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京町家の魅力、それは人の気配が感じられること

夜になると理由もなく孤独感に襲われる。そんな時、心と体に効くのが銭湯だ。夕食後、手提げ袋にタオルと石鹸、シャンプーを入れ、サンダルをはいて出かける。いつも「ぼっち」の私は、銭湯で他のお客さんと会話することはほとんどない。それでも帰り道に、京町家の格子からほんのり明かりがもれているのを見ると、心がぽかぽかと温かくなる。
町家の玄関や窓には、様々な種類の格子が取り付けられている。糸屋格子、酒屋格子、米屋格子など、その家の商いを表す名前がついている。家の中からは外が見え、外からは家の中が見えにくいような造りになっている。
こういった格子は、防犯や採光、風通しを考えてつけられたと思うのだが、私にとっては、住んでいる人、あるいは町家で商売をしている人の気配が感じられるのが嬉しい。何といっても、夜道を怖いと感じなくてすむ。
もし、高い塀に囲まれた家や、オートロックのマンションばかりが並ぶまちに住んでいたら、夜独りで銭湯に行くのはあまり気が進まないだろう。日が沈んだら外出を避け、じっと家にこもる生活を選ぶだろう。町家が多く残り、空き家が少ない地域に住んでいて良かった。夜、格子からこぼれ出るあかりは、中に住んでいる人からの「おもてなし」だと、まことにありがたく受け止めている。
町家から「おもてなし」の心を感じることは他にもある。美しく花を咲かせた植木鉢を並べたお宅の前を通った時だ。パンジー、バラ、アジサイ、朝顔。住んでいる方が毎日水を与え、大切にお世話をされている様子が目に浮かぶ。季節の移り変わりを感じる、幸福なひと時である。
我が家の近くに、「いけばな教室」の看板を掲げた町家がある。ここは出窓があって、いつもお花や季節の飾り物が置かれている。祇園祭の頃にはヒオウギ、ゴールデンウイークの時には小さなかぶと。この小さな出窓に、どれほど心を慰められただろう。住んでいる方と言葉を交わしたことはないが、私は心の中で「先生」と呼び、勝手に親しみを感じている。
私が前職を辞めて1か月たった。定年退職後の心得を書いた本によく、「ご近所付き合いを大切に」と書いている。はい、わかっておりますとも。しかし、私は初めての人と打ち解けるのが、とっても苦手。銭湯や喫茶店で見知らぬ人に話しかけるなんて、到底できそうにない。一生懸命努力したとしても、すごく時間がかかるだろう。
とりあえず現在の目標は、「いけばな教室」の先生にご挨拶をすることだ。勇気を出して、「いつも出窓のお花を拝見しています。きれいなお花をありがとうございます」と言ってみたい。先生には一度もお会いしたことはなく、驚かれるかもしれないが、私の「ご近所デビュー」のきっかけになるのではないかとひそかに期待している。



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