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「光る君へ」第24回 「忘れえぬ人」 初心を捨てざるを得なくなるきっかけとは

はじめに

 初心、初志、初恋…初が着く心に関わる言葉は、どれも純粋さ、瑞々しさに溢れています。それは、その初めて抱いた混じり気のない強い思いに美しさと貴重さを感じるからでしょう。
 一方で、この初めての強く純粋な思いを、そのまま、あるいはより純化した形で守り続けることは至難の業です。人の心は移ろうのが常です。その変化の原因は、精神的な成長や進化という内的な要因もあれば、環境や肉体など外的な要因もあり、それらが複雑に絡み合い、人生における心の変化を彩ります。人の心が移ろいはマイナスばかりではなく、プラスもあります。だからそれ自体は仕方のないことです。寧ろ、変化を楽しむぐらいが丁度良いのです。

 ただ、初めての思いの純粋さを損なう、汚すようでもあることを残念に思う気持ちも真実でしょう。守り抜くのが難しいからこそ、初志貫徹で思いを遂げれば賞賛し、初恋を叶えて結婚したと聞けば羨ましいとするのです。ことに恋愛においては、それを求める人は多いようで、フィクションでも初めのカップリングで最終的に落ち着くものがたびたび見られるのもそういうことでしょう。
 「光る君へ」で言えば、どんな形であれ最終的にまひろと道長が結ばれることを願う視聴者も多そうです。二人のカップリングについて、「みちまひ」(道長&まひろ)より「さぶまひ」(三郎&まひろ)が定着しているのも、フィクションにおける初恋史上主義を象徴しているのかもしれませんね(笑)
 ともあれ、叶わぬ夢への憧れがそこにあるのかもしれません。

 それにしても、どれほどに強い初心であっても変わらざる得ないのは何故でしょうか。先にも述べたように環境の変化、肉体的な変化が精神に及ぼすことは大きいです。ただ、まひろの道長への深い思いは20代終わりが見えても変わることはなく、道長もまたまひろとの青くさい約束を30を過ぎても頑なに守ろうとしています。その頑固さは、かなり強いものです。

 しかし、史実では紫式部は宣孝の妾妻となり、あれほど入内は女の不幸と言った道長は次々と娘を入内させ絶対的権力者の道を歩むのです。となると、何が二人の初恋と初志を貫けなくするのか、あるいは曲げていくのかは興味深いところであり、またそこが大いなる見せ場となるのではないのでしょうか。
 そこで今回は、二人の初恋、初志が変わらざるを得なくなる状況、心境について考えてみましょう。


1.憂いと空しさが増していくまひろ

(1)口説き文句から見える宣孝の包容力

 アバンタイトルは勿論、宣孝のプロポーズの続きです。唐突な「都に戻ってこい。わしの妻になれ」の言葉に、理解不能になって固まっているまひろ。すかさず「戯れではない」とフォローするのですが。「え?では何でございますか?」と逆にかえって驚いているまひろの反応が可笑しいですね。ここに来て、なお冗談としか思えないのもわからないではありませんが。少なくとも彼女のほうは、今、この瞬間も宣孝は恋愛対象ではなく、古くから父の友人である親戚のおじさんでしかないことが窺えます。

 そんなまひろに対して、あくまで真面目な求婚をしている宣孝は「あの宋人と宋に渡ってみたとて、忘れえぬ人からは逃げられまい」と、いきなりまひろの心にある核心部分へと切り込んできます。女性がひたむきに隠している内心を言い当てるというのは、そこそこ人生経験のある男性が女性を口説くときの常套手段です。「え?なぜわかったの?」と驚かせることで相手の心の隙を突き、同時に自身こそが貴女の理解者になれるというアピールをするというやつです。ちょっとした心理的詐術と経験則による読みを使ったこの手段自体は珍しいものではありません。

 しかし、名うてのプレイボーイである宣孝は、その手口が並ではありませんね。まず、彼女に想い人がいたと言うこと自体は、彼女の年齢からすれば珍しいことではありません。ただ、それを今も「忘れえぬ人」だと表現したところが上手く、誰かの大切な思い出を持つ人なら誰でもドキッとするでしょう。
 普通ならば当てずっぽうの台詞ですが、宣孝がまひろに向けたこの言葉はそうではないでしょう。宣孝は、為時が散位となり貧窮となったとき、彼らの窮状を救うべく、何度も何度もまひろへ縁談を持ってきて、その都度、まひろから突っぱねられています。一度や二度であれば、婚姻に夢をかける少女らしさですが、そうではありません。


 さらにまひろの断りの理由は、「妾は嫌」「どなたの妻にもなる気はない」というものです。これは、まひろが「本妻にはなれない人と恋をした」結果、「深く好いた人と結ばれないなら、誰とも婚姻しなくて構わない」と諦めたと言っているようなものです(苦笑)勿論、確証があるわけではありませんが、それでもかまをかける材料としては十分です。

 また、宣孝の軽薄さを揶揄し、頭のよいまひろです。もし、そういう相手があるなら、相当な相手と真面目な恋愛関係にあり、哀しい別れをしたと想像するのも容易だと考えられます。母の悲劇的な死の体験があるとはいえ、常にどことなく陰のあるまひろ。それは性格的なものだけではなく、そうした経験と現実が彼女をそうさせているのかもしれません。これもまた状況証拠となるでしょう。まあ、鈍感で生真面目な為時は、娘のそうした変化にはあまり気づきませんけどね。


 そして、次に見事であったのは「宋に渡ってみたとて逃げられまい」との弁です。宣孝は、まひろの宋に対する強い関心の底にあるものが、現実逃避であることを看破しているのです。彼女の宋への並々ならぬ好奇心は、母の死や直秀の死など世の理不尽への怒りと哀しみ、そして、そこから始まる政への関心によるものです。ですから、その好奇心は、宣孝が考えている以上に本気のものです。
 しかし、それは知識や教養といったレベルに留まるものであり、それだけで世の中を変えるものではないのも事実です。宣孝目線で言い換えれば、決して「忘れえぬ人」と結ばれなかった現実を忘れさせるものではないとなるでしょうか。そして、宋にしても、日本と同じく理不尽な現実は存在しています。筑紫で宋の話を聞いていた彼は、多少はその現実も見知っているのでしょう。彼女の欲するものがないとの想像はできるのです。

 このように「あの宋人と宋に渡ってみたとて、忘れえぬ人からは逃げられまい」との宣孝の言葉は、これまでの長きにわたってまひろを観察してきたことと人生経験によって、よくよく考えた上で仕掛けているのです。ですから、図星を指されたまひろは、目を逸らし「何を仰せなのかわかりませぬ」と狼狽を隠すように答えますが、まひろが誤魔化すときのいつものパターンですから、知り尽くしている宣孝は「とぼけても顔に出ておる」とバッサリです。


 ムキになったまひろは「何が顔に出ておりますか!」とオーバーアクションで返してしまいます。ほら見ろという顔をすると「忘れえぬ人と言われて、途端に心が揺らいだ」と、実はかまをかけたのだということを明かします。宣孝の手に引っかかり、言葉がつまるまひろに「そうであろう?」と追撃をかけます。このとき、道長との逢瀬で流れるBGMが流れ、まひろが内心、道長を思い出してしまっていることが仄めかされています。狼狽えたまひろは「いい加減なことを…」と返すのが精一杯です。


 そんなまひろを面白がるように「都人は心を顔には出さぬが、お前はいつも出ておる」とからかいます。それは、あからさまな挑発的な茶化しでしかないのですが、既に宣孝の術中にあるまひろは「それは…私が愚かだということでございますね」と分かりやすく怒ってしまいます。そんなまひろに「愚かなところが笑えてよい…わしの心も和む」としみじみと語ります。その言葉には、からかいはなく本心の情が滲みます。いつもの冗談と意外な本気の緩急でまひろの心を揺さぶります。


 どんどん理解不能になり困惑するまひろは「宣孝さまはわかっておられませぬ。私は誰かを安心させたり、和ませたりする者ではありませぬ」と、なおもムキになって答えるのですが、狼狽から極端な反応ばかりしてしまう彼女に対し、宣孝はここぞとばかりに「自分が思っている自分だけが、自分ではないぞ」といなし、諭します。暗に、俺だけがお前の知らないお前を知っていると興味深い一言を投げかけます。


 まひろが他人に明かしてはこなかった本心をズバリと言い当て、動揺する彼女の心を十二分に揺さぶり、いかに自分が理解者であるかを伝えた上で、「ありのままのお前を丸ごと引き受ける。それができるのはわしだけだ。さすれば、お前も楽になろう」との決め台詞を真摯に伝えます。「ありのままのお前を丸ごと引き受ける」という言葉自体も重要ですが、「お前も楽になろう」の言葉が効いていますね。

 宣孝は「忘れえぬ人」がいるため、実は自分勝手に自分の人生はこうなるしかないと思い極めているまひろの自覚していない辛さと苦しさを察しているのです。それをほどけるのは、彼女を他の人物よりも長く見て、よく知る自分だけであると言うのです。勿論、前回も触れたとおり、年をとっていても、経済的にも出世的にもこれからまだまだ見込めるという自信と余裕が言わせている台詞でもあります(笑)


 そもそもが、まひろを楽にしてやれる婚姻という自信がありますから、まひろの「忘れえぬ人がいてもよろしいなのですか」という皮肉っぽい揶揄に対しても「よい」とあっさり。この返事に初めて、まひろの顔が真顔になり、BGMも止みます。彼女が、狼狽も揶揄もなく、ただ真摯に宣孝の思いを聞く気になったことを示唆しています。そして、宣孝もまた真剣な顔で、「忘れえぬ人」について、「それもお前だ。それもお前の一部だ。丸ごと引き受けるとは、そういうことだ」と明言します。


 恋愛において、どうしても気になってしまうのが、相手の過去の相手です。相手の過去にまったく興味がない、気にしないと言う人は、今という瞬間にしか興味がないか、相手に対する関心度が低いということでしょう。ですから、気になってしまうこと自体は、自然なことです。

 しかし、若いときは、それを気にしすぎて致命的な問題になることも多々あるように思われます。例えば、気になるけど聞けない、恐いから聞かない、嫌われないために聞かないといったスタンスを取ると、相手のちょっとした言動について必要以上に過敏になります。相手の言葉の節々に過去の誰かと比較する匂いを感じて、嫉妬する。あるいは、自分に自信がないゆえに、過去の人と相手が復縁するのではないかと怯える人もいるかもしれませんね。

 では、聞けば済むのかと言えば、今度は自分が過去の相手を比較し始め、自分を追い詰めてしまうこともあります。あるいは、あまりにも純粋な思いであるがゆえに、相手にまで峻厳さを求め、過去の経験を汚らわしいと感じることもあるかもしれません。また、気にしすぎる余り、それを一々聞き出そうとする、ことあるごとに話題にするといった配慮のなさで破局することも珍しくなさそうです。


 しかし、人を好きになるときというのは、今のその人を好きになるということです。「今のその人」は過去のさまざまな体験で出来上がっています。そして、その人の好いところも悪いところも愛おしく思うもの。つまり、「ありのままのお前を丸ごと引き受ける」しか、人と心を許し合って付き合うことなんてできないのですね。

 ただ、年齢を重ね、それなりに経験を積み、自分のなかに眠る幻想を潰し、身の程を知り、寛容と諦観を得ないと、この心境にはたどり着けません。ですから、それなりの年齢の人間にしか、この殺し文句は遣えないのです。言えたとしても、実際の言動が伴いませんから。とはいえ、宣孝は年を取り過ぎていますから、拒否反応を示す方もいるでしょう。
 問題は父の友人で年の離れた彼の言葉が、まひろの心に深く刺さったという事実です。勿論、宣孝の指摘が妥当だったこともありますが、それだけではありません。その理由については、後ほど改めて話しましょう。


 ともあれ、宣孝は言うことだけ言うと「都で待っておる」と、まひろが色好い返事を寄越すことを確信して悠然と去っていきます。経験豊富な大人の余裕というやつですが、勿論、「忘れえぬ人」が、時の左大臣だとまでは想像していないでしょう。もっとも、いつも突拍子もないまひろですから知ったところで、驚き呆れながらも納得しそうですけどね(笑)


(2)周明の誤算

 宣孝の求婚自体もショックですが、そのために連ねられた言葉の数々が、今のまひろにはボディブローのようにじわじわと効いてくるようです。物憂い表情のまま座り込んでしまいます。「自分が思う自分だけが自分ではない」との言葉を、ここでは呟いていますが、もしかすると自分は自分自身をわかっていないかもしれない。このことは、聡明であることにどこか自負があるまひろには、かえって衝撃だったのかもしれませんね。
 まあ、自分ほど自分のことはわかっていないものです。自分のことは客観視できないからです。だから、日記など文章で自分の思いを出力したとき、初めて、自分の考えなど自分のことを知るのです。ですから、この問題も「書く」という行為へと、後々つながってくるのかもしれません。


