語をわかりやすくするには、軸は一本に絞り、描くことをそこに合わせて取捨選択をすることが賢明です。


 そこで、今回の総集編では、群像劇を捨て、ただ一人「徳川家康の生涯」に焦点を絞り、その人生が何だったのかを振り返る構成に変えています。
 幸い、「どうする家康」は、誕生、人質生活、桶狭間の戦い、清州同盟、三河一向一揆、今川滅亡、金ヶ崎の戦い、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、築山・信康事件、甲州征伐、本能寺の変、伊賀越え、天正壬午の乱、小牧長久手の戦い、小田原征伐、朝鮮出兵、関ヶ原の戦い、大坂の陣、死去、…と家康の人生の重要事項のほとんどについて、比重の違いはあれども、網羅的に扱っています。


 ですから、出来事を本編の物語の流れからは解き放ち、基本的に時系列に添って並べ直すだけで「家康の生涯」という形にすることができます。
 一つ、具体例をあげましょう。築山・信康事件は、時系列では「瀬名の死→信康の死」です。しかし、第25回では瀬名の死のほうにより比重があります。そこで、信康の死を聞いた家康が瀬名の死を思い返すという形にすることで、瀬名の死の描写を信康の死の後にし、瀬名の死をクライマックスとしています。これを、総集編では時系列順に直していますね。

 これによって、「どうする家康」にて特徴的であった後付けのような回想シーンの挿入はかなり減っています。勿論、ゼロになったわけではありません。それでも、それは、あくまで人物の心情描写の一部として組み込むときに限られれています。


 ただ、並べ直されただけでは、まだ不十分です。並べ直されたものをどう語るかが重要になってきます。そこで、総集編ではナレーションを、寺島しのぶさん演ずるお福ではなく、松本まりかさんへと変更しました。彼女は大鼠を演じていますが、大鼠は家康の人生をずっと見ているわけではありません。ですから、今回は大鼠とナレーションの二役と考えるのが妥当でしょう。

 さて、本編では、「神君家康公神話」とは違う(「どうする家康」流の)「真実」の物語を見せることを主眼としていましたから、敢えて神話を語るお福のナレーションとは真逆、あるいはズレた物語が展開していくところが見どころでした。それによって、本編を見続けた視聴者は既に「真実」を知っています。

 その上で、総集編のナレーションは、「~だった」という過去形の断定で淡々とした語り口…謂わば、一般的なナレーションと同じものにしてあります。こうしたナレーションにすることで、並べ直された「真実」は、客観的な視点から事実のみが語られた「家康の生涯」となるのです。


 このように、総集編では、「どうする家康」の物語を「徳川家康の生涯」という事実として捉え直すために、出来事をほぼ時系列に並べ替え、それを客観的に語るという構成と語り方にしてあるのですね。ただ、一点、本編とは全く違う時系列にしてある場面がありますが、その点については後述します。



2.総集編、全4回の構成の意図
(1)「戦無き世」への目覚めが強調された第1回「始まりのとき」

 「どうする家康」、全48回本編は、四部構成になっていました。第一部を家康が完全な独立を果たす今川家滅亡(第12回)とし、第二部は家康の青年期の終わりとなる築山・信康事件(第25回)となっています。そして、第三部は充実した壮年期を迎えた家康が秀吉への屈服を決めるまで(第34回)、第四部を老年期の家康となっています。この四部構成は大まかなものですが、第二部から第三部、第三部から第四部については髪型や髭のつき方など明確に外観を変えることで、家康の心情の変化と成長を表現していますね。

 しかし、「徳川家康の生涯」という軸にまとめた総集編は、四部構成こそは同じですが、その分け方を少し違うものに変えてきました。まず、第1回「始まりのとき」は、三河一向一揆の終結と氏真との決着まで。第2回「試練のとき」は、家康の信長暗殺の決意まで。第3回「躍動のとき」は、秀吉が死ぬときまで。そして、第4回「覚悟のとき」は天下を取り死ぬまでとなっています。この構成の仕方の変更には、「徳川家康の生涯」をどう捉えていくのかという総集編の主旨にかかわることです。


