積読している本たち
それぞれの本には「読むべきタイミング」があるのでしょう。
購入するタイミングと読むべきタイミングが異なる本の場合は、その間「積読状態」になるわけで。
実際、大学1年生のときに張り切って『ツァラトゥストラはかく語りき』(ニーチェ)を購入しましたが、その時点では序説しか読み進めることができませんでした。単純に面白さ(interesting, funnyともに)が分からなくてです。
大学で哲学・思想の知識を習得することで、「どのように読めば面白いのか」「自分の興味関心とどこが共通していてどこに相違があるのか」などを理解することができるようになって初めて、読み進めることができるようになったのでした。
ただ逆説的ですが、大学一年生のときに購入しており「手元にあった」からこそ、時間を経て読み機会があったのだと思います。その意味で、本は少しでも興味があるものであれば購入しておくのが吉なのでしょう。
今家にある積読本もいつか、僕の興味関心と合致し、ページが開かれることもあるのでしょう。
1.古典
①『あしながおじさん』(J・ウェブスター)
②『書記バートルビー/漂流船』(メルヴィル)
僕はある程度教養主義を内面化している時代錯誤な人間なので、「古典を読むべきである」という思いも若干ある。せっかく本屋に来たのに、買いたい本が見つからない場合は目についた古典を買うことにしている。
ただ上記2冊、結局まだ読み進めれていない。
『書記バートルビー』は"I would prefer not to(できればやりたくないのですが)"が有名で、実際大学卒業してすぐに読んだのだが、その際はあまりささらなかった。
「静かなる退職」や「寝そべり族」が人口に膾炙している現代において、再読必須かなと思ったのだが、逆に現代的すぎて本から新たな示唆が得られずらく、面白さをなかなか感じられないのがネックなのかもしれない。
2.小説
③『砂漠』(伊坂幸太郎)
④『魔王城殺人事件』(歌野晶午)
⑤『私の最高の彼氏とその彼女』(ミン・ジヒョン)
③、④ともに著名な作家の小説だが、30ページほど読んで引き込まれなかったので、積読状態になっている。
⑤は韓国の小説。韓国の小説は『84年生まれキムジヨン』や『アーモンド』などを読んだことがあるが、やはり日本と比べて社会派な印象がある。文学が、現実社会の問題への直接的な応答となっているというか。それが興味深くもあるのだが、正直今は消化不良になりそうなので、積読状態である。
3.その他
⑥『君とパパの片道列車』(灘中までの道)
⑦『「往生要集」入門』(阿満利磨)
⑧『構造と力』(浅田彰)
⑥と⑦はノリで買った。意外とノリで買った本がハマったりすることもあるのだが、現時点では積読が増えただけだった。
⑧はやはり教養主義ゆえに購入せざるを得ないというか。
「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」は僕の人生のモットーにもなっているので「徐に代えて ≪知の斬新的横滑り≫を開始するための準備運動の試み --千の否のあと大学の可能性を問う」はスルスル読めるのだが、それ以降の構造主義/ポスト構造主義のパートがどう頑張っても読めない。。