 この物憂いを断ち切ってくれたのは、周明の訪問です。宋語の勉強の楽しさだけが、宣孝の求婚で受けた衝撃を忘れさせてくれそうだからです。しかし、久々に会った周明は、どことなく寂しげです。「どうしたの?」と問われた周明は「俺は今、宋人でもなければ日本人でもない」と言います。
 まひろは、すぐに彼が日本人であることが、宋人たちに広まったことだと察します。周明は「宋人は他国の者を信用しない」と愚痴りますが、これは前回、朱仁聡以外は彼を信用できないと言ったことを見ても嘘ではないでしょう。しかし、まひろは「周明は日本人であることを隠していたのではなく、宋人として生きていこうとしていたのでしょ?」と、それならば堂々としていればよいじゃないと返します。


 この言葉に周明が一瞬、虚を突かれたようになるのが興味深いですね。前回の終盤、周明はまひろを籠絡し、左大臣に手紙を書かせると企みを朱に進言しています。したがって、今日、久しぶりにここを訪れた瞬間から、周明の言動はすべて謀の一部として計算されたものとなるはずです。にもかかわらず、「宋人として生きていこうとしていた」という自分の本心をまひろが言い当てたことに、驚いてしまったのです。

 彼は孤独です、宋人になろうとする自分の気持ちを人様に打ち明けたことはまずないでしょう。そんな自分一人が抱えていた思いを言い当て、自分の心にすっと入っこられるまひろの言葉は、初めて味わう心地よさがあったのでしょう。ですから謀に専念しなければならない彼ですが、この瞬間だけそのことを忘れてしまったのではないでしょうか。続く「わかってくれるのはまひろだけだ」の言葉は、彼女を籠絡するため、恋を演出するためのものですが、そこにはわずかに感謝の本音が混じっていると思われます。


 「朝廷が交易を許せば、皆の心も穏やかになる」と周りが自分を信用しないのも、交易問題が解決しないからだとやや強引に話を続けますが、まひろは特に気にするではなく「朝廷はたやすく考えを変えないと思うけど。でも何故、宋との正式な交易を嫌がるのかしら。私はもっと宋のことを知りたいのに」と世間話的に応じます。まひろの「知りたい」を受けて、周明は「宋の国を見たいか」と問います。単なる好奇心でまひろは「ええ、見たい」と答えますが、そんなまひろを憂いを持った目で見る周明は「望みを果たし、帰るときが来たら一緒に宋へ行こう」と提案します。

 しかし、あまりに唐突な申し出に訝る表情になるまひろ。彼女は本気で宋に行けると思っていないことは、前回の宣孝とのやり取りでも明言されています。見てみたいけれど、現実的ではないことをよくわかっています。ですから、周明が何故、そんなことを言い出したのか、よくわかりませんし、また、現実味のない話としてしか聞けないのです。


 一方、そんなまひろの戸惑いに気づかない周明は「そのためにはもっともっと宋の言葉を学ばねば…」とだけ話します。周明自身は、まひろを籠絡する作戦が順調に進んでいると思っていたことでしょう。それは、周明自身が既にまひろに惹かれていて、そうあってほしいと願っているゆえに冷静さを欠いた結果です。まひろの表情を見れば、戸惑いしかないのですから。そもそも、この策は周明が少しでもまひろに本気であったのなら、冷静さを欠く以上成功率は低いのです。

 それでも周明が、この策にすがったのは、宋人として生きる自分の居場所を確保するにはこれしかないと信じたからです。そして、どうやら、その居場所には、まひろを連れていくということが含まれていたようです。おそらく、初めて胸襟を開き、自分の過去をも語れたまひろは、彼にとって初めての救いだっだのかもしれません。そうなると、前回、周明は策が成功した見返りに、宰相の侍医に推薦してくれというやや過ぎた願いを提示していたことにも得心がいきますね。まひろを連れていくことが前提であるのならば、この申し出は当然でしょう。彼女と宋で安定した生活をするには、固い仕事が絶対必要だからです。


 さて、宋語を学ぶある日のことです。相変わらず、まひろと周明は仲良く勉強をしています。まひろは、宋語で話す練習として「私は子どもの頃、よく嘘をつきました」「ありもしない物語を作って話しました」と幼き日の恥ずかしい思い出について語っています。この思い出は、第1回のことです。つまり、この思い出には、三郎と初めて会い、そのときから三郎を幼心に好きであったことが含まれた甘酸っぱいものです。勿論、そんなことを周明は知りませんが、少なくとも幼き日の話をするほどには、まひろが周明に心を開いているとは言えます。と、同時にこういうときでも、道長との思い出話をしてしまうまひろの心には相変わらず道長が住んでいることが窺えます。つまり、周明に対しては友人以上の感情を抱いていないのです。


 しかし、周明は笑い合い、突き合う関係であることから自信を深めたのか「早くまひろと宋に行きたい」と彼としては殺し文句を言います。そして、きょとんとする彼女に構わずいきなり抱きしめると「このままではいつまで経っても宋には行けぬ…左大臣に手紙を書いてくれ」と真の目的を切り出します。
 まひろと周明が完全に恋に落ちているのであれば、成功しないでもありませんが、これはさすがに性急すぎます。もっと深い関係になり、確信を得るまで待てないのかとも思いますが、宋人たちからまだかまだかと急かされているのでしょう。しかし、そもそも、彼は自分が舞い上がってしまっているのか、急かされた焦りなのか、まひろ自身の反応をきちんと見ていません。


 明らかに疑いの表情を浮かべているまひろの顔が見えていないのか、目的に目が曇る周明は、なお「二人で宋に行くためだ」とうそぶき、接吻を迫ります。しかし、まひろはそれを封じて「貴方は嘘をついている、私を好いてなぞいない」と断言します。冷静に彼の言動を見極めた彼女の言葉は的確です。内心は友人と思いかけていた男に裏切られたショックがあるでしょうが、それをおくびにも出さないのは、彼の策略が道長に絡んでいるからでしょう。
 元より賢い彼女ですが、道長に影響があるとすれば、ますます冷静になれてしまうのが、まひろという女性です。だから、その恋を諦めてしまったのですが、今回はそれが功を奏した形です。


 図星を指された周明は、慌てて抱きしめ返すと「好いている」と言います。しかし、まひろは「抱き締められるとわかる」と突っぱねます。まひろがこう明言できてしまうのは、10年前のあの日、激情に駆られ、道長と熱い抱擁を交わし、真剣に互いを求めあった経験が今なお、彼女の心と身体の両方に深く刻まれているからです。
 真剣に恋をした男がどう女を抱きしめるのか、抱きすくめるのか、そのとき、自分はどんなふうに返すのか、彼女の身体は詳細に覚えています。そして、おそらく求めあったそのとき、道長の身体を通じて、彼の慈しみ、優しさ、激情、哀しみ、彼が思っているさまざまな感情が、彼女の心身を突き抜けたと思われます。快さと寂しさを感じるその体験は、まひろをして「嬉しくて哀しい」と言わしめました(第10回)。
 若かりし頃のこと、数が多くなかろうと、一生ものの恋愛をしているまひろは、その点において凡百の恋人らを上回る深い経験をしていると言えるでしょう…書いている私の方がちょっと恥ずかしいですが(笑←


 まひろに突き放された周明は、誤魔化すように目を逸らしますが、まひろは努めて冷静に「貴方は違うことを考えている。私を利用するために…そうでしょ?」と、私を裏切ったのよねと淡々と確認します。今度こそ、企みを隠しようがなく、また彼女の信頼が完全に失われ、謀が失敗した彼は、言葉がありません。ただただ、追い詰められてしまいました。

 しかし、先に述べたように、周明は、まひろに惹かれています。それでも周明が、ぎこちなく嘘くさい抱き方しかできなかったのは、策略のためにまひろに近づいている、まひろの心を利用しようとしているという後ろめたさがあったことが大きいでしょう。つまり、愛情と策略の狭間にいる彼は、その葛藤からどちらについても中途半端な行動しかできなかったのだと思われます。勿論、恋愛経験値の低さも少なからずも影響しているでしょう。


 そう考えると、まひろを籠絡するという謀の完全な失敗という状況の他に、まひろから「貴方は嘘をついている、私を好いてなぞいない」と言下に、自分の秘かな恋心を否定されたことも、彼の心を追い詰めたのだろうと察せられます。まひろは宋人のなかで生きる自分の葛藤と必死さは真には理解してくれない…二人の間の埋まらない溝を自覚し、完全に追い詰めらたとき、周明は自棄を起こします。

 近くにあった壺を割り、その欠片を首に突き付けるとまひろの部屋まで連れていき「書け、左大臣に文を書け」と実力行使に出ます。まひろの心は永遠に失われました。せめて、任務だけは果たそうと「左大臣が決意すれば、公の交易が叶うのだ、書け」と脅迫します。
 しかし、そもそも、まひろが周明の謀を看破できたのは、道長が「忘れえぬ人」だからです。「書きません」と言うのみです。「斬る」とまで言われ、顔面蒼白になりながらも「書きません、書いたとて左大臣さまは私の文ごときでお考えを変える方ではありません」との言うのが、良いですね。自分との約束を守ろうと政に邁進する道長を信頼しているからこその言葉です。


 「書け」「書きません」の押し問答の末、周明は遂に「書かねば、お前を殺して、俺も死ぬ」とまで言い放ちます。失恋と任務失敗を同時体験した彼が自棄を起こして、彼女を脅していることは明白です。まひろを死なせたなら、宰相の侍医になっても空しいだけです。彼の言葉は自棄とはいえ、半ば本気でしょう。
 だからこそなのか、周明の言葉に虚ろな目を返したまひろは、突きつけられた破片にも怯まず「死という言葉をみだりに遣わないで」と一喝します。止まった周明に「私は母を目の前で殺されるのを見た。友も虫けらのように殺された。周明だって、海に捨てられて、命の瀬戸際を生き抜いたのでしょ。気安く死ぬなどと言わないで!」と、一度は友と思った周明に思いの丈をぶつけます。

 その言葉に周明は、言葉がありません。命が軽んじられる世界で生きてきたまひろは、彼の命がけの半生を理解してくれていたからです。やはり、彼女は自分をわかってくれていた…にもかかわらず、そんな彼女に自分は破片を突きつけ脅迫しているのです。もう取り返しがつきません。

 すると、周明は突然、「言っておくが、宋はお前が夢に描いているような国ではない」と切り出し、まひろを戸惑わせます。構わず、周明は「宋は日本を見下している。日本人など歯牙にもかけておらぬ。民に等しく機会を与える国などこの世のどこにもないのだ。つまらぬ夢など持つな」と一気に語り、その捨て台詞でまひろの夢を打ち砕くと去っていきます。

 一見、つくづく見苦しい対応したかのように見えます。しかし、今や周明が好いた女性にできることは、日本と宋の交易問題の駆け引き、陰謀から彼女を遠ざけることしかなかったのではないでしょうか。彼女の好奇心は初めて会ったときから無防備で危なっかしいものでした。自分でなくても、いつか誰かが彼女を利用するかもしれません。それならばいっそ、彼女の夢や希望を壊してでも遠ざける以外にない。そう思ったのであろうと思われます。


 結局、彼はその後、二度と国府には現れません。為時の治療のために朱仁聡とやってきたのは、周明の師という男でした。思わず、まひろは彼について尋ねますが、朱は「生まれ故郷を見たいと出ていきました」と答え、二度と会うことはないことをほのめかします。
 しかし、それは周明に頼まれて、朱がついた嘘でした。松原客館にて、まひろについた嘘を周明に告げた朱は、「本当にそれで良かったのか」と尋ねます。周明は「入り込めませんでした。あの女の心に」と悔恨と申し訳なさを微妙に顔に浮かべます。そんな周明を、朱は穏やかな顔で見つめると「お前の心の中からは消え去るとよいな」とだけ告げます。

 朱仁聡は、最初からわかっていたのですね。朱は、周明が提案した謀の裏にある彼の覚悟とまひろを連れて宋に住むという願いが見えたからこそ、彼を信用して任せ、さらにその法外な見返りにも頷いたのでしょう。ですから、この失敗で彼の受けた傷の深さもよくわかっています。それゆえ、朱は周明の失敗を咎めず、まひろと二度と会えなくするという彼の細やかな願いを叶え、その傷心を気遣うのでしょう。かなり懐の深い人物を、浩歌(矢野浩二)さんが好演してくれましたね。彼は長年、中華圏を中心に日本人役を含めて幅広く活躍、硬軟、善悪どれをもこなすいぶし銀の名優ですが、その本領が遺憾なく発揮されています。この懐の深さゆえ、交渉相手としては手ごわいのですけど(笑)