 まず、第1回「始まりのとき」を概観してみましょう。この中で強調されるのは、「国」とは何か、君主とは何かという概念です。初めての岡崎帰還で数正と左衛門尉から「三河一国を束ねる日」のために現在の貧しい三河のあり様を理解するよう説かれた家康は、瀬名に「ものすごい重荷を背負わされましてな」と愚痴り、国を治めることの重圧が強調されています。

 桶狭間では義元の「王道と覇道の違い」の問答、「戦乱の世は終わらせねばならぬ」という彼の決意、大樹寺における「厭離穢土欣求浄土」、この世を浄土にするという理想を知るなど目指すべき道が家康に提示されていきます。

 そうした中で、家康自身も、大樹寺を囲む松平昌久らを前に「いかなる敵からも守ってみせる。織田からも武田からもじゃ!」と力強く宣言し、自覚的に前に進みます。ここから、家康の「戦無き世」の道、そして君主としての道が始まります。この出来事が、平八郎と小平太が家康を主君と認めた瞬間であることは第45回で語られますから、ここでの彼らの表情は今見るとなおのこと、印象的ですね。


 さて、この後も、家康には、国とは何か、君主は家臣と領民のために何をすべきなのか、それらを学ばされることが続きます。於大から君主のあり様として、左衛門尉と数正から領民の実態から、瀬名たち妻子を捨てるよう説かれたことに始まる清州同盟への流れもそうです。

 また、「三河の主はこの松平家康じゃ」と豪語し、領民と家臣を軽んじた三河一向一揆の失敗、「民から救いの場を奪うとはどういうことじゃ、おおたわけ!」という本多正信の叱責…それらは、家康に「民こそが天下の主である」という今川義元の教えを思い起こさせ、改めて、自分の国で大切にしなければならないのは、民と領民であることを肝に銘じることになります。 
 その家康の泣きながらの決意を瀬名は「厭離穢土欣求浄土。汚れたこの世を浄土にする」ことを、家康になすよう後押しをします。そして、できるかのうと問う家康になんとなくできる気がすると返すところで第1回は一区切りがつき、それを叶えるための氏真との決着で幕を閉じていきます。

 このように第1回は、「主君とは、天下の主役である家臣や領民たちのために働くものである」ということ、そして、彼らの貧しさを救うためにも「戦無き世」を実現しなければならないこと、それらを家康が、自覚するまでの話として構成されています。つまり、家康の進むべき道の「始まりのとき」が描かれているのですね。


 ただ、一方で戦乱の世が弱肉強食であり、その理想の実現が容易ではないことも示唆されています。清州同盟のとき、妻子を取り戻したい家康にお市は「竹殿、欲しいものは力で奪い取るのです!」と、その腕をつかんで諭します。
 その言葉を受けた家康は、信長のどうする気かとの問いに「今川領をことごとく切り取り、今川を滅ぼしまする」と答えることになります。そして、これは実行されることになりますが、このことは家康が王道を目指しながら、同時に覇道を極めざるを得ないという矛盾を抱え込むことを意味しています。家康は、王道と覇道の両方の理屈の間を右往左往し、悩み抜く宿命を背負いこむのです。だから、総集編第2回は、「試練のとき」にならざるを得ないのですね。

 また、お市の「竹殿、欲しいものは力で奪い取るのです!」は、元々は自身の初恋を諦めながらも、その相手を励ましたい一心のお市の乙女心の表れなのですが、この総集編の構成での切り取られ方だと、本人の意思とはかかわりなくお市こそが、戦国の弱肉強食の理屈、覇道の体現者となってしまうのが興味深いところです。このことは、後述する茶々の人物造形ともつながってきます。



(2)「戦無き世」とは何かを仄めかすシーンが選択される総集編第2回、第3回

 第2回「試練のとき」でも、第1回の矛盾を抱えたまま家康は揺れ動きます。まず、覇道の面では「国」を守るために奔走する家康に、信玄と信長のそれぞれが強い力の重要性を説きます。家康は、時に多くの家臣を失うという形で、あるいは最愛の妻子を死に追いやるという形で、その理屈に屈服せざるを得ないのが、総集編第2回の主な流れになっていますね。

 一方で王道の面では、総集編第1回の終盤で義元の夢である「乱世を収めること」を氏真に託されますが、総集編第2回そのために必要なことも示されています。それは、「戦無き世」の具体的な理念です。これは瀬名の「慈愛の国」構想にある、東国一円の貿易圏を指します。人の善性に頼った彼女の構想は脆いものでしたが、経済的、文化的交流によって国を富ますという発想自体は、その後の家康の「戦無き世」の核となっていきます。

