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【母の介護について】…少しずつ。⑦

いつ頃からかは、記憶が曖昧なのですが、リハビリを進めながら、母は、少しずつ外へも出るようになりました。

まずは、お稽古場。現在の財団ではなく、長年使用していた祖父母の家「石川橋」のお稽古場。

父のお稽古日や、姉の稽古日、またNOSSの集まりや認定の時などに、福祉タクシーを頼み何時間かの間、出掛けるようにしていました。

お稽古場には、よく知っているお弟子さん達や、事務所のメンバーもいるので、母はそれも楽しみにしていました。

現在の財団の建物との違いは、外から入る時の階段。

表玄関の方は、山﨑川ぞいから、かなりの階段を登るので、無理。

裏口からでも、5段ほどの外階段を降りなければならず、これは、テコの原理?で、車椅子を後ろ向きで降ろすのを、福祉タクシーの運転手さんが得意としていたので、お願いをしていました。

私が運転の場合は、この階段も難しいので、やはりお弟子さんなどに助けてもらい登り降りをしていました。

(いざ車椅子となると、少しの段差でも、一段降りる登る、乗り越えると言う事があり、注意が必要です。)

母は、元気な時は、父のお世話、父がお稽古の時は、家の事などをしていましたので、お稽古場で、ゆっくりお稽古を観ているなんてことはほとんどありませんでしたが、元々は、日本舞踊もしていたし、三味線も弾けましたから、要介護になってからは、じっくりと、皆のお稽古を観る事も楽しみになっていました。

ずっと車椅子に座りっぱなしだと、お尻も痛くなるので、
途中、介助をして一旦立ち、しばらくそのまま、、また座る。を繰り返していました。

家にいても、出かける時も、水分補給のための飲み物は、トロミのついた物。色々なトロミ飲料をあれこれ買い、好みのものを持ち歩きました。

なんでも食べられるわけではないので、栄養バランスが良く、カロリーも取れるタンパク質の多い飲み物も持っていました。

お稽古場では、父にお扇子を持たされて、片手ですが、開けてみたり、お弟子さん達の踊りに合わせて、振りをやってみたりもしていました。

どこに行くにしても、一番気にかかるのは、トイレ介助。
多目的トイレがある場所はまあ良しとしても、以前のお稽古場は、洋式の個室トイレがあり、そこは、中には車椅子では入れないので、外側に車椅子を置き、介助しながら、1.2歩は、本人に頑張って歩いて?もらう必要がありました。

その頃、私は、自分のマンションがあり、バリアフリーに整っていましたが、トイレのドアは引き戸で、母がもしもそこを使うとしたら、スペース的にも、反対側に引くドアでないと、介助しながらでも使えないんだと分かりました。

新しいマンションは、バリアフリーが普通になっていますが、必ずしもすべてにおいて使い勝手が良い訳ではないと知りました。

母の介護を経てからの、現在の財団の建築でしたので、父は、現財団の設計の段階から、バリアフリーにこだわっていました。

西川陽子

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