 さて、朱の気遣いに「はい」と答えた周明の目線には、カモメ一匹が空を舞い、彼の寂しい本心が表れています。あの日、海岸でまひろとつがいのカモメを見たときに抱いた夢は、仕方がなかったとはいえ自分自身の浅はかさで霧散してしまいました。せめて、二度と会わず、彼女の記憶から忘れるべき仕方のない人間として消えることだけが、彼のできる誠意だったのでしょう。
 しかし、初めて胸襟を開き、自分の半生を理解してくれたまひろのことを胸に彼は、また一人生きていくことになるのでしょう。それこそ、周明には、まひろが「忘れえぬ人」となっていくのかもしれません。彼の将来にカモメのつがいがまた現れることを祈りたいところです。


(3)自身の無知を悟るまひろ

 周明からの脅迫を突っぱねたその夜、まひろは、友になれるかもしれないと思った男の裏切り、宋に対する憧れを踏みにじられたこと、その哀しみから、宋語について学び書き留めた紙の束を丸めて焼いてしまおうとします。
しかし、宋語を学んだ自らの努力の証であり周明との思い出でもあるそれを、まひろはどうしても焼くことができません。
 あのような決裂を迎えたとはいえ、その楽しい学びの日々は、まひろの語学力を格段に上達させました。それは、為時が巡察から帰ったのち、朱仁聡の言葉を耳で聞いただけで解し、宋語で応じるなど通詞の代わりが務まるほどです。これは周明のおかげです。彼への感謝も変わりません。

 そう考えると、あの行為にも打算以外の思いがあったとまひろには思えてくるのでしょう。真摯に丁寧に宋語を教えてくれたあの姿には、たしかに真心があったから、そのことです。その思いが、まひろに紙の束を焼くことを躊躇させるのです。現に彼女はこれほど危ない目に合いながら、このことを自分の胸のうちに伏せています。

 そこへ「姫様が夕餉を召し上がらないと下女が申しておりました。お加減でも悪いのですか」と、彼女を心配する乙丸が、外から声をかけてきます。物思いの中にあったまひろは返事が遅れ、乙丸は余計なことをしたと去ろうとします。
 慌てて御簾を出て、乙丸を呼び止めると、まひろは唐突に「乙丸、お前はなぜ、妻を持たないの?」と聞きます。おそらく短期間に二人の男から求婚されたことで、今まで考えようとしてこなかった婚姻が無意識のうちに頭をもたげてきたのでしょう。身近な独身である乙丸ゆえに思わず聞いたと思われます。

 姫さまからのプライベートに関する唐突な問いに「え、えええっ!?」と素頓狂な声を上げてしまう乙丸に「そのような大きな声を出さなくても…」とかえって驚いてしまいます。乙丸史上、もっとも大きな声だったかもしれません。ただ唐突な質問ゆえに狼狽えたものの、そこはまひろが幼き頃からの忠臣、乙丸「妻を持とうにも、この身一つしかありませんので」と生真面目に答えます。つまり、自分の身体は一つしかないが、妻を持つには二つの身体が要ると言うのです。

 続けて、乙丸が静かに語った「あのとき、私はなにもできませんでしたので…」という悔いるような言葉にまひろは「あのとき?」と聞き返します。
乙丸は「北の方が亡くなったとき、私はなにもできませんでした」とわかるように言い直すと「せめて姫様だけはお守りしようと誓いました。それだけで日々精一杯でございます」と笑います。
 破天荒、奔放、常識にとらわれないまひろは、何をしでかすか、想像がつきません。いつもヒヤヒヤし、ついていくのがやっと…ということも多々あったでしょう。たしかに…いや、まひろ一人だけでも身体一つでは足りない気がしますね(苦笑)

 乙丸が、母ちやはの最期に心を痛め、自分を守ると決意してくれたことに目を丸くしたまひろは思わぬことに「そう、乙丸はそんなことを考えていたのね」としか声をかけられません。乙丸にとって、ちやはが「忘れえぬ人」であり、その後の人生を決定づけたのでしょう。思い返せば、乙丸の忠臣ぶりに匹敵するのは、清少納言ぐらいではないでしょうか。三郎(道長)を置いて女としけこむ百舌彦は比べるべくもありません(笑)
 思い立った先へすぐに飛んでいってしまうまひろを必死で追いかけ(おかげで乙丸は足がめちゃくちゃ速い)、まひろが理不尽な暴力に合えば、相手が悪党でも検非違使でもその細腕で抵抗します。また姫さまを案ずるからこそ、権力者の息子である道長にもこれ以上苦しめるなときっぱり言い返しました。暴漢にKOされたり、から回ったり、まひろに置いてかれたりと報われないことも多くありましたが、彼なりに影に日向に全力でまひろを守ってきたのです。

 それをどこまでまひろが知っているかはわかりませんが、それでも、今までの彼のしてくれたさまざまを思い出し、そこに母への詫び、まひろを守ろうとする保護者的な深情があったことを思い知ったのではないでしょうか。
 「余計なことを申しました」と恐縮する乙丸に、まひろは「こんなにずっと近くにいるのにわからないことばかり」と深いため息をつきます。やれ漢籍だ、やれ宋語だ、やれ古今集だと好奇心を広げてきたまひろですが、灯台もと暗し。身近な人の思いも気づかず、迷惑をかけてばかり。一体、何のための学びなのか。これでは「民を救いたい」という思いも薄っべらいものになりかねません。

 「私はまだ何もわかってないのやも」という自虐が交じりの言葉は、これまでつくづく自分は何をしてきたのかという無力感、中身の伴わない学問の空しさ、身近な人に思いを馳せられない気遣いと想像力の無さなど、自分に成長がない、一歩も進めていないまま、時間だけが過ぎたことへの慚愧の念が窺えます。10代の頃であれば、やり直そうと奮起するかもしれません。しかし、アラサーを迎える今は、自分の凡才と過ぎた時間の残酷さばかりが思いやられるでしょう。平均寿命が長い今とは30歳の意味は大きく違うでしょうから。

 乙丸は「周明さまと何かおありになったのですか?」と返します。乙丸は、まひろと道長の関係もずっと見守ってきた人ですから、まひろのわずかな物憂げでも敏感に察知するのですね。ただ、まひろは、その問いには「ううん」と否定した上で「あの人も精一杯なのだわ」とだけ答えます。
 ところで、ここで言う「あの人」は誰なのでしょうか。可能性は二つありますね。一つは、この前の場面では周明について考えていましたから、「周明があのような脅迫をしたのは生きるのに精一杯だったから」と推察したということです。これは比較的、素直な読み方で、この場合の「ううん」は、周明とトラブルはなかったという彼を庇う意味になります。

 もう一つは「あの人」と言えば、やはり道長ということです。今回、宣孝から「お前の知るお前だけがお前ではないぞ」との言葉を受けて、なお半月を見ながら思うのは、「道長さまに、私はどう見えていたんだろう」と道長のことでした。また、先に見たように周明の嘘を見抜き、その脅迫を拒絶できた裏には道長への思いが息づいています。まひろは、越前に来ても、徹頭徹尾、道長を「忘れえぬ人」として思い続けていたのですね。

 ただ、そんな道長に対して一つだけ不審に思い、失望したのが、越前との公的な交易を開こうとしないことです。しかし、今回、さまざまなことで自身の未熟を痛感したまひろは、彼がまひろとの約束を守ろうとしていることを信じなければと改めて思ったのではないでしょうか。越前に対しての処遇は、彼が今できることをやっている結果なのだと。
 それが、「あの人も精一杯なのだわ」であるのならば、道長の真意は遠く越前のまひろに通じたことになりますね。因みに、この場合の「ううん」は、周明の話ではないという意味になります。

 このように周明との顛末、乙丸のことを知ろうともせずにいたことを知ったこと、道長への想い…それらが相まって、自分のやってきたことの無意味さ、無力感にまひろはうちひしがれ、意気揚々とやってきた越前でのすべてすらも何だか空しいものとなってしまいました。そうしたまひろが抱える空しさに拍車をかける文が届きます。それは、肥前にいる親友さわの死を知らせるものでした。
 届けられた文には、さわが生前、残した一首が添えられていました。

 行きめぐり 誰も都に かへる山 いつはたと聞く 程のはるけさ
  意訳:遠くに行っても、誰もが都に、鹿蒜山(かえるやま)のように帰る  
    そうですが、五幡(いつはた)のようにいつになるかと聞きたくな
    るほど、はるか先のことのようです)

聞いた為時(巡察から既に帰還)は、「お前にまた会いたいと思いながら亡くなったのだなあ」とさわとまひろと二人の心情を慮り、しみじみとその死を悼みます。為時にとって、さわはまひろの数少ない友人というだけでなく、彼が最期を看取った妾妻なつめが前夫との間に生まれた子です。形式的には義父でもあります。ですから、それなりに思うところがあったでしょう。

 形式的には義姉妹、実際は姉妹同然の親友だったさわのあっけない死に、まひろの目からは涙が一筋流れます。
 健康的で人懐っこく朗らかな人柄のさわは、仲が拗れたこともありましたがまひろとは深い絆で結ばれていました。ただ、その人柄とは裏腹に、家庭内では先妻の子という立場で居場所がなく辛い思いもしていました。そんな彼女も肥前にて婿を取り、幸せになったかと思われたその矢先の死…その無常には言葉がありませんね。

 生前、彼女は疫病に罹患しない自分について「私は何があっても病にならない頑丈な身体なのです」と豪語していただけに、そのあっけなさにまひろは信じられない思いでしょう。そして、肥前に旅立つ直前、肥前は遠すぎますと泣く彼女にまひろはまた会えると言って笑顔で送り出しましたが、今となっては空しいでしょう。
 涙一筋流したまひろは「この歌を大切にします」と惜しい抱くまひろ。後に彼女は「いづかたの雲路と聞かば尋ねましつら離れたる雁が行方を(意訳:どちらの雲路を進んでいるかと聞けたなら訪ねたい。親しい人々から離れ、飛び立ってしまった雁のようなあの友の行方を)」との和歌で、その死を深く哀しみます。

 自分の年齢に近く、若く元気一杯だったさわが、幸せを手に入れた矢先にあっという間に亡くなったことは、いかに人生が思った以上に儚いものであるかをまひろに突き付けます。いつ終わるかわからない儚い人生、一体今まで自分は何が遺せたというのか。あるいは、何か見つけただろうか、それを振り返ってみるとき、多くの人は驚くほど自分が何も成しえていないことに気づき、焦るものです。それは、若いまひろも同じでしょう。しかも、怒涛のように出来事が襲った今回、彼女は好奇心のまま突き進んできたこれまでの半生の無意味さ、無力感から、これからどう生きていくべきなのか、悩んでしまっています。


 がむしゃらに自分が生きてきた意味を探し、越前に来てからは今度こそ新しい道を見つけると息巻いてきました。しかし、すべては徒労に終わったように、感じられています。もう少し時間が経てば、また変わってくると思われますが、現状は八方塞がり、打つ手なしの気分でしょう。そうなったとき…彼女の前に急にもたげてきたのが、宣孝からの求婚です。
 さわの死を知り、「ますます生きているのも空しい気分」になったまひろは、父の背中にポツリと「都に戻って宣孝さまの妻になろうかと思います」と言います。訝しむ父は「空しい心持ちはようわかる。それで何故、宣孝どのの妻になるのだ?」と完全に意味不明だぞといった具合で聞き返します。

 そして、「先日、宣孝さまが妻になれと仰せになりました」との言葉に驚きすぎた為時は振り返りざまにぎっくり腰を再発してしまいます(苦笑)まあ、これは娘が自分と同年代の男を結婚相手として連れてきたときの父親の衝撃をビジュアル的に表した演出なのでしょうね。改めて、聞いた後でも、為時は、宣孝のまひとへの求婚を「何を錯乱したのであろうか」と宣うほどですから。それにしても、こんなにも為時を肉体的にも精神的にも振り回す宣孝は、親友だけれど悪友ですよね(笑)


 以前より、まひろの適齢期に婿を迎えてやれなかったことが心残りだった為時は、彼女自身がその気になったのであれば、国守になった今ならば良縁があるかもと思うため、婿取り自体は賛成です。ただ、相手として宣孝を選ぶことに一抹の不安があるのは、年齢のことではなく、女癖の悪さ、プレイボーイだからです。老いてなおお盛んというのが、為時の評です。若いとき、妾を嫌がっていたまひろです。彼の女性関係に苦しむことになりそうなことが気掛かりなのです。

 そうした為時の不安に対する、まひろの諸々の返答は興味深いですね。そもそも、宣孝の妻になることについては、「もう宣孝さまラブなんですぅ~♡」というような舞い上がったものではなく、「(為時が)不承知なら止めておきます」と返してしまう程度の諦観にも似た極めて低いテンションです(苦笑)絶対したいというものでもないのです。道長のときは、あんなに嫌がっていた妾でも構わないから、結ばれたいと願った彼女の情熱はないのです。