 また、総集編に採用された場面の一つには、虎松(井伊直政)の「民を恐れさせるより、民を笑顔にさせる殿様のが、ずっといい。きっとみんな幸せに違いない」がありました。これは、王道における君主の理想を家康に観ている台詞です。虎松と同じく、瀬名も家康のこの資質を知るからこそ、家康に全てを託して、死んでいきます。


 また、乱世を収めるには「天下一統」という大局的な視野が必要であることも、第2回では強調されています。だからこそ、第2回は家康が、信長を倒して「天下を取る」ことを明言して終わっているのです。この宣言が、実は未熟なもので覚悟が足らないものであることは、総集編第3回での信長暗殺の断念ではっきりしてしまいます。
 しかし、それでも総集編第2回がこの台詞で締められるのは、家康が揺れ動いて来た覇道と王道の矛盾が「天下一統」の言葉のもとに、一定の落としどころを見つけた瞬間だからでしょう。つまり、自分の大切なものを奪われないためにまずは天下一統を成し、その上で自分たちの平和の理想を全国に浸透させようとしたのですね。



 総集編第3回「躍動のとき」は、家康が秀吉に屈服し、天下取りを一旦諦めながらも、多くの人との縁を結び、絆を深め、人の信用を得、豊臣政権下を上手く渡って生き延びていく様が描かれていきます。それは、家康が天下を治めるための政治というものを学び取る過程であり、また彼自身が「戦無き世」を実現するために必要な力を蓄える過程でもあります。
 だからこそ、秀吉の死後を前にした左衛門尉が天下取りを家康に促す場面で締められています。いよいよ、準備が整ったということです。その際、左衛門尉の「殿だからできるのでござる、戦が嫌いな、殿だからこそ」という台詞が使われていますね。忠次は、あくまで「戦無き世」の実現の手段として、天下取りを進めているという点が重要です。



(3)「戦無き世」実現の覚悟とイコールとなった天下人への決意

 総集編第4回「覚悟のとき」の序盤は、秀吉死後、三成を中心とした十人衆の合議制の失敗、三成との決裂をとおして、家康が必然的に天下人への歩まざるを得なくなっていく様が描かれていきます。

 その中で、この総集編を象徴するような編集、改変が行われたシーンがあります。それは、家康が自分の調合した湯薬を飲み干し、自身の天下取りを覚悟するシーンです。天下人になるということは、綺麗ごとではなく、家康が言うとおり「嫌われるばかり」です。ですから、このシーンでは苦い湯薬を飲み干すという行為によって、天下人が成す清濁を飲み下す覚悟を表現しています。このことは第39回のnote記事で詳細に指摘したとおりです。

 第39回では、飲み干す直前に天下人を目指した義元、信長、信玄、秀吉の言葉を思い出し、左衛門尉の「嫌われなされ。天下を取りなされ」に誘われ、彼らと同じく天下人の負を引き受ける覚悟をするという構成になっています。


 しかし、総集編では、最後に家康を天下人への道を覚悟させるのは、左衛門尉の言葉から、「厭離穢土欣求浄土。汚れたこの世を浄土にする」という三河一向一揆のときの瀬名の言葉に差し替えられました。家康は瀬名との約束という初心を思い返し、何のために天下人になるのか、という目的を改めて再確認するのですね。そして、この瀬名の台詞は、家康が「戦無き世」を目指す象徴として、総集編第1回を象徴し、家康の進むべき道の方向性として採り上げらたものです。

 この三河一向一揆のときの誓いは、総集編第2回においては、瀬名の遺言として触れられます。そして、総集編第3回では、数正との最後の対面シーンの会話中で触れられています。ここでは瀬名の言葉は、その言葉を胸のうちに秘めていた数正が「我らの国を守り、我らの殿を天下人」にするために出奔の決意をするシーンなのですが、総集編では三河一向一揆以来の初心を強調するものとしても機能しています。


