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【奈良】小説家・志賀直哉が設計した、こだわりの住まいを訪ねて。

生涯20回以上も引越しを繰り返したという小説家・志賀直哉(1883~1971)が自ら設計した「志賀直哉旧居」が、奈良市高畑町にあります。志賀直哉は1929(昭和4)年から9年間、この家で家族と過ごし、食堂やサンルームで文化人との交流を楽しみ、長編小説「暗夜行路」を完成させました。周辺の自然と調和し、風と光を感じる、文豪こだわりの住まいを訪ねました。

近鉄奈良駅からバスに5分ほど乗り、「破石町」バス停で下車。さらに5分ほど歩くと、志賀直哉旧居の表門が見えてきます。この家は志賀直哉が奈良を去った後に売却され、昭和50年代に建替工事の話が持ち上がりましたが、保存運動により残され、現在は学校法人奈良学園セミナーハウスとして一般公開されています。
志賀直哉は、この家の建築を、京都の数寄屋大工棟梁の下島松之助に依頼しました。

志賀直哉旧居の表門

受付をすませ、2階に上がると客間と書斎がありました。客間からは若草山が見えます。
志賀直哉は暑い夏場以外は、2階の書斎で原稿を執筆し、54歳の時に「暗夜行路」を書きあげました。廊下が舟底天井になっているのは、数寄屋建築ならではの技法だそうです。

廊下が舟底天井になっている

1階には6畳の書斎があります。北側に面しているので、光が安定し、主に夏場に使用していました。

1階書斎の机は北を向いている

この書斎の隣に茶室があり、志賀直哉の妻と娘たちがお茶の稽古をしていたそうです。中央に炉が切ってあります。

志賀直哉の妻や娘が使ったという茶室

さて、この家で一番目をひいたのが、約20畳の広さがある食堂でした。白壁の天井に赤松の長押。扉と窓を開け、隣接する約15畳のサンルームとつなげて使うこともできます。食堂とサンルームは「高畑サロン」と呼ばれ、志賀直哉はここで様々な文化人と交流しました。

広々とした食堂
天窓があるサンルームには特注の瓦(塼)が敷かれている

ところで、志賀直哉は子煩悩な人であったように思います。子どもの寝室は、志賀直哉の居間の隣にあります。時々襖をあけて、寝顔を見るのを楽しみにしていたのでしょうか。子どもの勉強部屋は床がコルク敷きで、足音が響くのを避けるようにつくられています。妻の部屋もあり、愛妻家だったことがうかがえます。

子どもの寝室は志賀直哉の居間(奥の部屋)の隣にある

私は志賀直哉の作品をそれほど多く読んだわけではありませんが、「暗夜行路」はひたすら暗く、重く、読むのが辛かった記憶があります。どちらかといえば、「城の崎にて」や、犬、猫、ヤモリが出てくる随筆などの小品に強い魅力を感じていました。志賀直哉が自然や生き物を見つめる、その目線が好きだったのです。
周囲の山や緑と見事に調和した「旧居」を訪ねることで、志賀直哉の心に、少しだけ近づくことができた気がします。この建物が取り壊されることもなく、周辺に高い建物が建つこともなく、こうした形で残されて本当によかったです。
入館料は一般350円。近くに新薬師寺があります。あわせて回ると、素晴らしい仏像に出会えます。

【参考資料】「志賀直哉旧居 館内見どころ案内」




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