 また、女癖に対しても「されど、私ももうよい年ですし」と、贅沢は言えない年齢、こんな行き遅れに声をかける人間なんていないと暗に言っています。昔から自己評価の低い彼女ですが、それにしても諦めすぎですよね。この言葉に「まあ、それはそうであるが」などと応じてしまう為時もどうなんだと思わなくはありません。


 とにかく、ここからわかるのは、まひろが婚姻というものに過大な期待を抱いていないということです。憧れて宣孝の妻になるのではありません。先にも述べたように、今、まひろは、好奇心のまま突き進んできたこれまでの半生の無意味さ、無力感から、これからどう生きていくべきなのか、悩んでしまっています。平たく言えば、人生に疲れてしまったというのが、今の彼女の状態です。言葉どおり「ますます生きているのも空しい気分」になり、癒しがほしくなった。だから、彼女は宣孝の妻にでもなってみるか、と思っているのです。


 まひろは、力任せに父の腰を揉みながら「宣孝さまは仰せになったのです。ありのままのお前を丸ごと引き受ける。それができるのはわしだけだ、さすればお前も楽になろうと」と宣孝の言葉を反芻すると、少し涙目になって「そのお言葉が少しばかり胸に染みました」と言っています。
 気を張って、肩ひじを張り、足を踏ん張り、負けてなるものかとがむしゃらになっていたのが、まひろの半生です。その背景には、自分が母を殺したという後ろめたさがあるのです。罪深い自分は、頑張って生きていかなければいけないのです。こうしたまひろの動機を知っているのは、おそらくそれを知っているのは道長だけです。

 さて、こういう自分で考え、自分で選び、一生懸命になるまひろの生き方を面白がる人、心配する人、見守る人、応援してくれる人はいましたが、誰一人、肩の力を抜いてよいのだと言ってくれた人はいませんでした。というよりも、まひろの周りにいた男性陣には、それが言える余裕のある人がほぼいなかったと言ってよいでしょう。呑気もので勉強嫌いの弟は頼りなく、敬愛する父も官職がなく甲斐性がない、直秀も危うい空気を持っていました。

 そして大恋愛をした頃の道長は、まひろを受け入れてくれる人でしたが、お互いが若く、力がなく、未熟すぎました。あの当時の精神年齢は、年下のまひろのほうが上だったと思われます。気持ちがあってもどうにもできませんでした。勿論、今の道長は甲斐性も何もかもあるでしょうが、彼女との約束のため奮闘する彼に迷惑はかけられません。そして、新たにあった周明もまた生きることに必死な青年でした。


 勿論、若い頃のまひろ自身も自立心が強く、道長以外に自分を受け止めてほしいと思ったことはありませんでしたから、特に力を抜くことも、その必要性も考えたことすらなかったでしょう。ですから、過日、為時に「ありのままのお前を丸ごと引き受ける。(中略)さすれば、お前も楽になろう」と言われたとき、はじめて、そういう生き方もあるのか、と新鮮に思ったのではないでしょうか。
 そして、そのとき、初めて彼女は、自分が息苦しく人生を生きていたことに気づいたのではないでしょうか。息苦しい人生が当たり前と思っているときは、逆にそのことには気づけませんから。


 「楽になれる」生き方という視点を得たとき、今なお、道長を想いながらも、彼女は「思えば、道長さまとは、向かい合いすぎて、求め合いすぎて、苦しゅうございました。愛おしすぎると嫉妬もしてしまいます」と真剣過ぎるがゆえに成就せず、そのことがまた辛くあったのだと初めて客観視しました。そう言えば、妾を嫌がったのも、そののち嫡妻に嫉妬する自分を想像し耐えられなかったですが、実際、倫子がまひろの窮状を見かねて手を差し伸べたとき、道長と倫子の仲睦まじさを見たくなくて土御門殿の仕事を断っていました。
 こうしたことを見ても、万が一、結ばれたとしても、二人は傷だらけになりながら生きたかもしれませんね。それもまた純愛であり、理想的、本望と思える方もいるでしょうが。

 まあ、とはいえ、「されど、宣孝さまだと、おそらくそれ(嫉妬)はなく楽に暮らせるかと」というのは、とちょっと安易すぎますね。一度夫婦関係を結んだら、どこで焼け木杭には火が付くかわからないものですから(笑)


 ところで、彼女の半生であった、何もかに全力なこの生き方はいつか息切れを起こします。それは、自分の意思とは関係なく唐突に訪れます。まひろにとっては、予想外の出来事に揺さぶられた今がそのときになってしまいました。
 奇しくも、宣孝から求婚を受け、その口説き文句に新たな知見を得たそのタイミングで、それは起きたのですね。ですから、八方塞がり、打つ手なし、ガス欠の今の自分に必要なものは宣孝かもしれないと素直に思えたのではないでしょうか

 このように書くと、まひろが宣孝の純情を利用した随分、打算的でひどい女にも見えるかもしれません。しかし、既に多くの妻を持ち、それを相手にしている宣孝の側も、彼自身のまひろへの情はかなり強い一方で、俺に惚れろというような俺様なものはなく、もっと気楽なものとして提示しています。心の中の好いた男を含めて「ありのまま受け入れる」とは、まひろに対して多くを期待していないということでもあるのです。
 ただ、共に過ごして楽しく過ごせたら、面白いのではないか、そういう軽いノリがどこかにあるのです。まひろ曰く「愉快でお気楽なところが宣孝さまのよい所」(第23回)ということです。つまり、この婚姻に関する両者のスタンスは一致しているのですね。
 そして、宣孝のこのいい加減さは、既にまひろの結婚観にも少なからず影響を与えているようです。まひろはつい「誰かの妻になることを大真面目に考えないほうが良いのかと、この頃思うのです」と漏らし、為時に聞きとがめられていますからね。


 なんだか大恋愛を期待している人には面白くないことかもしれません。しかし、現実において、相手に対して峻厳な条件、理想を追っているうちは相手が見つからないものですし、また、結婚は「こうあるべし」と考え、貯金、親族との関係性、年齢差、諸々の価値観の一致…などと全てをクリアした後でなければ、とやっているとおそらく永遠に結婚できない、そんなものではないでしょうか。

 私自身は結婚していないので実感として語ることはできませんが、ある知人(結婚歴40年以上)は、結婚とは勢いと見切り発車だとし、だから若い頃のがしやすいと言っています。また、友人(結婚歴20年以上)は定職についていないのが心配だったが、あるとき二人なら今と変わらないかもとふと思って結婚してしまったと言っています(結婚から数年後に就職)。また、ある友人(結婚歴25年以上)は、自身の結婚について、丁度、風が吹いたので乗ってみただけだと言っていました。むー、わからん(独身の独り言←

 そう、結局は物事のタイミングが合うか合わないか、そして、勢いがあるかないかによってカップルが結ばれるか否かは決まるのかもしれません。今回のまひろと宣孝の婚姻もさまざまなタイミングがたまたま合った結果ですが、道長とまひろが当人たちの熱い想いと裏腹に結局、婚姻に至らなかったのは、会うたびにお互いの気持ちが半周ズレてしまっているなど間が悪かったからです。逆に道長と倫子は、道長が失恋を断ち切ろうとしたタイミングと倫子の道長への思いが最高潮になったタイミングが合って、結ばれましたね。
 蓋し、人間関係とは不可思議なものですね。



2.政権の内側から翻弄される道長

(1)女院の怯えに始まる大赦

 「道長さまに、私はどう見えていたんだろう」とまひろが見ていた半月を眺める道長…おそらくは遠い越前の彼女を「心が求めて」(第23回)いるのでしょう。しかし、その雲がかかりし半月は、道長の政の暗雲を仄めかしてもいます。

 半月を眺める最中、倫子が呼び掛けた「殿、女院さまが殿をお呼びでございます」との言葉が、その始まりです。病に臥せり「道長…道長…」とすがる詮子の様子は以前の仮病とは質を異にします。そして、怯えるように「今、そこに伊周が立って、恐ろしい形相で私を見ていたの…」と告げます。道長がわずかに倫子の顔を見、倫子が首を振るのは、伊周の生き霊など見ていないことと詮子が仮病ではないことの確認でしょう。


 病は気から…自分のしでかした謀に対する後ろめたさによる幻覚と思われます。前回のnote記事で触れたように、謀略家の女院の姿は愛の深さの反転であり、根っから陰謀に生きた父、兼家とは違います。その兼家ですら、かつて自らの謀の罪深さゆえに「呪われておる。俺は、院(円融)にも、帝(花山)にも、死んだ女房にも呪われておる」と悪夢に怯え、寧子に泣きすがるという場面がありました(第7回)。まして、根は優しい詮子では苦しむのは当然です。この点については、後の一条帝の和解において掘り下げましょう。

 少し話はそれますが、演出的に興味深いのは、今回、伊周は、名前が出るものの本人が出ないことです。加えて、今回は隆家が自己PRのため「兄は恨みを溜める」と言っています。伊周の見苦しい退場、詮子の怯え、隆家の伊周評が、世を恨む伊周像にリアリティーを作っています。今後の伊周の再登場とこのイメージが何かつながって来るかもしれませんね。


 さて、ともかく伊周の生き霊が、病で気弱になった詮子の妄想の産物であるならば、その気持ちを鎮めるのが第一です。「姉上、晴明に邪気払いさせますゆえご安心ください」と懸念しないよう声がけをするものの「伊周に殺される…苦しい…息が…」と恐慌に陥るばかりです。
 直ちに呼ばれた晴明は、「玉女 青龍 白虎 朱雀 玄武 勾陳 騰蛇 六合…」と十二神将による祭文を読み上げ、祓いの儀式を行います。晴明は、かつて兼家に「政を成すは人。安倍晴明の仕事は政を成す人の命運をも操ります」と嘯きました(第7回)が、思えばこの言葉は、為政者は人に恨まれる宿命にあり、それは同時に、心の平穏のために自分のような陰陽道の力を借りねばならなくなるということも意味していたかもしれませんね。
 正攻法、王道の政ですら人の恨みや妬みを買うことを、道長は前回までに嫌と言うほど見せつけられています。この先、権謀術策に頼るようになったとき、どうなるのか…祈祷を受けながら苦しむ詮子の姿は、将来の道長の姿であるのかもしれないのです。


 とはいえ、御簾の隙間から祓いを覗き見る道長の表情が冴えないのは、そんな先のことよりも、女院の病臥を一条帝に報告しなければならないことがあるからでしょう。義務だけでなく、詮子もそれを望むからです。そして、それを聞けば、一条帝が千載一遇とばかりに、すぐにでも女院快癒を祈願して恩赦を命じます。
 当然、伊周・隆家の二人の例外ではありませんから俎上に上がってきますが、厄介なのは、帝がこれを持ち出す背景に定子への愛情があることです。これを機に定子の処遇について再燃させる恐れがあります。それでなくても、伊周らへの恩赦に対する公卿らの本音は否定的なはずです。彼らの反応次第では陣定(じんのさだめ)も紛糾するでしょう。公卿らの頂点に立つ左大臣としては、その落としどことも含めて、今から悩ましいところだからです。

 勿論、長徳の変で中関白家が被った悲劇を直視してきた道長の本音は、一条帝の思いのままにしてやりたいところなのですが、左大臣としては帝の御心以上に帝の権威と朝廷のシステムを守らねばなりません。誰とも分かち合えない苦悩が、道長にはあるのです。


(2)陣定における読み切れない公卿らの思惑

 道長の予想どおり、早々に公卿らを御前に召集した帝は「女院さまの病をお治しするべく大赦の詔をくだす、常の恩赦では赦免しない者もことごとく赦免する」と、伊周と隆家の赦免を大前提にした決定を命じます。強気の姿勢を示した一方で「伊周、隆家を都に召還すべきかどうかは皆の考えを聞きたい」と一応、譲歩の形を見せるあたりは、公卿らの反論を意識した帝のバランス感覚がまだそれなりに生きているということでしょう。
 瞬間、押し黙っているものの、腹の中では何を考えているかわからない胡乱な公卿たち一同が、様々な角度で映されることで、伊周らの処遇に対する帝と公卿らの間にある微妙な空気、緊迫感が窺えますね。すかさず「ただちに陣定を開き…」と応じる道長の弁は定番ではあるのですが、どことなく帝と公卿の間に入るクッションになろうとするところがありますね。