 つまり、「厭離穢土欣求浄土。汚れたこの世を浄土にする」という言葉が、総集編全てを一つ貫く「戦無き世」という夢への指向そのものなのです。こうして、家康の天下人の決意は、忘れ得ぬ「戦無き世」への夢という強い思いに促されてのこととなりました。これにより、第39回で描かれた天下人の負を引き受ける覚悟というネガティブなものは後景化され、「戦無き世」を実現するというポジティブな面のほうがやや強調されます。

 したがって、この薬湯を飲み干すシーンの編集の変更は、「どうする家康」本編を「「徳川家康の生涯」を通じた「戦無き世」実現までの物語」として総括するという総集編の目的が明確になったシーンと言えるでしょう。


 そして、この後、家康は三成との決戦、「関ヶ原の戦い」になだれ込みます。ナレーションがこの戦を諜報戦であったと客観評価しており、その立ち位置の公正さが興味深い一方で、挿入される家臣団との別れのシーンでは、「戦無き世」の実現を強調する台詞だけがクローズアップされています。

 彦右衛門は「戦なき世を成し遂げてくださいませ」と願いを託し、七之助は「わしらはあのときお方さまや信康様をお守りできず、腹を切るつもりでございました。されど殿に止められ、お二人が目指した世を成し遂げるお手伝いする(中略「厭離穢土欣求浄土!この世を浄土にいたしましょう!」と声をかけます。
 そして直政は「信長、秀吉にもできなかったことを殿がやりなさる、これから先が楽しみじゃ」とその先の未来への希望を語ります。これらの言葉がチョイスされ、総集編に盛り込まれたこともまた、この総集編が「戦無き世」実現の物語であることを証明していると言えるのではないでしょうか。



(4)総集編における茶々の役割

 さて、総集編第4回は、「戦無き世」への実現という初心を貫こうとする家康の思いの強さが強調されてはいますが、結果は言うまでもなく、その夢とは真逆の「関ヶ原の戦い」と「大阪の陣」という二つの大乱です。ですから、総集編では三成の最後の台詞を、誰もが乱世を望む子心を持っているのだから「まやかしの夢を語るな」にし、氏真に語った「戦無き世」はなせないという絶望と一直線にするといった編集もなされています。

 これは、総集編第1回で仄めかされた家康を取り巻く覇道と王道の矛盾が解決できない問題が、未だ解決できていないことを意味しています。しかし、その絶望も辛さも「戦無き世」を捨てようとしない意思の強さの表れです。総集編での家康の指向は、基本的に王道であることが強調されているからです。


 それでは、乱世と望み、乱世を呼ぶ家康の覇道の側面はどこへ行ったのでしょうか。それは、本来、家康の内面にあるものですが、総集編ではそこまで深く微妙な心情まで吹き込むことは難しくなります。ですから、家康の覇道の側面は鏡合わせとなる人物へ投影、託すという方法が取られます。それが、茶々です。

 ここで、総集編において、「欲しいものは力で奪い取るのです」と覇道の基本を最初に家康に説いたのが、お市であったことが思い出されます。これによって、家康の生涯は覇道と王道の間で揺れ動くことになりますが、そんなお市は自身の強さを貫き、戦国武将のごとく華々しくその生涯を北ノ庄城で終えます。
 「織田家は死なぬ。その血と誇りは、我が娘たちがしかと残していくであろう」との誇り高き言葉は、総集編においては、織田家が象徴した覇道がその子孫へ継がれるものともなっています。したがって、母の言葉に「母上の無念は茶々が晴らします。茶々が天下を取ります」と答えた茶々は、その瞬間からお市から織田家の目指す覇道を引き継いだことになるのです。



 「どうする家康」本編では、王道によって自分たちを救う「憧れの君」、家康への憧憬が、彼女の覇道の奥底にありましたが、総集編では、そうした家康への憧憬に関する直接描写は削られました。彼女の複雑な胸中ことに尺は避かないことで、茶々は覇道の象徴として描こうとしたのだと思われます。

 ですから、総集編での茶々は、家康に対しては最初から攻撃的になっています。茶々が家康の元を訪れ、北ノ庄城へ助けに来なかったことをなじり、家康を籠絡しようとした場面。これは、本編では、唐入り後の名護屋城での会話ですが、総集編では小田原征伐の前に挿入され、時系列が変更されています。これにより、早い段階から茶々が家康を恨みに思って、仕掛けているということなのです。ですから、関ヶ原の戦いを始め、総集編第4回では、事の裏側には常に茶々の暗躍があることを仄めかすように時折、茶々のほくそ笑む表情が挿入される演出がなされています。