 陣定では慣例どおり下の者から忌憚のないところを述べていきますが、まずは劇中の彼らの意見を言葉のまま一覧にしてみましょう。

 俊賢「罪を許すべきことは明らかであるが、召還については勅諚によるべ 
    きである」

 斉信「両人の罪は許すべきだが、召還については明法家に勘申させるべき 
    だ」

 公任「罪を許すべきであるが、なお本所に留めるべきである」

 実資「罪を許すべきことは明らかであるが、召還については先例を調べる
    べきである」

 道綱「同じです」

 公季「罪は許すべきであるが、召還については先例を訪ねるべきである」

 右大臣顕光「両人の罪は許すべきだが、召還については勘申させるべきで   
   ある」

実は、陣定で出た意見そのものは、「小右記」の記載に準じて書かれており、史実に近いものになっています。ただし、その発言者は、史実どおりであったり、別の者に差し替えられたり微妙に違っています。これは、本作の公卿らの思惑は、史実とは少しずれていることによるものでしょう。
 そこで、その点を考えながら、各意見について考えてみましょう。前提として、伊周・隆家の恩赦という帝の意向については、女院の快癒という大義名分に異議を挟めるはずもなく公卿一同、特別反対は起きませんでした(というか言えないでしょう)。ですから、問題は都への召喚についてのみです。


 まず、俊賢の意見は、この件は陣定で扱うべきではなく、帝の意向に従うべきであるというものです。おそらく察しのよい俊賢は、この大赦の命について、女院と道長もこれに同意見であると読み、彼らへの忠節を見せたのでしょう。そもそも、この大赦は、詮子の病が同居する道長より報告されたことに始まりますから、俊賢がそのように考えるのも当然です。また、伊周らの政敵である女院自らが、彼らの恩赦を願ったのであれば、反論をする必要もなく、彼らの意向に任せるのが、政治的な生き残り方として妥当です。


 次に、斉信ですが、そももそ、第20回note記事で触れたように長徳の変は斉信の讒言が着火点です。つまり、伊周らを追い落とした張本人なのですが、それでも強く反対はしないというのが興味深いですね。蔵人頭として道長、中関白家を上手く立ち回ったつもりの彼は、恨みを買うとはまったく考えていないのでしょう。ですから、法律の専門家である明法博士の法解釈、その根拠となる先例に従えばよいというのです。

 これ自体は、無難な意見です。前回の宋人による通詞殺害容疑でも、結局、彼の「越前守に任せる」という意見が採用されましたし、斉信は、頭の回転の速い人材なのでしょう。ただ、前回は越前守、今回は明法家というようにうまく責任転嫁しているだけにも見えますから、政治センスはあっても、彼自身の志や信念によるものかどうかは、疑問が残りますね。


 その一方、公卿らの中でただ一人「なお本所に留めるべき」と召喚に反対意見を述べた公任は気概があるように見えますね。彼は、検非違使別当として都へ出戻ってきた伊周を捕縛、移送しています。その際、道長に代わって伊周にそれなりの温情もかけています。それだけに十二分に配慮した上で配流した以上は、意見を覆すべきではないというのです。

 重罪人に対して出した処断を早々に翻すことは、かえって朝廷の権威を穢すことになると考えたのではないでしょうか。公任は、自身の役目を理解し、政に対する信念をもって公正にものを考えていると言えるでしょう。既に道長に対して協力する旨を語っていた公任ですが、彼は元々、卑しい野心家ではないのでしょうね。


 卑しくなく、政に一家言があるというのは実資も同じです。彼は、法解釈のためにも、先例を重視するべきとの意見を述べます。それは斉信のような責任転嫁的なものではなく、朝廷の権威を権威足らしめているのは、先人たちが作り、守り抜いてきた知恵の集積である先例、慣習であると信じているからです。ですから、信念をもって「召還については先例を調べるべきである」と述べているのです。

 これに「同じ意見です」と追随したのが道綱です。相変わらず、ぽやや~んとしていた彼は、意見を振られて慌てた挙句、その場を取り繕うために実資に同意した形です。しかし、これにより、召喚は法解釈か先例などの根拠があればよいという意見が主流になります。以降、公季が先例、右大臣顕光は明法家の勘申というわけで、根拠が明示されれば召喚に賛同という形で落ち着くことになります。つまり、道綱、自覚なく陣定の流れを決めてしまっています(笑)勿論、当人は狙っていません。


 顕光の「勘申すべし」には苦渋の色があるように見え、本意でなかった可能性を窺わせます。というのも、公季は義子を、顕光は元子を一条帝に入内させています。出家したとはいえ中宮の親族が戻ってくることは、元子が寵愛を受けていない現状では喜べないのが人情でしょう。とはいえ、陣定の意見がまとまりつつある場で。敢えて反論し帝の不興を買うことは入内した元子に影響しかねません。それゆえに場の空気に合わせるしかなかったのではないでしょうか。


(3)帝の身勝手な不信感

 陣定での意見が出尽くしたところで道長は、それを帝に奏上し、後は彼の決裁を仰ぐだけになりました。特に大きな混乱なくまとまりそうであったことに道長はほっとしたかもしれません。

 公卿らの意見を聞いた帝は、道長に「そなたの意見はないのか」とわざわざ聞きます。実は「小右記」でも、この陣定では道長は意見を言わなかったとされています。史実では、帝と女院と道長の間で既に合意がなされていたため、言わなかったとされますが、本作ではそういうわけではなく、自分の意見を控えることで公卿らの意見を広く受け入れようとしたのでしょう。

 しかし、ここは帝直々の問いですから道長は、「お上の御心と同じにございます」と正直に答えます。長徳の変が招いた悲劇を非力な自身の政の負の結果として見届け、心を痛めてきた道長にとってその言葉に嘘はありません。帝はその言葉に、御簾越しからでもわかるほど不満げな表情を浮かべながらも「大宰権師藤原伊周、出雲権守藤原隆家の罪を許し、ただちに召還せよ」と正式に命じます。本作では言及されませんが、先の大赦で伊周のような大罪の貴族を呼び戻した先例があったので、この命は最終的にスムーズにいきます。


 正式な命をくだすと、沈鬱な顔に戻った一条帝は「朕が愚かであった。冷静さを欠き、伊周、隆家、そして中宮を追い詰めてしまったこと、今は悔いておる」と懇々と後悔を口にします。しかし、これは出家した定子へ想いを募らせるがゆえの言葉ですから、すべてを真に受けてはいけません。

 実際、花山院闘乱事件が起きたとき、即刻、伊周らを当面の謹慎させたものの、処断は除目の後、それまでは情報収集するよう判断をくだし、一定の冷静さを抱いています。彼が激高したのは、呪詛の件が明らかになったときですが、それは伊周が捜査に非協力的で、呪詛が間違いないとの報告を受けたことが組み合わさってのことです。

 ただ、そこで厳罰に処すよう命じたものの、彼は伊周らの罪一等を減じる温情措置をしています。それを悲観して自暴自棄になったのは伊周の問題ですし、その伊周の見苦しさが定子を絶望させ、落飾を決意させます。つまり、中関白家の結果は、帝だけの責任ではありません。


 とはいえ、心情は追いつくものではありません。道長ができることは、帝の苦しい心中を察し、独り言ちる帝の言葉を静かに聞くのみです。その苦悩は帝の地位にいる者だけが抱くもの、臣下からかけられる言葉はありません。ところが、そうした道長の気遣いが、帝には腹立たしいものにしか映らないのか「あの時、そなたに止めてほしかった!」と責めます。この責める言葉は、道長への期待の裏返しです。
 思えば、初めて帝が公卿の筆頭として謁見した折、道長の「意見を述べる者の顔を見、声を聞き、共に考えとうございます。彼らの思い、彼らの思惑を見抜くことができねば、お上の補佐役は務まりませぬ」との決意に、一条帝は心躍らせました(第19回)。彼こそは我が意を汲む大臣となるはずだったのです。

 しかし、現実はそうはなっていません。朝廷を維持する帝という立場としての彼の決断は尊重されても、一個の人間としての彼の気持ちは必ずしも優先されることはありません。それどころか、今は定子への思いに苦言を呈されるばかりです。期待が大きかったからこそ、「お上の御心と同じ」と今更、言うくらいなら何故止めなかったと怒りが湧いてくるのですね。


 ただ、若い帝は思い違いをしていますね。まず、道長の決意は、一条帝が理知的で志が高く聡明であると見込んだからこそです。帝が権力を私にせず、公に尽くすからこそ、臣下たる道長もその意を汲んで、政の補佐できます。二人の関係は双方向的なもので、互いが互いの役割を果たすことで信頼関係となるのです。今、定子の想いに心狂わす一条帝の言動は、ギリギリのバランスは保っているものの一貫性を維持できなくなりつつあります。自然と道長の補佐も苦渋に満ちた諫言にならざるを得ないのです。一条帝は、帝としての自身を見失い、自信も失っています。

 また、「あの時、そなたに止めてほしかった!」と帝は言いますが、道長は本当に止めなかったのでしょうか。まず、呪詛の話を実資から聞き、激高して「女院と右大臣を呪詛するは朕を呪詛すると同じ。身内とて罪は罪。厳罰に処せ」と断じたとき、「お待ちください」と浅慮を諫めようとした道長を遮り、「実資、速やかに執り行え」と問答無用の勅命をくだし、定子をも内裏から実家の二条北宮へ下がらせたのは帝自身です。帝としての純粋さが、道長の諫言を拒絶したのですね。

 また、そんな帝の苛烈な処断で、取り返しのつかないことにならないよう、道長は、定子を内裏に秘かにとおし、二人に通う愛情で帝の心を和らげました(伊周の懇願もあったからですが)。結果、その罰は軽減されました。こうした帝と定子の想いを察した道長の心遣いは、定子によって帝に伝えられています。


 こうした事実を考えると、帝が道長を責めるのはいささか理不尽というもの。自分では処理しきれない後悔と罪悪感、思うようにならない帝という立場への苦悩と葛藤、それらを道長にぶつけることで捌け口にしているのでしょう。若者らしい甘えと言えます。

 当然、最大限、彼の思いに寄り添いながら判断をしてきたつもりの道長は、瞬時に顔をこわばらせます。やがて、ため息をつくように苦々しい表情を浮かべる、今更それを言う帝の甘え、帝の繊細な思いを汲めなかった自身の不甲斐なさ、その二つへの憤りがあるからでしょう。


 しかし、御簾越しで道長を見る帝には、頭を下げる道長の苦悩はわかりません。帝は、さらに「後に聞けば、伊周がそのほうと母上を呪詛したというのは噂に過ぎず、矢も院に射かけたものではなく、車に当たっただけだと言うではないか」と、この一件の調べに不備があったことを告げ、道長の責任を追及します。「そのほうは知っておったのか?」と、怒りを込めて道長を問い質すのは、この件で結果的に権力を確実にした、つまり一番得をしたのが道長だからでしょう。

 帝の道長への不信感は、近頃、諫められてばかりの距離感だけでなく、野心のために動く奸臣なのではないかという疑念を持っているからということになるでしょう。定子について、ことごとく諫め、自身の思いを汲まぬことも、中関白家を排斥する野心を持っているからではないか。自身の不満を勝手に紐づけているのです。

 裏にあるのは、愛する定子のことばかりです。長徳の変が、愛する定子を追い詰める謀であれば、許しがたい、と強く思い、道長が加担していなくても、何かを知って黙っていたのなら同罪だぐらいには考えているのでしょう。帝にとって「忘れえぬ人」…定子への強い情念が、帝の目を曇らせ、自身の味方である道長を奸臣と見始めているのです。


 道長は、帝からの理不尽な詰問に、即座に反論すべきです。しかし、応じるどころか、言葉につまってしまいます。その理由は二つあります。

 まず、呪詛の件です。どうやら、実資が確かな証言として集めてきた証拠が、不確かなものであったようです。倫子が内々に封じ込めた土御門殿の呪詛騒ぎは、詮子の仕業ですが、この外部のものの黒幕はわかっていません。しかし、病に伏した詮子の尋常ならざる怯え方からすると、彼女が外でも手を打っていた可能性は高いかもしれません。とはいえ、もしそうだとしても、黒幕が母の女院であると帝に告げることはできないでしょう。母子の仲を裂くことは、詮子も帝も望まぬことですし、帝と女院の不和は政に悪影響を及ぼすことは必至。心情的にも、政治的にも道長は、この件については知らぬ存ぜぬを貫く以外にないのです。


 そして、もう一つは、花山院闘乱事件について帝が指摘した「(矢は)車に当たっただけだ」との言葉です。この事実に、道長は寝耳に水といったように驚いてしまったのです。視聴者は、件の事件を見ていますから、隆家が最初から車を狙ったことを知っていますが、道長は「院が何者かに射かけられた」という斉信からの伝聞で知ったのが最初。事件の衝撃もさることながら、その場にいた斉信の言葉ゆえに、道長はそれを信じ、以降の判断はそこを基準に行っていたのです。しかし、帝の言葉は、そもそも事件の起点を間違えていたということになります。自身の致命的なミスを知らせれ、驚きのあまり言葉がないというのが道長の心境でしょう。このようにどちらの件についても、道長は答える材料を持ち合わせず、押し黙るしかないのです。


 ただ、道長の無言の反応は、帝にさらなる疑念を抱かせます。思わず、帝は再度、「知っておったのか!」ときつく問い質します。しかし、実際のところ、すべて道長の与り知らぬところですから、「そもそもは、院が何者かに射かけられたとのことでございました」と、その報告から始まり、それしか知らないと述べる以外にはありません。大体、花山院の件も呪詛の件も、調べは検非違使別当だった実資の担当で、その報告は、帝の「検非違使別当は詳しく調べがつけば逐一、朕に注進せよ」との命によって、道長ではなく帝へ直接、届けられていました。道長にできることはなかったでしょう。

 ですから、道長の返答に、帝は嘆息するのみです。道長への叱責は、自分の真意を汲んでくれず、朝廷の権威ばかりを口にする道長への不満、そして自身が抱える鬱屈の捌け口を求めてのことでしかない。理不尽な八つ当たりなのです。それゆえに、それ以上には追及はできず、沈んだ表情で「大赦のこと、速やかに行え」と述べるに留まります。


 しかし、この一幕は、若いがゆえに自分の激情をコントロールしかねる帝と、老獪とは言いかねる実直な道長との間にある埋めがたい溝を露呈したとも言えます。道長の政が、経験不足で不器用な為政者たちの危うい信頼関係によって成り立っている。このことは、一条帝の御代が、絶対的な権力者を持たぬがゆえに不安定であることを示しています。


(4)自身の不甲斐なさにも翻弄される道長

 そして、おそらく自身の未熟を実感しているのは、帝より叱責され、今更、自分の知らない事実を突きつけられ狼狽えてしまった道長です。彼は腕組みをしながら、起きた事態を思案します。そして、またも明子女王のもとへ渡ります。何か悩ましいことがあると明子女王の元に駆け込むのが定番になっていますね。こうした政治的な悩みは、倫子にこそ相談すべきなのですが…どうも道長は苦悩の癒しを明子に求める癖がついているように思われます。その依存は、「殿にもいつか明子なしには生きられぬと言わせて見せます」(第22回)という明子の思う壺ですが、それが吉と出るか凶と出るかは予断を許さないところです。まあ、「忘れえぬ人」まひろがいても、このあたりは上手くやっていると言えなくはないですが。


 話を戻しましょう。道長は、あの夜、斉信がたしかに「院が何者かに射かけられた」と言ったことを思い出し、自身が「俺は斉信にしてやられたのかもしれん」と御前でようやく勘づいたことを認めざるを得なくなっています。自身が斉信の報告を疑いもせず、真に受けた結果、花山院闘乱事件は政変と処理され、中関白家は瓦解、多くの悲劇を生み、そして彼自身は帝の不興を被っています…すべては自分の責任です。ですから、「はあ~」と太いため息をつくと、疲れ果てたように明子に膝枕に頭を乗せます。

 そして、扇をトントンと額にあてながら「院のお身体を狙うのと、御車を狙うのでは罪の重さがまったく違う」と独り言ち、取り返しの事態になってしまったことに渋い顔をせざるを得ません。それほどまで多くの人の運命を変えてしまう一件で、平然と伊周と隆家を罠にはめた斉信の冷徹さには「それなのにあいつは…」と呟くしかありません。自分では到底、しえないことだからです。


 それにしても、第20回note記事では、長徳の変の着火点を斉信として考察し、その斉信の動機として、道長が俊賢を先に公卿に推挙したことへの不満としました。つまり、人の思惑を察知できない道長が招いたことであると読み解いたのですが、まさか、劇中でこの答え合わせがこうしてなされるとは思っていませんでした。

 実は、この一件、斉信の口車は「院が何者かに射かけられた」だけではありません。そもそも、この言葉についても、後々、御車に当たっただけと言われても花山帝が命の危険を感じたことはその恐慌ぶりからあきらかで、「院が射かけられた」という誤認は虚言とまでは言われないでしょう。そのあたり微妙なラインを斉信は突いています。

 さらにあの夜、驚いた道長に斉信は「院の従者が乱闘で2人死んだ」と述べ、事態をより重く伝え、その上、「捕らえた者は二条邸(二条北宮)の武者であった」ととっておきの事実も加え、花山帝が狙われたという印象をより強めています。斉信は、起きた事実を、自分に都合よくなるように巧妙に遣っていることが窺えます。

 ただ「その二人が院のお命を狙ったのか?」と再度確認したときには、「だとしたら、伊周と隆家は終わりだな…」と斉信は、ほくそ笑み返し、敢えて曖昧にして疑念と煽りながら、その判断の責任から自分は巧妙に逃れています。ほくそ笑み、笑いが止まらぬ彼を道長は「嬉しそうに申すな!」と叱ったものの、道長は最悪の事態を考えて動くしかなく、まんまと斉信の術中に落ちたのです。斉信の策略と言ったところで、彼は二人が院を狙ったとまでは明言していないのですから、信じた道長の問題です。


 敢えて言うならば、斉信が笑ったとき、道長はその真意を疑うべきだったのです。第20回noteでも触れましたが、あの笑いは自身の出世を確信したからこその高笑いだったのですから。
 しかし、ここで斉信の策を見抜いたとしても、斉信は検非違使へこの一件を報告していたと思われる言動をしており、公になるしかありませんでしたし、調べが一方的に進んだのは、伊周たちが出頭して申し開きをしなかったことが大きく作用しています。道長がどう動こうと、斉信の目論見通りに事態が推移したと思われます。その意味では、道長には責任はないでしょう。

 一方で、第20回note記事で言及したように、斉信にそういう決意をさせたのは、縁故より能力を優先した道長の公正な人事の結果ですから、その点では、斉信の出世欲を読めなかった道長に責任があるのです。道長自身が出世欲がないため、人の機微に疎い…為政者としては、それ自体が罪なのです。


 そして、劇中の道長も「たしかに伊周の席が空いたことで斉信が公卿となった。人はそこまでして、上を目指すものなのか…」とようやく、人の求めるものが見えていなかった自身の問題点に気づいたようです。そんな、道長に「人を見抜くお力をお付けになって、素晴らしいことにございます」とただ褒めそやす明子の慰めは、ともすれば揶揄に聞こえなくもありませんが、あからさまな甘やかしと慰めといったところでしょう。明子の目的は「殿のお悩みも、お苦しみもすべて私が忘れさせて差し上げ」ることにあるのですから。

 「幼い頃からの馴染みなのに、俺はあいつのことをわかっていなかった…斉信が上手であった~」と嘆く道長が興味深いのは、斉信に騙された、利用しやがった、許せんとはならず、素直に自分のミスを認め、相手の力量や手口を評価するところでしょう。三郎時代から「怒ることが苦手」な道長の良さは、基本的に恨み、妬みへと感情が向かないところでしょう。もっとも、「忘れえぬ人」まひろが婚姻したと知ったときだけは、違うかもしれませんが(苦笑)


 そんな道長の素直さに思わず「ふ…」と笑ってしまった明子女王は、道長の手に自分の手を添えると、昔の恨みつらみを思い出すように「上に立つ者の周りは敵なのです」と、道長に確信めいた毒を吹き込み、忠告します。「父の高明は好い人過ぎてやられてしまいましたもの」と忍び笑いをしながら明子は続けますが、受けた苦難を思い出すポーカーフェイスなのか、そう言えるようになったほどに幸せなのか、そこまでは読めません。

 しかし、明子の吹き込んだ人間不信の毒にも、道長の生来からの健やかな心は侵されることがないようです。「斉信に限らず、誰をも味方にできる器がなければ、やってゆけんな…」と、あくまで自分の力不足を恥じ、自身がそれだけの人間になるだけの努力するのが先決だと思うのですね。このあたり彼はまだ初心を忘れていないのでしょう。この初心を支えているのは、まひろとの約束なのでしょう。

 どこまでもまっすぐな「殿らしいお考えだこと」と笑う明子。人の悪意、冷たさのなかを生きてきた彼女からすれば、道長の物言いは甘いという他ないはずです。しかし、その甘さと優しさに救われてもきた明子は、毒を吹き込んでも変わらない道長のその甘さが愛おしくてたまらないのでしょう。自分の膝枕に転がる道長の頬をつつきます。そのしぐさに思わず笑う道長…二人の夜は暮れていきます。

 さて、大赦の翌日には、出雲にいたはずの隆家が既に帰京したとの報告に公卿たちが「隆家が帰ってきたそうではないか」「出雲から空でも飛んできたのか」「普通なら二十日はかかろう」「不可解なり、不可解なり」とその噂で持ちきりです。大事をしでかして配流された隆家ですが、その帰京もひっそりとではなく、派手に噂になるところに隆家の何事も物怖じしない豪胆な性格が出ているのかもしれません。

 因みに、隆家が高速で帰京できたのは、病を理由に但馬に留まり、出雲に赴任しなかったからであることが一番の理由です。また、大赦が出る前に既に誰かが彼の元へ都の動向を知らせていて、帰京の準備も済ませていたのだと思われます。つまり、この帰京の速さには、少なからず彼の人望があるのかもしれません。

 その豪放磊落な人懐っこさは、帰京早々に左大臣道長のもとを訪れ、出雲の土産と称して干しシジミを献上しにきたことにも表れています。実際は出雲に赴任していないのに、いけしゃあしゃあと、いかにも「出雲にいましたよ」というアリバイ工作に干しシジミを献上、さらに「酒飲まれますよね?騙されたと思って、これを煎じるか、このまま食べてください、是非とも」と、左大臣の健康を願っていますというアピールもします。これよりは道長のもとで出世すべし、と考える割り切りも含めて、実に大胆な男です。

 帝からの指摘により、彼らに苦渋を与えたことを申し訳なく思う道長は「伊周ももう大宰府を立ったであろうか」と問いかけますが、隆家は「兄のことは知りません。私と兄は違います。兄は恨みを溜める。私は過ぎたことは忘れる。左大臣さまのお役に立てるのは私にございます」と返し、過去の遺恨も、中関白家という家のことも忘れ、一個人として道長に忠誠を誓うという自己PRに徹します。

 花山帝の一件でも過ぎたことに動じない泰然自若だった隆家ですから、過去にこだわらないという隆家の弁に嘘はないでしょう。寧ろ、今の状況を楽しむというのが、隆家の生き方なのだと思われます。兄、伊周についてバッサリですが、結局、兄の願いにつきあった結果、事態は最悪になったことを考えると、心底呆れている可能性もあります。


 ただ、道長としてはどこまで本気かわからない言葉に聞こえるでしょう。隆家の自己PRはさらりと流して、「あのとき、院の御車を射たのはお前か」と、事件の真相を聞くべく、敢えて切り出します。土産や、役に立つということよりも、あの一件とその処遇をどう思っているかということのほうが、隆家の真意を知るには一番だと思ったのかもしれません。
 隆家はあっけらかんと「矢を放ったのは私でございます。兄はビクビクしておりました。されど、とんでもない大事になってしまって…驚きましたよ、あのときは」と笑います。そこには、ただ事実を述べ、起きてしまったことは仕方がないのだという様子です。

 しかし、それでも出頭して証言すれば、事態は変わったかもしれません。だからこそ「院を狙ったのではない、御車を狙ったのだと何故、あのとき、申し開きをしなかったのだ」と肝心な部分についても問いかけます。すると、隆家、さらに破顔して「何を言っても、信じていただけそうにはありませんでしたからね~」と、どうにもならなかったと思うと応じます。
 ここには、あの事態では、帝が激怒していたこと、朝廷全体が既に罰すべしという空気であったことを、隆家がよく理解していたことが見受けられます。誰一人、貴族が助けに来なかったことを考えれば、自ずとわかることではありますが、伊周であれば、それを認める力はありません。
 また、彼は、中関白家がその隆盛を極めていたときから、自分たち一家が周りから恨みを買っていることに誰よりも自覚的で、かつ権力者はそんなものだと割り切ってもいました。ですから、朝廷に自分たちを罰すべしという雰囲気が醸成されたのは、中関白家の専横にあったことも、隆家は理解しているでしょう。

 道長は、隆家が肝が座っているだけではなく、正しく状況を見る力も持っていることも知り、思わず「ほ~う」と感心の声を漏らします。甥がそれなりの才覚を持つのであれば、罪滅ぼしを含めて、相応しい地位へ復権させてやりたいというのが道長の本音でしょう。晴明もまた隆家は道長の役に立つとの太鼓判を押してくれました。
 公卿らの意向を踏まえて、彼らの復位を図ることは容易ではありません。やはり「誰をも味方にできる器」を道長が持つようになるしかないのですが…道はまだまだ険しいと言えます。しかし、そんな物思いも吹き飛ばすことを、よりによって一条帝が起こすことになります。定子の問題です。