 因みに、家康の最後の直筆書状を読む際も、母お市について想いを馳せるシーンのみがクローズアップされています。母から引き継いだつもりになっていた道は、覇道ではなく、別の道だったかもしれないと気づくというものです。こうした母とのつながりを強調し、家康への憧憬をなるべく消すような演出もまた、茶々が覇道を指向してしまったことを象徴していますね。

 ですから、彼女の最期、「茶々はようやりました」は、総集編においては本編で描かれた「憧れの君」家康への想いではなく、あくまでお市への想いでしょう。母の遺志を引き継ぎ、母と同じく戦国武将のように華々しく散る自分を褒めて欲しい…そんな少女の想いへと変更されています。どちらにせよ、茶々は生きたいように生きたという面では満足のいく死であったと言えるでしょうね。


 このように茶々は、王道を目指そうとする家康の合わせ鏡のように乱世を、覇道を指向し散っていきます。このことは、同じくお市から覇道の根本を説かれた家康の内面の葛藤が、投影されているのではないでしょうか。だからこそ、家康の王道と茶々の覇道、双方のせめぎ合いが結果的に大乱を呼び、その収束をもって「戦無き世」が訪れることになるという構成になっていると思われます。

 となると、紅蓮の炎に燃え盛る大阪城へ合掌する家康の思いも、茶々たち犠牲になった人々への供養の気持ちだけではないかもしれません。家康の心の底でくすぶり続け、時折、顔を見せた乱世を望む気持ちも同じく、その炎にくべていたのではないでしょうか。自身を含めた、全ての人間の乱世を望む心への鎮魂…それがあの合掌に込められた祈りであったよに思われます。


おわりに

 こうして「戦無き世」は実現されます。家康を迎えにきたと思しき瀬名は「初めてお会いした頃の誰かさんにそっくり」な竹千代(家光)が「「あの子があの子のまま生きていける世の中を」家康が築いたのだと評価します。しかし、「徳川家康の生涯」を客観的に語る総集編においては、この瀬名と信康は、家康が今際の際に見た幻の可能性も高いでしょう。

 ですから、家康は頭の中に浮かぶ瀬名の言葉によって、自身が生涯をかけてつくった「戦無き世」が、「ありのまま生きられなかった竹千代(家康自身)の代わりに、竹千代(家光)がありのまま生きられる世界を築くことであった」、そのささやかな願いが叶えられたことに自身を納得させたのだろうとも考えられますね。そして、そのささやかさこそが、民の幸せであり、そのささやかを守ることが国を守ることなのです。


 そして、その安寧の世は家康一人で築いたものではなりません。家康とかかわり駆け抜けていった多くの者たちの人生が織りなしたものです。ですから、家康の走馬灯には、自分自身や家族、そして家臣団といった馴染みの者たちだけではなく、歴史的には無名の存在である阿月も、小者のごとき鳥居強右衛門も、謀叛を起こした大岡弥四郎も、宿敵の一人武田勝頼も含めて、表れるのです。有名無名、敵味方にかかわりなく、全ての人々の人生が織りなしたものが「戦無き世」の実現だったのですね。

 そのことに家康は、最期の最期で気づくのです。だからこそ、全ての人々に感謝の意を表し、蹲踞の姿勢で逝くことになります。


 このように「どうなる家康」総集編は、が描いたあの時代を駆け抜けた家康を中心とした人々の生き様をライブ感覚で描いた「どうする家康」全48回を、終わった歴史として組み直して客観的に語ることで、「徳川家康の生涯」をとおして、いかにして「戦無き世」が実現されたのかという乱世の終焉の再評価を試みる物語として新生されました。

 同じ物語であっても、その編集によって、全48回本編とはまた別の側面が見えてくる…そして、それぞれの側面を突き合わせたとき、そこに「どうする家康」の物語が描こうとした真実が垣間見えてくるかもしれません。
 そうした多角的なものの見方は、歴史そのものを見る目線とも、どこかでつながってくるものになるのではないでしょうか?そう考えると、「どうする家康」の総集編は、歴史ドラマの様々な楽しみ方を最後まで提示してくれたと言えますね。

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