3.一条帝の御代の暗雲

(1)詮子の心境の変化

 母の見舞いに土御門殿へやってきた帝。既に床上げした詮子の「病の身をわざわざお見舞いあそばされるとはかたじけないかぎり。まこと嬉しゅう存じます」との言葉は、あくまで帝の気遣いに対する感謝といった節度が守られていますが、その険の取れた口調には息子に生きて見えた穏やかな喜びが滲んでいます。

 そもそも、この病の元は、謀をもって中関白家を没落へと陥れたことへの後ろめたさによるものです。政敵を強引に排斥したこと以上に彼女に堪えたのは、この政争によって息子の心が深く傷つき、長く苦しませてしまったことでしょう。前回、土御門殿での管弦の宴の折、帝の今も変わらぬ定子への深い情愛と失ったことへの苦悩を目の当たりにしたことは、特に大きかったのでしょう。


 嫡妻があっても、妾を何人を持つのが至極当然の平安期。何人もの女性が出仕する後宮などまさにその象徴です。ですから、詮子は、定子がいなくなったところで、次をあてがえば忘れるものと高を括っていたのです。そのことは嬉々として女御選びを道長に進めさせていたことからも窺えます。また血統にこだわるのも皇族の婚姻に愛情は二の次との思いがあるからでしょう。自身が聡明で優しい性格に育てた息子ですら、愛した女を忘れると信じていること。この裏には男性への強い不信感があると思われます。

 かつて詮子は、円融帝から遠ざけられた頃、「この世の中に心から幸せな女なんているのかしら。みーんな、男の心に翻弄されて泣いている」と断言しています(第2回)。彼女はそう思いながらも、「ただ一人の殿御」である「帝のお心をもう一度取り戻したい」「まだ諦めたくない」と行動を起こしましたが、それらはすべて裏目に出ました(第2回)。結局、兼家と円融帝との政治的な駆け引きの道具でしかなかったからです。


 詮子は入内に絡む自身の諸々の悲劇について、兼家とその嫡流を深く恨んでいますが、その恨みの裏にあるのは「男性中心の政」そのものへの侮蔑と怒りだと思われます。円融帝を慕ってしまった彼女が、男性全体への不信感にどこまで自覚的であったかはわかりません。しかし、かわいがっている道長が望まぬ婚姻を強要し、愛する息子の定子への愛情を軽んじたことからは「男の愛情など薄っぺらい」という侮りが窺えるのではないでしょうか。

また、男たちの政争から自身と息子を守るため、自ら政の世界へと踊り込んだその言動は、男性中心の政への抵抗と言えるでしょう。ただ、この行為は、自身が、この作品における典型的な男性政治家になり、男社会に取り込まれることでもありました。結果、詮子は、彼女が もっとも嫌った兼家の遣り方を踏襲し、彼と同じく子どもの純情を踏みにじったのです。
 ですから、詮子が、熱に浮かされたような我が子の定子への純情に衝撃を受け、自身の行いを後悔したことは、想像に難くありません。

 そうなると、前回、彼女が告白した「私は夫であった帝に愛でられたことがないゆえ、あんなに激しく求め合う二人の気持ちがまったくわからないの…」という自虐と羨望の入り交じった言葉には、深い後悔と慟哭が隠されていただろうということに気づかされます。円融帝が「忘れえぬ人」だったばかりに傷つき、政に邁進した詮子。その結果、親に苦しめられた自分が息子を苦しめてしまった。その因果応報が、詮子の心を苛み、恨み骨髄の伊周の幻覚を見せたのでしょう。


 こうした経緯を考えると「大赦のおかげでようなりました」との感謝の言葉は、文字通りの意味合いであると同時に、帝がこの大赦によって少しは心が安んじられたのではないかという彼への気遣いもあるでしょう。当然、詮子は、母であるゆえに、息子への後ろめたさゆえに、帝がただ見舞うためだけにここに来たのではないことも薄々、察していると思われます。帝のモチベーションは定子のみにありますから。それを読めていない道長と行成が、寧ろ迂闊でしょう。


 果たして、帝は「母上、ご存知かと思いますが、朕もようやく父になりました」と定子が産んだ皇女を話題にしています。話題の振り方は意図的なものですが、母の祝いの言葉に「この上ない悦びにございます。母上にもお伝えできて嬉しゅうございます」と破顔した表情は嘘や駆け引きではなく、素直な喜びにあふれています。
 その表情に、はっとした顔をした詮子は「お上のそのような晴れやかなお顔、初めて拝見いたしました」と応じます。それは、親となったからこその我が子の表情にさまざまな発見があったのだと想像されます。

 一つは単純に我が子の成長をそこに見たのでしょう。最早、自分が余計な手出しをすべきではないかもしれないという安堵もあったかもしれません。
 二つには、自身の育て方、愛し方への諦めと悔いでしょう。詮子は帝を守らんがため厳しく接し、甘えを許しませんでした。結果、聡明に育ったものの、喜び、楽しさは引き出せなかったのです。
 そして、三つめ、これはあくまで憶測に過ぎませんが、親となった我が子の表情に在りし日の円融帝の、一条帝が生まれたときに喜んだ表情が重なったのかもしれません。我が子に「忘れえぬ人」の顔を見たのかもしれません。もしそうであれば、多少は報われたと言えるでしょう。


 一条帝は母の言葉に照れくさそうにはにかみますが、すっと決意の表情に改めると「姫を内親王といたします」と本題を搦め手から切り出します。
 奈良期以降、皇族の子女が増えすぎ、財政を逼迫させました。そのため、生まれた皇子、皇女はそのまま皇籍を得ることはなく、帝より親王宣下を受けることで初めて皇位継承権を持つ皇族になれるシステムになっていたのです。親王・内親王になれなかった皇子、皇女は「源氏物語」の光源氏のごとく臣籍降下するか、あるいは生涯、皇位継承権を持たない王としてして過ごしました。
 因みに後小松帝の落胤とされる一休禅師の墓は宗純王廟と言われていますね。彼もまた親王宣下を受けなかった王というわけです。


 というわけで、一条帝が皇女を内親王とするというのは、親王宣下によって、出家した中宮の子を皇族に加え、帝が、ひいては朝廷が面倒を見る意思を示したことになります。出家した女御から生まれ宙ぶらりんの身分になりかねない我が子に救おうとしたということですね。そして、それを詮子に告げるのは、女院の内諾を得るという意味、つまり、これこそが帝の女院見舞いの目的であり、起死回生の手段だったのです。

 ようやく帝の真意に気づいた道長がぎょっとするのは、意表を突かれたこと、そして親王宣下となればそれは政の一部、この問題は頭の固い公卿らに諮ることになるからです。
 詮子も帝の意図は百も承知です。しかし、息子の晴れやかな顔にさまざまなものを見て満足し、母として至らなかったことを悔いる彼女は、反対するどころか「お上、今日お上のお幸せそうなお顔を拝し、長い間、この母がお上を追い詰めていたことがわかりました」と詫びを述べ、帝の意に従う旨を伝えます。

 詮子が定子を快く思っていないことは一条帝もよくわかっています。とはいえ、産まれた皇女は詮子にとっても血のつながった初孫でもある。どちらに転ぶかは、帝にとっても賭けだったでしょう、しかし、彼女は認めるだけでなく、これまで定子を悪し様に言ったことも含め、暗に謝罪と取れる返事を返してくれました。
 改めて母の自分への愛情を知った帝もまたはっとした表情となり、「申し訳ないことにございました」と頭を下げる女院を押し留めるように「此度、親となり、朕が生まれたときの母上のお気持ち、わかったような気がいたします。お詫びなどなさいませぬよう」と、自分こそ母の気持ちに気づけず申し訳なかったと詫びます。こうして、長らくどこかでギクシャクしていた帝と女院の母子の関係は雪解けへと向かいます。

 親子関係の修復はめでたいことですが、帝の親王宣下は呼び水に過ぎません。本丸は定子の立場です。至極当然のごとく「ついては中宮を内裏に呼び戻します」と宣います。皇女を内親王とするならば、その母の身分を回復しなければならない。この屁理屈が、彼の定子を内裏へ戻す口実なのでしょう。そして、「娘の顔も見ず、中宮にも会わず、このまま生き続けることはできません」と自身の後悔の深さを語ります。

 さすがに道長は「お待ちください!」と叫び、諫めかかりますが、帝はすかさず「わかっておる!公卿たちが黙ってはおらぬ。内裏に波風が立つと申すのであろう」と封じてしまいます。しかし、それだけではおさまらず「波風が立っても構わぬ!」と彼にしては珍しく鬼のごとき厳しい形相で言い放ち、公卿らとの対決も辞さぬ姿勢を見せます。


 思わぬ強行な態度に呆気に取られる道長からは、まさか帝が公卿らと対立してでも政より女性を取るとは考えていなかったことが窺えます。聡明で、政への理想が高く、バランスが取れた彼ならば、助言次第で正しい判断をする…道長はそう信じすぎたのかもしれません。
 しかし、帝は所詮17歳の若者。胸にたぎる恋心にこそ、自分の真実と思うでしょう。まして周囲が、立場が、環境が許さない禁断の恋。逢えなくなるほど切ない気持ちは高まります。20歳頃、まひろとの恋に溺れた道長も似たようなものでした。押し留めたのは、まひろの理性です。若者の純情はときに理屈を打ち捨てようとするものです。

 こうなると彼を止められるのは詮子しかいません。しかし、呆気に取られる道長に対して詮子は静かに息子の様子を見守ります。彼女にしてみれば、息子が見舞いに来た時点でこれを切り出してくることは分かりきったことだったのでしょう。
 「中宮を追い詰めたのは朕である。今、ここで手を差し伸べねば、生涯、悔やむことになろう」と、誰にも相談できず一人思い悩み続けた帝の言葉に返すことは誰もできません。治天の君の悩みは治天の君にしかわかりません。そして、母に決意の眼差しを向けると「これは私の最初で最後のわがままである」と力強く言いきります。
 息子の覚悟をその目からひしひしと感じた彼女は、道長の期待に反し「道長、お上のお望みを叶えて差し上げてよ」と微笑みます。万事休す、道長は唯々諾々と応じるより他ありません。


 詮子は、定子を、帝を惑わす妖女とみなし、兼家の遣り方をそのまま継ぐ中関白家を必要以上に敵視してきました。伊周が排され道長が内覧になった件も、道長の意思とは関係なく詮子の独断で進められました。また、長徳の変のときも、道長の預かり知らぬところで呪詛を行っていたのも詮子です。

 このように誰よりも彼らを目の敵にしていた詮子が、自身の思いどおりに追放の憂き目にした定子を内裏に呼び戻すことに賛同したのは、道長にとって想定外だったのではないでしょうか。帝の権威と朝廷のシステムを維持し、政を安定させるのが道長の役割です。国を思えば、定子問題をこれ以上、大きくすべきではありません。にもかかわらず、姉は政ではなく、息子の感情を選択した。道長からすれば、梯子外されたようなものです。

 それにしても、詮子は、何故、どうしてこうも容易く手のひらを返してしまったのでしょうか。そこにあるのは、愛する息子への後ろめたさだけではないように思います。一条帝は、ただ一人愛する「忘れえぬ人」定子のために、公卿ら全員を敵に回すことも厭わないと発言しました。全てを敵に回して、純愛を貫こうとする強い決意。それこそが、詮子が円融帝にしてほしかったことではないでしょうか。兼家の娘という立場も帝の立場も乗り越えて、ただ結ばれたかったのでしょう。

 ですから、自身が育て息子が、自分の叶えられなかった純愛をそのように貫こうというのであれば、助けてやるというのが彼女の本望だろうと思われます。前回、彼女が道長の好いた女の話に、心から顔をほころばせ、乙女心を覗かせたことと無関係ではありません。結局、彼女の言動の動機の底の底は、円融帝への忘れえぬ想いにあったのでしょう。その想いは、権謀術策へと変貌し、随分ねじ曲がりもしましたが、母の愛として一つの着地を迎えたのかもしれません。

 道長個人としては、帝の願いも、それを叶えたいと思う詮子の気持ちも、何とかしてやりたいでしょう。しかし、道長の政は、あくまで「民を救う」志の約束が動機です。彼らの思いだけに寄り添うことはできませんし、乙女心が政の動機である詮子ともまたどこかで齟齬していくことになるでしょう。


(3)道長の苦渋の選択が招く暗雲

  帝の抑えがたい恋情とそれを後押しする女院の命…母子の強い絆を伴う頑強な宣言を前に、道長は悩まされます。その場にた蔵人頭の行成に、どうすべきか問いかけるものの、心根が優しく穏やかな行成では「帝がお幸せなら宜しいのではないかと存じます」と、ひどく同情的で感傷的な答えしか返ってきません。道長とて、本心はそうしてやりたいところですが、公卿の頂点としては「皆の心が帝から離れてもか?」と政権の運営全体の観点から厳しく再度問います。ここで謂う「皆」とは、公卿のことです。

  はっとした行成は「実資さまは厳しいことを仰せになりそうですが…」と、ことあるごとに先例を持ち出す、しきたりのうるさ方の名を出します。道長は、「実資どのの言葉には力がある。皆が平然と帝を批判するようになれば…政はやりにくくなる」と苦ります。
   勿論、道長、平時は実直勤勉な実資を非常にあてにしています。道隆政権下での味方の少ない陣定の頃も、陰ながら励ましてくれ、また相手が誰であろうと怯まず、公明正大な観点から意見する姿は尊敬に値し、周りからも一目置かれるのはそのためです。道長自身、しつこく筋目を通そうとして道隆に「お前は実資か」と嫌みを言われたもので、公卿の良心、指標となるべき人物と言える。高く買うからこそ、右大臣着任、早々の除目でその地位を引き上げたのです。

  しかし、今回のように帝の私情を先例や慣習を破ってまで通そうとする無理難題においては、実資の美点はことごとく反転し、大きな障害になります。それどころか、この一件を大事と捉え、ことあるごとに公然と批判する。あるいは、他のもっと重要な案件で態度を硬化させることになれば、それは朝廷全体に伝播し、必要以上に政を停滞させかねません。正しき政こそ朝廷の役割であり、威信です。これを譲ることはできないのが、左大臣道長です。

  ですから「く…やはり出家した者を内裏に入れるのは…難しい…」と座り込み、頭を抱えます。困り果てた道長に、行成はふと思いついたように「ならば、職御曹司(しきのみぞうし)はいかがでございましょう?内裏ではありませんが職御曹司ならば帝もお会いになることも叶いましょう」と折衷案を提示します。職御曹司は、本来、皇后、皇太后に関わる事務方の庁舎で、内裏にはほど近いため、大臣らの政務室が置かれたり、后の出産に使われることもありました。

 本作では、道隆が、詮子を女院にして遠ざける際に職御曹司へと追いやるといった遣われ方をしました。今回、ナレーションで隣接するが、帝は移動の際に輿に乗らねばならないことを説明していましたが、言うなれば物理的な距離は近くても、行くには面倒で心理的な距離があるということでしょう。だから、あのとき、詮子は大義名分も通るあの場所へ遠ざけられたという話になっていたのです。

 そういう行きにくい場所だからこそ、行成は「それでしたら他の女御さまたちのお顔も立ちましょう」と、帝の覚えめでたくない女御らへの気遣いができて一石二鳥との説明をするのです。勿論、それは女御だけでなく、彼女らの後見人である公卿への配慮も含みますから、その点が陣定を行う道長としては助かるところ、道長は得心して「なるほど、ではそのように帝を説き参らせよ」と早速説得するよう命じます。
 「私が…でございますか?」と戸惑う行成に「行成が申せば、帝も素直にお聞きになるであろう」と道長。これは、近頃、諫めることの多い道長の言葉は帝には刺になりかねないこと、まあ前の理不尽な叱責からして帝は道長へ不審を抱いていることが原因です。絶対に帝に意を含めなければならない大事な場面、失敗はできません。繊細な帝の心に分け入られるのは、帝に同情的な行成が最適なのです。一旦は躊躇する行成ですが、最推しの道長に頼まれては断れません。

 
かくして行成はあっさり帝を説き伏せ、その日のうちに定子は職御曹司に入ることになります。とはいえ、出家した中宮に帝が会うことは、触穢を忌むこの時代においては前代未聞。帝の輿による移動も、人目を憚り、深夜に行われます。因みに描かれていませんが、引き上げも夜明け前にするなど一応、配慮して慎重になされていました。

 遂に再会を果たした帝と定子、定子の胸には修子(ながこ)内親王が抱かれています。早速に我が子を抱く帝が「愛しらしいのう、中宮によく似ておる」と言うと、合いの手を入れるよう「お上にも」と応える定子。帝の問いかけに、赤子の修子が笑いかけるというのが偶然なのかよく撮れましたね。
 ようやく叶った親子水入らずに、改めて「もう寂しい思いはさせぬ。健やかに育てよう」と決意を新たにする帝の真心に、定子は一筋の涙を流します。帝の喜びはひとしおだったようで脇に控える清少納言にすら「中宮が世話になった」と労いの言葉をかけます。
 「もったいなきお言葉にごさいます」と感極まる彼女は、ようやく頑張りが報われたことでしょう。

 が、しかし、この幸せの場面はあくまで、帝たち家族たちの視点の話です。道長と行成の苦肉の策であった定子の職御曹司への移動。何度も言いますが、それでも世を憚る行為な代わりはないのです。しかし、一年、「忘れえぬ人」と逢うこと叶わず、その内側に溜め込まれた激情は堰を切ったように溢ふれ、留まることを知りません。理性では抑えが効かなくなった帝は結局、ナレーション曰く「政務なおざりで連日定子のもとへ通い続け」る異常事態へと発展することとなります。
 帝と定子が結ばれる様が、美しい影絵のごとく描かれますが、これは世を憚る禁断の関係を暗示しているのかもしれません。


 こうなっては、内裏内では一条帝のスキャンダルで持ちきりです。後宮では「どの面下げて戻って」「図々しい」「図々しい」と女房らの陰口は止まず、公卿らでも「遣り手でおいでだ」と面白がる道綱に対して案の定、実資が「前代未聞、空前絶後、世に例なし!」とドアップで怒りに震えていますが、これが内裏内の総意であるのは明白です。当然、これをリードした道長の責任も問われることになるでしょう。政治は結果ですから。

 一方で実際の政がおざなりであるのは、例の宋人との外交問題に表れてきます。
 越前では、朱仁聡が、「公の交易を認めない限り帰国しない、帰国しない場合は博多の津には宋の荷が着かない手筈になっている」という脅迫めいた強行策を、為時に迫っていました。周明の懐柔策が失敗した今、朱たちも使命のため、なりふり構ってはいられないのでしょう。
 由々しき事態は朝廷に伝えられ、道長は早速、この国難を帝に諮ります。すると帝は「朝廷がことごとく買ってやれば、彼らも諦めるであろう」と、財政を省みない大雑把な案を持ち出します。民草のため、減免政策、疫病対策を行った後の朝廷ですから「そのようなゆとりはない」と道長は答えるしかありません。

 すると、今度は「ならば、公の交易を始めたらよい」と安易に応えた後「太宰府では藤原が交易の旨味を一人占めしておるゆえ、越前を朝廷の商いの場とすればよい」と最大限の嫌味を、真面目くさった顔の道長にぶつけます。
 こうした八つ当たりに、定子を取り戻して以降の荒れた様子、そして一々、うるさい道長への不審がいよいよ高まってきているようです。彼はひたすら政務に勤しみ、帝の要望に答えてきましたが、定子の一件で帝側から一方的に溝を作られたようです。
 ともあれ、そんな揶揄にも宋との戦をただただ危惧する道長は「危のうございます」と述べ、越前に宋軍が来たら近い都は守りきれないことを伝え、万が一、交易を決めても「かの国は属国として扱う。断じて許してはならぬと存じます」とこの国の存亡の危機を説きます。
 ようやく帝は憑き物がとれたのか「左大臣の思うようにいたせ」と命じますが、「白粉と唐扇、それだけは差し出せよ」とその御心は、政ではなく既に職御曹司の定子へと映っていますね。


 こうして、若き名君だった一条帝は、定子との蜜月に溺れ、政を疎かにしていきます。
 ただ、これは抑えられていた熱情だけが原因ではないかもしれません。この約一年、帝は自ら下した長徳の変に関わる裁可を悔やみ続け、苦しんできました。自らの政が起こす負の側面を、最愛の人を追い詰め取り返しのつかないことにするという最悪の形で目の当たりにしたのです。
 それは日々、彼の心を苛んだことでしょう。心身のバランスの崩れは、道長への理不尽な叱責などにも表れていますが、今、彼が恐れるのは、定子を再度、手離すことです。彼にとって、政は恐ろしいもの、忌避したいものになっているのかもしれませんね。帝は自らの政に絶望し、現実逃避している…そんな面も窺えそうです。

 それにしても、傾国の美女によって名君だった皇帝が暗君へと堕落するのは、古くは夏の桀王、殷の紂王に始まる定番中の定番ですが、白楽天が多用される本作では、一条帝と定子の関係は「長恨歌」の玄宗と楊貴妃のイメージを準えているようにも思われます。最終的に玄宗は、楊貴妃を泣く泣く死なせる命を出しますが、一条帝と定子の場合も帝の寵愛が定子の死を早めることを暗示していますね。
 しかし、帝が政を疎かにした非を受け、苦悩するのは道長になることになるでしょう。割に合わないことが彼を待っています。


おわりに
 人間、誰しも「忘れえぬ人」がいるものかもしれません。そして、その人への思いが、時に力になることもあれば、それに固執して大きな失敗を生むこともあります。例えば、詮子は「忘れえぬ人」への思いが、自身を謀略家の女院へ変えてしまいました。一条帝は「忘れえぬ人」の思いが暴走し、今まさに暗君への道を進んでいます。かと思えば、乙丸のように「忘れえぬ人」にその娘だけは守ってみせると誓い、粛々とそれこなし生きている人もいます。それぞれが、「忘れえぬ人」を糧に生きています。

 まひろにとっての「忘れえぬ人」は道長です。彼への強い恋情は今なお強く、それによって危機を脱する強い意思と冷静さを持ち得ました。今なお、彼だけが唯一無二です。しかし、にもかかわらず、彼女は宣孝との求婚を受け入れます。
 「忘れぬ人」の思いは生きる糧であり、決して消えることのない純情です。しかし、現実はそれだけでは生きていけません。彼女は道長との約束どおり、自分が生きてきた意味を探す、新しい道を見つける…このことに一生懸命でした。都にいたときも、越前にいたときもさまざまなことに挑戦し続けました。何らかのきっかけらしきものをつかんだ、学び取ったとこもあるにはありますが、その試み自体はそのほとんどが挫折の連続でした。その無意味さと無力、無為に過ぎてしまった時間を振り返ったとき、まひろは自分の人生に疲れてしまったのです。

 そうしたときに、宣孝から癒しを提示され、彼女はそれを受け入れることにしたのですね。人はどこかで現実と折り合いをつけなければなりません。それは、ある意味、妥協であり、打算なのでしょう。しかし、そのことによって、別の何かが、人生に大切なものが開けることがままあるものです。加えて、宣孝はそのまひろの「忘れえぬ人」への初恋を抱いたまま受け入れてくれるのです。ですから、宣孝との婚姻は、いずれまた「忘れえぬ人」への初恋と化学反応を起こすか、あるいは螺旋をなす形でどこかで交わるでしょう。その意味では、前向きなものだと言えます。
     ただ、石山寺で寧子(道綱母)に言われた「嫡妻になりなさい」の助言は活かせませんでしたね。同じような道を歩むのです。


 一方、道長は、「忘れえぬ人」まひろとの約束のため、「民を救う」王道の政を目指して、邁進してきました。しかし、彼もまた多くの挫折の連続です。公明正大な、真っ当な政を行ってなお、その結果には反動が伴います。また、政は多くの者の思惑が複雑に絡み合い、その糸の絡まり方は要としてわからないまま、進むしかないのが現状です。
 ことに人の思惑は厄介です。理屈、理論、理性ではく、感情や利害関係が優先されます。ですから、どんなに人を思ってやったとしても、恨まれるときは恨まれ、理不尽な思いを重ねることになります。また利害においては、必ず誰かが得をし、誰かが損をします。全員が得をしない以上、これまた、そのバランスはとりづらいものです。同様のことは政治理念でも言えるでしょう。絶対がありませんから、あっちを立てれば、こっちが立たずの連続です。

 結局、道長は彼らの思惑に翻弄され、思うような政ができないばかりか、足を引っ張られています。それは、王道政治を続けているからです。公明正大ではありますが、手段は限られ、八方塞がりになりつつあるというのが現状です。特に帝が、女性に溺れ暗君と化すかもしれないスキャンダルは、大きな重圧となります。帝に寄れば、公卿らの協力が得られず、政が滞ります。一方、公卿らに寄れば、帝の不興を被り、道長自身の立場が危うくなります。道長は、「忘れえぬ人」との約束を守るため、王道政治という初心を曲げ、自身が手を汚すことをしていかざるを得ないかもしれない。そういう岐路に立たされているのではないでしょうか。
 例えば、描かれるかわかりませんが、公卿らの陣定に対しては何らかの強硬策が必要でしょう。また、帝の定子通いへの非難をかわすには、道長自身がそれ以上に非難されることをする悪役になるというのも一つの手です。もしかすると、あれほどやりたくなかったはずの彰子入内とは、そうした流れの中で出てくるのかもしれません。道長のほうは、暗雲が立ち込めています。


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